後ろで皇帝に見守られながら、宦官・張譲監視のもと、議会が開かれた。
議会を監督するよう霊帝に命じられた張譲は、かつて霊帝より「我が父」とまで言われるほど信頼されていた。彼は宦官約二千人の中心的な存在であった。
まず議会の口火を切ったのは大将軍・何進であった。
「さて、劉幽州殿は偉大な功績を残された。十分な昇進をさせてやるべきだと思うが、いかがか?」
しかし、張譲は彼の発言をを窘めるように制した。
「大将軍、今更言うまでも無いことですが、議主になるつもりなら、発言は文字に書き起こしていただきたい」
張譲の言葉に何進は愛想笑いを浮かべながら答えた。
「張常侍、勿論、良く知っている。
しかし、私はあくまで会議を進めるために言ったにすぎない。議主になるつもりはないよ。
ここは三公のお歴々にお譲りしよう」
何進はそう言って向かい合って座る三公を指し示した。
この時代での議会では、自分の主張を文章に書き起こすことを求められた。作成された文章を“議文”といい、作成者を“議主”という。賛同者はその議文に署名し、それが皇帝へと伝えられる。
「では、私が議主となりましょう」
そう言って話し始めたのは、三公の一つである太尉の職を務める馬日磾であった。
三公とは大臣の最高位の三つの役職を指す。
元々、大臣の最高位は丞相という役職であった。現代日本でいう総理大臣に相当する。しかし、権力が一極に集中する丞相は時に皇帝の地位を脅かすほどの存在になった。
そこで、後漢では丞相を廃止し、その職分を三つに分けて、権力を分散させた。
すなわち、行政を司る“司徒”。土木を司る“司空”。そして、軍事を司る“太尉”の三つである。この三つをまとめて、“三公”と呼ぶ。
この議会では三公と大将軍
、それとそれぞれの部下を含む四府が中心となって行われた。
太尉の馬日磾は周囲に向けて話し始めた。
「劉幽州の昇進に反対する者もいないでしょう。
ですが、州牧は新設されたばかりの役職で、その昇進先はまだはっきりと決まってるわけではございません。
しかし、劉幽州は九卿(大臣)の一つ・宗正より幽州牧に昇進されました。これよりさらに昇進するのであれば三公しかなかろうかと考えます。
よって、三公への昇進。さらには列侯への封爵が相応しいかと思います」
そう語ると、馬日磾は耳にかけた筆を取ると、議文に自身の語った内容を書き起こした。
九卿は三公の次の地位にある九つの大臣のことである。
議主に立候補した彼は姓は馬、名は日磾、字を翁叔。この時代では比較的珍しい二文字の名を持つ男。
年齢は五十を過ぎた頃。その身長は八尺(約百八十四センチ)に届くほどの長身。そして、その長身に見合うだけの広い肩幅のガッシリとした体格。大きくて四角い頭には頬から顎下にかけて立派な髭が生え揃い、この百人からなる会議の中でも一際、威厳を放っていた。
彼は太尉という軍事の最高位にありながら、学者としても著名な人物であった。
この時代、霊帝は政策として“売官”を大々的に行った。
つまり、官僚の役職を金銭で売買したのである。
歴史上、悪名高い政策とされる売官だが、逼迫する後漢の財政を立て直し、資金源を確保する目的もあった。
実際、霊帝が軍備を増強するのに、売官で得た資金は大いに役立った。
しかし、その売官のために相応しくない人物が金で官職を得て、後漢の政治腐敗はより進む事となった。
そんな官職の売買が公然と行われるこの時代の中にあって、馬日磾は珍しく官位を買わずに太尉の地位にまで登りつめた人物であった。
そんな彼からすれば、腐敗の象徴たる宦官に場を仕切られるのは不愉快この上ない。
だが、皇帝の命とあらば従う他にない。
彼は自ら議主となって、劉虞の昇進先として妥当と思われる先を上げた。
この馬日磾の議文に続けて、彼の左手に座る人物が発言を始めた。
「馬太尉の言われることはもっともだと思われます。
