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第三十六話 議会(一)

 ここは洛陽らくよう。後漢の首都にして、最大の商業都市である。その場所は現在の河南省かなんしょう洛陽市らくようしの東側に位置する。


 洛水らくすい(川の名)の北岸、日の当たる場所にあるために洛陽らくようという。後漢が興ってよりこの地は皇帝の住むこの国の首都となった。漢は火徳の王朝。火を尊ぶ。そのために水を表すサンズイを避け、表記を雒陽らくようと改めた。


 洛陽らくようは南北に九里百歩(約四千キロメートル)、東西に六里十一歩(約二千六百キロメートル)の長方形の都市。南北、東西の距離から別名・九六城と呼ばれる。


 その城市のほぼ中央に、この後漢の国の最高権力者・皇帝の住まう宮城があった。


 その宮城の中を一人の文官が小走りで、建始殿けんしでんと呼ばれる建物へと入っていった。

 入ったその建物の中にはこの漢の国を動かす朝臣のトップ百人ほどが大きな机を囲んで、四面に座っていた。


 そして、その重臣たちの並ぶ机の奥。そこにある玉座に彼は腰掛けていた。

 年齢は数えで三十四歳。色白で肉付きが良く、その顔つきだけで庶民と違う生活を送っていることがうかがえる。

 目はくぼんでいるが、その瞳は生気にあふれ、鋭い眼光を放っていた。


 頭には冕冠べんかんと呼ばれるかんむりをかぶっている。黒いかんむりで、頭上に長方形の板を載せる。その板の先端から前後に六、合わせて十二の玉飾りが垂れ下がっている。

 その服装は上衣じょういは黒く、下裳かしょうは赤い。服の全体には十二の文様が刺繍されている。腰には雌黄色オレンジ色しつ(さや)に収まった刀を下げ、身分を表すじゅは最高位の黄赤色を垂らしている。


 彼こそがこの国の頂点に君臨する皇帝。姓をりゅう、名をこう。後におくりなされて、歴史上では霊帝れいていと呼ばれる人物であった。

 なお、劉宏りゅうこうあざなはない。あざなは近しい者相手に使う呼び名。天下の頂点に君臨する皇帝相手にあざなで呼べる存在はいないので、彼はあざなを必要とはしなかった。特に成人前に即位した劉宏りゅうこうは、その生涯であざなで呼ばれたことは無かった。


 その皇帝を中心とする朝臣一同の前に、小走りで来た文官はひざまずいた。


「報告致します。


 幽州牧ゆうしゅうぼく劉虞りゅうぐ、かねてより反乱を起こしていた張純ちょうじゅんを捕え、斬首したとのことです」


 彼の報告は、かつて劉星りゅうせいも討伐に加わった張純ちょうじゅん河北かほくで起こした反乱の終結を告げるものであった。


 この報告を聞くと、朝臣は感嘆の声をらした。

 そして、玉座の霊帝れいていはほくそ笑み、その隣に座る小太りの男へと視線を移す。


「おお、聞いたか、何進かしん


 わたしの任命した劉虞りゅうぐが早速、反乱をしずめたぞ」


 霊帝れいていそう語ると、高らかに笑った。彼は両手を大きく左右に広げ、まるで自分の手柄を誇るかのような態度であった。


 その霊帝れいていに返事をするのは、彼の右手に座る小太りの男性であった。年齢は四十を過ぎたほど。背は高いが、横幅も大きく、中年太りのようで腹はポコリと出ていた。


 頭には武冠ぶかん(武官用のかんむり。黒く四角い帽子)をかぶり、紅色の衣裳いしょうを身にまとっていた。いずれも武官用の装束だが、この朝臣の中では彼とその部下のみがこの服装であったために特に目立つ存在であった。その腰には紫のじゅが垂れ下がっている。これは皇族を除けば最高位のじゅの色である。


 彼の名は何進かしんあざな遂高すいこう。将軍の中でも最高位の大将軍だいしょうぐんの地位にある者であった。


「はい、陛下のご叡慮えいりょ賜物たまものでございます。


 東北の乱は討伐軍も長らく鎮圧出来ずにおりました。そんな中、劉幽州りゅうぐは恩徳をもって烏桓うがんを手なづけたと聞きます。


 劉幽州りゅうぐでなければ東北に平穏をもたらせられなかったでしょう」


 何進かしん霊帝れいていに同調するように、深々と頭を下げ、彼を賞賛した。


 何進かしんは元々、南陽郡なんようぐん宛県えんけん(現在の河南省かなんしょう南陽市なんようし宛城区えんじょうく)で屠殺業とさつぎょうを営んでいた。それが美人な異母妹が霊帝れいていきさきに選ばれたことから、出世していき、今では武官の最高位である大将軍だいしょうぐんの位にまで昇っていた。


