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第三十七話 議会(二)

 後ろで皇帝に見守られながら、宦官かんがん張譲ちょうじょう監視のもと、議会が開かれた。


 議会を監督するよう霊帝れいていに命じられた張譲ちょうじょうは、かつて霊帝れいていより「我が父」とまで言われるほど信頼されていた。彼は宦官かんがん約二千人の中心的な存在であった。


 まず議会の口火を切ったのは大将軍だいしょうぐん何進かしんであった。


「さて、劉幽州りゅうぐ殿は偉大な功績を残された。十分な昇進をさせてやるべきだと思うが、いかがか?」


 しかし、張譲ちょうじょうは彼の発言ををたしなめるように制した。


大将軍かしん、今更言うまでも無いことですが、議主ぎしゅになるつもりなら、発言は文字に書き起こしていただきたい」


 張譲ちょうじょうの言葉に何進かしんは愛想笑いを浮かべながら答えた。


張常侍ちょうじょう、勿論、良く知っている。


 しかし、私はあくまで会議を進めるために言ったにすぎない。議主ぎしゅになるつもりはないよ。


 ここは三公のお歴々にお譲りしよう」


 何進かしんはそう言って向かい合って座る三公さんこうを指し示した。


 この時代での議会では、自分の主張を文章に書き起こすことを求められた。作成された文章を“議文ぎぶん”といい、作成者を“議主ぎしゅ”という。賛同者はその議文に署名し、それが皇帝へと伝えられる。


「では、私が議主ぎしゅとなりましょう」


 そう言って話し始めたのは、三公の一つである太尉たいいの職を務める馬日磾ばじつていであった。


 三公とは大臣の最高位の三つの役職を指す。

 元々、大臣の最高位は丞相じょうしょうという役職であった。現代日本でいう総理大臣に相当する。しかし、権力が一極に集中する丞相じょうしょうは時に皇帝の地位を脅かすほどの存在になった。


 そこで、後漢では丞相じょうしょうを廃止し、その職分を三つに分けて、権力を分散させた。

 すなわち、行政を司る“司徒しと”。土木を司る“司空しくう”。そして、軍事を司る“太尉たいい”の三つである。この三つをまとめて、“三公”と呼ぶ。


 この議会では三公と大将軍だいしょうぐん

、それとそれぞれの部下を含む四府が中心となって行われた。


 太尉たいい馬日磾ばじつていは周囲に向けて話し始めた。


劉幽州りゅうぐの昇進に反対する者もいないでしょう。

 ですが、州牧しゅうぼくは新設されたばかりの役職で、その昇進先はまだはっきりと決まってるわけではございません。


 しかし、劉幽州りゅうぐ九卿きゅうけい(大臣)の一つ・宗正そうせいより幽州牧に昇進されました。これよりさらに昇進するのであれば三公しかなかろうかと考えます。


 よって、三公への昇進。さらには列侯への封爵が相応しいかと思います」


 そう語ると、馬日磾ばじつていは耳にかけた筆を取ると、議文に自身の語った内容を書き起こした。


 九卿きゅうけいは三公の次の地位にある九つの大臣のことである。


 議主ぎしゅに立候補した彼は姓は、名は日磾じつていあざな翁叔おうしゅく。この時代では比較的珍しい二文字の名を持つ男。

 年齢は五十を過ぎた頃。その身長は八尺(約百八十四センチ)に届くほどの長身。そして、その長身に見合うだけの広い肩幅のガッシリとした体格。大きくて四角い頭にはほおから顎下あごしたにかけて立派なひげが生え揃い、この百人からなる会議の中でも一際、威厳を放っていた。