この度、劉幽州は多大な戦績を上げられました。ならば、軍事の長官である太尉が相応しかろうと私は考えます」
そう発言するのは、三公の一つ、行政の担当官・司徒を務める人物。
姓名は丁宮、字を元雄という。
歳は馬日磾より少し上の六十手前ほど。張譲より肉付きは良いが、痩せ型の男性であった。
さらに続けて、その丁宮の左側に座る男が彼に賛同した。
「丁司徒の言われるとおりですな。
劉幽州の功績を考えれば、太尉に任じるのが最も順当であると私も考えます」
そう語るのは、同じく三公、土木の担当官・司空に就任している男。劉弘、字は子高。
歳は五十に満たないほどで三公の中では一番若い。背はあまり高くないが、恰幅の良い体つきをしている。
この劉弘及び馬日磾、丁宮の三人の服装は、いずれも黒い箱型の進賢冠という冠を頭にかぶり、黒い上衣に紅色の袴を身に着けていた。
手には笏という木の板を持ち、耳には毛筆を掛けていた。笏は非常時にはメモ代わりとなり、耳の筆でそれに書き記した。
さらに腰には何進の同列の紫綬が垂れ下がっていた。
三公の側近くにはそれぞれの部下が臨席していたが、綬の色が違うくらいで、格好はいずれもほぼ同じ姿であった。
この二人の発言を受け、監督者・張譲は意見をまとめるようなゆっくりとした口調で、確認を取った。
「なるほど、劉幽州に最も相応しいのは太尉ということになりそうですな。
それならば、現在、太尉を務めておられる馬翁叔殿には辞職してもらう、ということになりますな。
馬太尉殿、それでよろしいかな?」
話を振られた馬日磾の解答は即座に行われた。
「私はそれで構いません」
馬日磾はそう言うとゆっくり頷いて同意を示した。
売官が盛んに行われるようになったこの時代、三公は最も売値の高い役職であった。
そのため、利益を少しでも出すために三公の地位は次の者にすぐに交代させられた。就任しても一年も満たずに交代することも珍しくはなかった。
そんな時代であるからこそ、馬日磾は辞職を促されても、狼狽えることなくすぐに受け入れた。太尉に任じられたその日から、解任される日は遠くないだろうと予想していた。
しかし、すぐに交代させられる時代と言っても、少しでも長く就いておきたいと思うのが普通の人の感覚だ。馬日磾が辞職を受け入れるのを見届けると、自分たちの辞職は回避出来たと、丁宮、劉弘の二人は密かにほっと胸を撫で下ろした。
馬日磾はその二人の反応に気づきながらも、構わずに次の話しを始めた。
「では、次に劉幽州の封地について話し合いましょう。
列侯の封地は古来より故郷に近いほど名誉とされております。
ここは劉幽州の故郷、東海郡郯県に近い地域を与えるのが宜しかろうと考えます」
その発言を受け、大将軍の何進は部下に命じて東海郡が属す徐州の地図を取り出させた。
何進はその地図をじっと見て、話し出した。
「ふむ、劉幽州の功績は多大とは言え、いきなりあまり大きな県に封ずるというのも考えものだ。
ここは同じ東海郡の容丘県辺りではいかがかな」
何進の発言に、張譲も同意した。
「では、それにしよう。
劉幽州の昇進先は太尉・容丘侯が適当である。
議主である|馬太尉は議文をそのように書き換えていただきたい。他の方々は賛同なら議文に署名をお願い致します」
張譲はそう言い終わると、馬日磾はさらに続けて話し出した。
「わかりました。
それに加えて他の者の褒賞もこの場で決めるべきかと思います」
張譲は訝しみながら聞き返した。
「馬太尉、他の者とは?」
「この度の張純の討伐には公孫中郎を始め多くの将兵が参戦しております。
彼らにも褒賞を与えるべきかと存じます」
馬日磾はそう言って新たな議題を提案した。
張純の乱の平定には公孫瓚以下、多くの将兵が参戦していた。それなのにこの場で昇進が決まったのは後からやってきた劉虞ただ一人。
馬日磾はこれを機に、他の将兵の昇進も議題としようとした。
だが、それを宦官の張譲は許さなかった。
《続く》