 彼のように皇帝の母やきさきつながる親戚を“外”の親“戚”、『外戚がいせき』と呼ぶ。


 彼らは皇帝の親族という立場からしばしば強い権力を握っていた。何進かしんもその例にれず、大将軍だいしょうぐんとして絶大な権力を誇っていた。

 しかし、その権力も皇帝あってのこと。彼も霊帝れいていに対しては忠実な家臣であった。


「そうであろう。


 わたしが地方長官の権限を引き上げることを問題視する者もおったが、やはり正しかった!」


 何進かしんの絶賛の言葉に、霊帝れいていも気を良くしてご満悦であった。


 霊帝れいていが行った政治改革の一つが地方権力の強化であった。その権力の強化された地方長官が、反乱軍の主犯を処刑したという今回の報告。それはまるで彼の改革の成功を証明するような内容で、彼を調子づかせた。


「まことに陛下こそこのくにを栄えさす名君でございます」


 その何進かしんの言葉に、いよいよ勢いを得た霊帝れいていはその場にダンッと音を立てて立ち上がった。


「そうだ!


 わたしは今までのような臣下に一任するような皇帝とは違う!


 わたし自らがこのくにを教え導き、古き悪習を一新し、隆盛させるであろう。


 そして、が名はこのくにの中興の祖として、永遠に竹帛ちくはくを輝かせることだろう!」


 そう語る彼の目は熱意と決意に満ちあふれていた。


 この霊帝れいていという男の出自は決して良いものではなかった。

 彼は三代皇帝の章帝しょうていの子で河間国王かかんこくおう劉開りゅうかいの曾孫。解瀆程侯かいとくていこう(当時の冀州きしゅう中山国ちゅうざんこく安国県あんこくけん、現在の河北省かほくしょう保定市ほていし安国市あんこくしの東北にあった土地)・劉萇りゅうちょうの子として生まれた。皇帝の血を引く地方貴族であったが、決して裕福ではなかった。


 先代の桓帝かんてい崩御ほうぎょ(皇帝が亡くなること)した時、彼に男子はいなかった。彼もまた河間国王かかんこくおう劉開りゅうかいの孫であった。そこで血統が近く、賢い子であることから劉宏りゅうこうが選ばれて皇帝となった。即位した時はまだ数えで十二歳の幼い皇帝であった。


 彼の前半生は宮中の権力争いをただ見ていることしか出来なかった。


 しかし、大人に成長した頃より徐々に政治改革に手を出すようになる。既に後漢王朝は多くの問題が山積みであった。だが、多くの官吏は権力争いと過去を尊ぶばかりで時代の変化に鈍感であった。

 霊帝れいていはそれを傍観するほど冷淡では無かった。そして、何も考えないほどの愚者でも無かった。


 彼は官位を売る『売官ばいかん』を行い資金源を確保すると、学問を推奨して広く人材を求め、地方行政の強化、軍事力の増強と多岐に渡って精力的に改革を行ってきた。


 情熱に満ちた改革者、それが霊帝れいていであった。


 その改革の一つが成功したと確信した彼は力強く新たな命令を出した。


「まずは功績を上げた劉虞りゅうぐをに報いなければならない。


 張譲ちょうじょう!」


 霊帝れいていは後ろを振り返り、一人の男の名を呼んだ。その声に応じ、彼の後ろに控えていた初老のせた男が前へと進み出た。近視眼かと思うような細めた目ながらも、暗く鈍い光を鋭く放つ強い瞳。尖った鼻、けたほお


 頭にかぶる冠は何進かしんと同じ武冠であったが、金の装飾とてんの尾をして飾っていた。腰のじゅ何進かしん紫綬しじゅより一つ低い青色のじゅを下げていた。


 彼の名は張譲ちょうじょうあざな季格きかく。皇帝の側近である宦官かんがんの中心的な人物であり、中常侍ちゅうじょうじという役職に就いていた。


「はい、ここに」


 張譲ちょうじょうは低く、感情の乏しい平坦な声で返事をした。


 霊帝れいていは意気揚々と彼に命じた。


張譲ちょうじょう公卿こうけい劉虞りゅうぐに如何なる賞を与えるのが適切か審議させよ。


 お前がその監督をやれ」


「はい、お任せください」


 張譲ちょうじょうは深々と頭を下げて、命を受けた。

 彼は、議会を始めるよう列席する朝臣らにうながした。


 この張譲ちょうじょう含む宦官かんがんとは、去勢された男子である。元は皇帝の後宮こうきゅうで働く奴隷であった。後宮こうきゅう皇后こうごう以下、皇帝の夫人やそれに仕える女官の暮らす場所である。ここで産まれる子は皇帝の子以外あってはならない。そのため、ここで働く奴隷は男根を切り落とし、生殖能力を失った男性に限られていた。


 当初は皇帝の召使いのような立場であった宦官かんがんだが、皇帝の幼い頃より側近くで働く内に次第に信頼を得ていった。そして、皇帝の最側近の立場を利用して、強い権力を握るようになっていた。しかし、性欲の行き場を失った彼らは権力欲や金銭欲が強まり、後漢の腐敗の象徴のような存在へとなっていった。


 数多いる官吏を押しのけて、腐敗の象徴たる宦官かんがん主導の議会が今、始まった。


《続く》

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