「そうだな、今回の件は劉星、お前が少し先走り過ぎたようだな。
俺は関羽を引き渡した後、適当なところで襲撃して、関羽を逃がしてやるつもりでいた」
そう言うと劉備は後ろの張飛に合図を送り、縛られていた関羽の縄を解いた。
「り、劉備殿、私を逃がしてよろしいのですか?」
関羽は恐る恐る劉備の顔色をうかがって尋ねた。
「ああ。元々お前を縛ったのも小芝居だ。
過去に何度か使った手で、他の連中は勝手をよく知ってるし、相手に漏れちゃまずいから言わないでいたんだが……」
「まあ、関羽と劉星は最近来たばかりだからよぉ。
勝手がわからねぇのも仕方ないわな」
後ろに控えていた簡雍がへへへと笑いながら、劉備の言葉にそう続けて僕らの顔を見回した。
なるほど、関羽を捕まえるまでの流れが妙にスムーズだと感じていたが、彼らにとってはいつもの手口というわけか。
それを知らずに勝手に劉備らに失望した。さらには余計なことをしてより事態を悪化までさせてしまった。
「今回は余計な真似をして申し訳ない。
僕の先走った行動のために劉備は県尉の職まで失ってしまった。
謝って済む問題ではないが、他に償いのしようもない。
本当にすみませんでした」
僕はその場で土下座して皆に謝った。
そこへ関羽がすかさず僕の方へと歩み寄って皆の方へと振り返った。
「今回の件は元をたどれば私のかつての悪行に起因しております。
劉星殿の行動も私を慮ってのことです。
私が改めて郡府に出頭致しますので、どうか劉星殿を責めるのはお止めください」
関羽は僕に並ぶと、皆の前で頭を地につけた。
頭を下げる僕ら二人に、劉備は近付いてくると、腰を下ろして寄り添うように語りかけた。
「俺はお前たち二人を責めるつもりはない。
まずは関羽。
俺は最初から素直にお前を引き渡すつもりはなかった。それはここにいる皆も同じだ。
それをお前が今更に出頭してしまっては、俺たちの気持ちはもちろん、杖打たれた劉星の願いさえ踏みにじる行為だと思わないか」
「しかし、それでも官職を失うよりは……」
劉備の言葉にもまだなお自身の責任を取ろうとする関羽。そこに張飛が飛び出して来て、関羽の胸ぐらを掴むと、そのまま立ち上がらせた。
「おい、関羽、これは兄貴の決めたことだ。それを無駄にするようなことを言うんじゃねぇ!」
「だが……このまま私がいては……」
突然の張飛の怒鳴り声に、関羽は多少狼狽えながらも、それでも意志を曲げようとはしない。
すると、張飛は彼の言葉を自らの大声で遮った。
「うるせぇ!
お前もオレの兄貴になったんだろうがよ!
オレの兄貴なら卑屈になるな! 胸を張れ!
なったからには最期まで責任持って兄貴やりやがれ!
途中で辞めるなんて許さねぇぞ!」
張飛の言葉に、関羽もついに観念して態度を改めた。
「わかった。兄貴の役目を果たそう」
そして、関羽は続けて劉備の方へと振り向いた。
「劉備殿、貴方から受けた恩義を私は生涯忘れません。
私はあの時、張飛の兄貴分になったのと同時に貴方の弟分となりました。
貴方の弟分として尽力することを改めて誓います」
関羽は劉備の前に跪き、忠義を誓った。
劉備・関羽・張飛。この世界での三人は結局、桃園の誓いを行うことはなかった。
だが、彼らは義兄弟となった。
僕の知っている形とは違うけれども、僕の知っている形に落ち着いたのであった。
関羽の態度に満足した様子の劉備は、続けて僕の方へと振り向いた。
「さて、次は劉星だな。
確かにお前のは先走った行動だった。次からはよく確認してからやってくれ。
だが、決して余計なことだったわけじゃない。
俺があのまま関羽を引き渡したとして、逃がすにせよ匿うにせよ、堂々と仲間として共に暮らすことはできなくなっていただろう。
やはり、堂々と仲間の一人として接するべきだ。それならば、今回の件は俺の辞職が正解だったといえるだろうよ」
そう言うと劉備はニコリと笑って答えた。今回の件で彼に勝手に失望していたが、辞職することになったのにこんな晴れやかに笑えるのは、やはり、劉備は大将の器なのだと改めて感じ入った。
「劉備、すまない。
そして、ありがとう」
今回は劉備の懐の深さに救われた。いつか返したい。
劉備は続けて僕に話しかけた。
「俺とお前が初めて会った時のことを覚えているか?」
「え?」
劉備に聞かれて、僕は過去を振り返った。あの頃はまだこちらの世界に転生したばかりであった。そこで出会った劉備が本物かもわからず、とにかく質問ばかりしていたように思う。
「あの時のお前は、俺の部下には関羽・張飛の二人がいると言った。