 彼は太尉たいいという軍事の最高位にありながら、学者としても著名な人物であった。


 この時代、霊帝れいていは政策として“売官ばいかん”を大々的に行った。

 つまり、官僚の役職を金銭で売買したのである。


 歴史上、悪名高い政策とされる売官ばいかんだが、逼迫ひっぱくする後漢の財政を立て直し、資金源を確保する目的もあった。

 実際、霊帝れいていが軍備を増強するのに、売官ばいかんで得た資金は大いに役立った。


 しかし、その売官ばいかんのために相応しくない人物が金で官職を得て、後漢の政治腐敗はより進む事となった。


 そんな官職の売買が公然と行われるこの時代の中にあって、馬日磾ばじつていは珍しく官位を買わずに太尉たいいの地位にまで登りつめた人物であった。


 そんな彼からすれば、腐敗の象徴たる宦官かんがんに場を仕切られるのは不愉快この上ない。

 だが、皇帝の命とあらば従う他にない。


 彼は自ら議主ぎしゅとなって、劉虞りゅうぐの昇進先として妥当と思われる先を上げた。


 この馬日磾ばじつてい議文ぎぶんに続けて、彼の左手に座る人物が発言を始めた。


馬太尉ばじつていの言われることはもっともだと思われます。


 この度、劉幽州りゅうぐは多大な戦績を上げられました。ならば、軍事の長官である太尉たいいが相応しかろうと私は考えます」


 そう発言するのは、三公の一つ、行政の担当官・司徒しとを務める人物。

 姓名は丁宮ていきゅうあざな元雄げんゆうという。

 歳は馬日磾ばじつていより少し上の六十手前ほど。張譲ちょうじょうより肉付きは良いが、せ型の男性であった。


 さらに続けて、その丁宮ていきゅうの左側に座る男が彼に賛同した。


丁司徒ていきゅうの言われるとおりですな。


 劉幽州りゅうぐの功績を考えれば、太尉たいいに任じるのが最も順当であると私も考えます」


 そう語るのは、同じく三公、土木の担当官・司空しくうに就任している男。劉弘りゅうこうあざな子高しこう

 歳は五十に満たないほどで三公の中では一番若い。背はあまり高くないが、恰幅かっぷくの良い体つきをしている。


 この劉弘りゅうこう及び馬日磾ばじつてい丁宮ていきゅうの三人の服装は、いずれも黒い箱型の進賢冠しんけんかんという冠を頭にかぶり、黒い上衣に紅色のはかまを身に着けていた。

 手にはこつという木の板を持ち、耳には毛筆を掛けていた。こつは非常時にはメモ代わりとなり、耳の筆でそれに書き記した。

 さらに腰には何進かしんの同列の紫綬しじゅが垂れ下がっていた。


 三公の側近くにはそれぞれの部下が臨席していたが、じゅの色が違うくらいで、格好はいずれもほぼ同じ姿であった。


 この二人の発言を受け、監督者・張譲ちょうじょうは意見をまとめるようなゆっくりとした口調で、確認を取った。


「なるほど、劉幽州りゅうぐに最も相応しいのは太尉たいいということになりそうですな。


 それならば、現在、太尉たいいを務めておられる馬翁叔ばじつてい殿には辞職してもらう、ということになりますな。


 馬太尉ばじつてい殿、それでよろしいかな?」


 話を振られた馬日磾ばじつていの解答は即座に行われた。


「私はそれで構いません」


 馬日磾ばじつていはそう言うとゆっくり頷いて同意を示した。


 売官ばいかんが盛んに行われるようになったこの時代、三公は最も売値の高い役職であった。

 そのため、利益を少しでも出すために三公の地位は次の者にすぐに交代させられた。就任しても一年も満たずに交代することも珍しくはなかった。


 そんな時代であるからこそ、馬日磾ばじつていは辞職をうながされても、狼狽うろたえることなくすぐに受け入れた。太尉たいいに任じられたその日から、解任される日は遠くないだろうと予想していた。


 しかし、すぐに交代させられる時代と言っても、少しでも長く就いておきたいと思うのが普通の人の感覚だ。馬日磾ばじつていが辞職を受け入れるのを見届けると、自分たちの辞職は回避出来たと、丁宮ていきゅう劉弘りゅうこうの二人は密かにほっと胸を撫で下ろした。


 馬日磾ばじつていはその二人の反応に気づきながらも、構わずに次の話しを始めた。


「では、次に劉幽州りゅうぐ封地ほうちについて話し合いましょう。


 列侯れっこう封地ほうちは古来より故郷に近いほど名誉とされております。


 ここは劉幽州りゅうぐの故郷、東海郡とうかいぐん郯県たんけんに近い地域を与えるのがよろしかろうと考えます」


 その発言を受け、大将軍だいしょうぐん何進かしんは部下に命じて東海郡とうかいぐんが属す徐州じょしゅうの地図を取り出させた。

 何進かしんはその地図をじっと見て、話し出した。


「ふむ、劉幽州りゅうぐの功績は多大とは言え、いきなりあまり大きな県に封ずるというのも考えものだ。


 ここは同じ東海郡とうかいぐん容丘県ようきゅうけん辺りではいかがかな」


 何進かしんの発言に、張譲ちょうじょうも同意した。


「では、それにしよう。


 劉幽州りゅうぐの昇進先は太尉たいい容丘侯ようきゅうこうが適当である。


 議主である|馬太尉ばじつていは議文をそのように書き換えていただきたい。他の方々は賛同なら議文に署名をお願い致します」


 張譲ちょうじょうはそう言い終わると、馬日磾ばじつていはさらに続けて話し出した。


「わかりました。


 それに加えて他の者の褒賞もこの場で決めるべきかと思います」


 張譲ちょうじょういぶかしみながら聞き返した。


馬太尉ばじつてい、他の者とは?」


「この度の張純ちょうじゅんの討伐には公孫中郎こうそんさんを始め多くの将兵が参戦しております。


 彼らにも褒賞を与えるべきかと存じます」


 馬日磾ばじつていはそう言って新たな議題を提案した。


 張純ちょうじゅんの乱の平定には公孫瓚こうそんさん以下、多くの将兵が参戦していた。それなのにこの場で昇進が決まったのは後からやってきた劉虞りゅうぐただ一人。

 馬日磾ばじつていはこれを機に、他の将兵の昇進も議題としようとした。


 だが、それを宦官かんがん張譲ちょうじょうは許さなかった。


《続く》

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