あの頃、俺はまだ関羽と面識は無かった。それなのにお前は関羽の名前を挙げた」
確かに言った。関羽と張飛の二人がいれば、彼が劉備であると確定できると思ったからだ。
まさか、まだ出会ってもいないとは思いもしなかった。
「それはその……」
未来を知っていたからと答えるわけにもいかない。僕は言葉を詰まらせた。
「言いにくいなら答えなくていい。詮索しないのが俺たちの掟だ。
あの時のお前の言葉を俺は完全な嘘だとは思えなかった。そして、その後本当に関羽と出会うことができた。
その時、俺は思った。この関羽という男は俺になくてはならない、手放してはならない相手なんだと」
その劉備の言葉に僕はすぐに謝罪の言葉が浮かんだ。だが、ここで言うべきは謝罪ではないのだろう。
「劉備……。
いや、あんな一言を覚えていてくれていたのか。ありがとう」
今から思えば不用意な一言だった。あの自分の一言で未来を変えてしまったのかもしれない。
でも、その結果、劉備・関羽・張飛の三人を結びつけることができた。自分勝手な解釈かもしれないが、僕は良い方向へ歴史を導けたのかもしれない。
「まあ、今回の件はそこまで気にするな。
お前の役割が馬に乗って戦うことなら、俺の役割はお前らの大将であることだ。俺は俺の役割を果たしただけだ。
さあ、これからの話をしよう」
そう言うと劉備は僕を立ち上がらせた。そして、関羽と共に皆の中に加え、周りに向かって話し出した。
「さて、この安喜県を去ることになっちまったが、今さら楼桑里に戻るのも味気ねぇ。
お前ら何処に行きたい?」
劉備は皆の顔をグルリと見回してそう尋ねた。
それに対して関羽、それに張飛が続けて発言する。
「私は兄者の弟分です。何処へなりともお供致します」
「オレも兄貴の行くとこに何処までも着いていくぜ」
その二人の解答に劉備は苦笑しながら答えた。
「それじゃあ行き先が決まらんだろ。
しょうがない。劉星、何処か行きたいところはないか?」
「え、急にそんなこと言われてもな。あまり地名も知らないし……」
あまりの決まらなさぶりに、今度は僕に話を振ってきた。
しかし、振られても困ってしまう。安喜県を去ってからの劉備たちが何処に行ったのか僕は覚えていない。それにこの時代の中国の地名を僕はあまり知らない。北京や香港なんて言っても通じないだろうし……。
僕はなんとか記憶を遡って地名を思い出そうと頑張った。知っている地名だからといって辺境の戦乱の地に行っても困るだけだ。
自分が行きたいところは何処だろうか……?
「そうだ。洛陽!
洛陽に行きたい!」
僕は過去に商人の張世平から聞いたこの時代の都・洛陽の名前を思い出した。
洛陽はこの時代一番の大都市だ。この時代にあるあらゆるものが集まる商業都市だ。
その街を僕は一度でいいから見てみたかった。
僕の提案に、劉備も満足そうであった。
「雒陽(洛陽の別表記)か。良いだろう。あそこなら何か新しい仕事もあるかもしれない。
皆も行くか?」
劉備はそう言って周囲を見回す。そこに飛び出して来たのは猫背の小男・簡雍であった。
「待て、待て。全員で雒陽に行くなんてそんな旅費もないだろ。
せいぜい、三、四人ってところじゃないか?」
簡雍の言葉に劉備は少し考えた。
「それなら誰々行くかな。
俺と言い出しっぺの劉星は行くとして……」
「オレは兄貴の行くところなら何処までも着いていくぜ!」
「私も弟分として同行したいと思います」
張飛、そして関羽も洛陽への旅路への同行を願い出た。
それを見て簡雍は再び話に割って入ってきた。
「決まりだな。
雒陽行きは劉備、劉星。それに関羽と張飛だ」
「簡雍、お前は行かなくて良いのか?」
劉備が尋ねると、簡雍は頭を掻き毟りながら答えた。
「ほとんどの者は幽州に帰ることになる。おれまで雒陽に行っちまったら誰が大将と幽州の皆との間を取り持つんだよ。
おりゃあ残って連絡係になるよ。そういう役も必要だろ。なんかあったらまずはおれに連絡してくれ。そうすりゃ他の皆にも話を伝えてやるぜ」
「すまんな、簡雍。
では、俺たちは雒陽に行こう!」
僕らは洛陽に向けて出発した。
憧れの大都市・洛陽に行けるとあって僕は喜び浮かれていた。
だが、憧ればかりに気を取られて、新たな動乱の時代がすぐそこまで迫っていることを僕はまだ知らずにいた。
後漢の首都・洛陽。三国志の英雄が集結し、一人の魔王の登場により、その英雄は各地に散って群雄割拠の時代が始まっていく。
その集結する地こそ洛陽。そして、魔王の登場の時までは刻一刻と迫っていた。
《続く》