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第三十五話 督郵(七)

「そうだな、今回の件は劉星りゅうせい、お前が少し先走り過ぎたようだな。


 俺は関羽かんうを引き渡した後、適当なところで襲撃して、関羽かんうを逃がしてやるつもりでいた」


 そう言うと劉備りゅうびは後ろの張飛ちょうひに合図を送り、縛られていた関羽かんうの縄を解いた。


「り、劉備りゅうび殿、私を逃がしてよろしいのですか?」


 関羽かんうは恐る恐る劉備りゅうびの顔色をうかがって尋ねた。


「ああ。元々お前を縛ったのも小芝居だ。


 過去に何度か使った手で、他の連中は勝手をよく知ってるし、相手に漏れちゃまずいから言わないでいたんだが……」


「まあ、関羽かんう劉星りゅうせいは最近来たばかりだからよぉ。


 勝手がわからねぇのも仕方ないわな」


 後ろに控えていた簡雍かんようがへへへと笑いながら、劉備りゅうびの言葉にそう続けて僕らの顔を見回した。


 なるほど、関羽かんうを捕まえるまでの流れが妙にスムーズだと感じていたが、彼らにとってはいつもの手口というわけか。


 それを知らずに勝手に劉備りゅうびらに失望した。さらには余計なことをしてより事態を悪化までさせてしまった。


「今回は余計な真似をして申し訳ない。


 僕の先走った行動のために劉備りゅうび県尉けんいの職まで失ってしまった。

 謝って済む問題ではないが、他につぐないのしようもない。

 本当にすみませんでした」


 僕はその場で土下座して皆に謝った。


 そこへ関羽かんうがすかさず僕の方へと歩み寄って皆の方へと振り返った。


「今回の件は元をたどれば私のかつての悪行に起因しております。


 劉星りゅうせい殿の行動も私をおもんぱかってのことです。


 私が改めて郡府に出頭致しますので、どうか劉星りゅうせい殿を責めるのはお止めください」


 関羽かんうは僕に並ぶと、皆の前で頭を地につけた。


 頭を下げる僕ら二人に、劉備りゅうびは近付いてくると、腰を下ろして寄り添うように語りかけた。


「俺はお前たち二人を責めるつもりはない。


 まずは関羽かんう


 俺は最初から素直にお前を引き渡すつもりはなかった。それはここにいる皆も同じだ。


 それをお前が今更に出頭してしまっては、俺たちの気持ちはもちろん、じょう打たれた劉星りゅうせいの願いさえ踏みにじる行為だと思わないか」


「しかし、それでも官職を失うよりは……」


 劉備りゅうびの言葉にもまだなお自身の責任を取ろうとする関羽かんう。そこに張飛ちょうひが飛び出して来て、関羽かんうの胸ぐらを掴むと、そのまま立ち上がらせた。


「おい、関羽かんう、これは兄貴の決めたことだ。それを無駄にするようなことを言うんじゃねぇ!」


「だが……このまま私がいては……」


 突然の張飛ちょうひの怒鳴り声に、関羽かんうは多少狼狽うろたえながらも、それでも意志を曲げようとはしない。

 すると、張飛ちょうひは彼の言葉を自らの大声でさえぎった。


「うるせぇ!


 お前もオレの兄貴になったんだろうがよ!


 オレの兄貴なら卑屈になるな! 胸を張れ!


 なったからには最期まで責任持って兄貴やりやがれ!

 途中で辞めるなんて許さねぇぞ!」


 張飛ちょうひの言葉に、関羽かんうもついに観念して態度を改めた。


「わかった。兄貴の役目を果たそう」


 そして、関羽かんうは続けて劉備りゅうびの方へと振り向いた。


劉備りゅうび殿、貴方から受けた恩義を私は生涯忘れません。


 私はあの時、張飛ちょうひの兄貴分になったのと同時に貴方の弟分となりました。


 貴方の弟分として尽力することを改めて誓います」


 関羽かんう劉備りゅうびの前にひざまずき、忠義を誓った。


 劉備りゅうび関羽かんう張飛ちょうひ。この世界での三人は結局、桃園とうえんの誓いを行うことはなかった。


 だが、彼らは義兄弟となった。

 僕の知っている形とは違うけれども、僕の知っている形に落ち着いたのであった。


 関羽かんうの態度に満足した様子の劉備りゅうびは、続けて僕の方へと振り向いた。


「さて、次は劉星りゅうせいだな。


 確かにお前のは先走った行動だった。次からはよく確認してからやってくれ。


 だが、決して余計なことだったわけじゃない。


 俺があのまま関羽かんうを引き渡したとして、逃がすにせよかくまうにせよ、堂々と仲間として共に暮らすことはできなくなっていただろう。


 やはり、堂々と仲間の一人として接するべきだ。それならば、今回の件は俺の辞職が正解だったといえるだろうよ」


 そう言うと劉備りゅうびはニコリと笑って答えた。今回の件で彼に勝手に失望していたが、辞職することになったのにこんな晴れやかに笑えるのは、やはり、劉備りゅうびは大将の器なのだと改めて感じ入った。


劉備りゅうび、すまない。


 そして、ありがとう」


 今回は劉備りゅうびの懐の深さに救われた。いつか返したい。


 劉備りゅうびは続けて僕に話しかけた。


「俺とお前が初めて会った時のことを覚えているか?」


「え?」


 劉備りゅうびに聞かれて、僕は過去を振り返った。あの頃はまだこちらの世界に転生したばかりであった。そこで出会った劉備りゅうびが本物かもわからず、とにかく質問ばかりしていたように思う。


「あの時のお前は、俺の部下には関羽かんう張飛ちょうひの二人がいると言った。


 あの頃、俺はまだ関羽かんうと面識は無かった。それなのにお前は関羽かんうの名前を挙げた」


 確かに言った。関羽かんう張飛ちょうひの二人がいれば、彼が劉備りゅうびであると確定できると思ったからだ。

 まさか、まだ出会ってもいないとは思いもしなかった。


「それはその……」


 未来を知っていたからと答えるわけにもいかない。僕は言葉を詰まらせた。


「言いにくいなら答えなくていい。詮索しないのが俺たちの掟だ。


 あの時のお前の言葉を俺は完全な嘘だとは思えなかった。そして、その後本当に関羽かんうと出会うことができた。


 その時、俺は思った。この関羽かんうという男は俺になくてはならない、手放してはならない相手なんだと」


 その劉備りゅうびの言葉に僕はすぐに謝罪の言葉が浮かんだ。だが、ここで言うべきは謝罪ではないのだろう。


劉備りゅうび……。


 いや、あんな一言を覚えていてくれていたのか。ありがとう」


 今から思えば不用意な一言だった。あの自分の一言で未来を変えてしまったのかもしれない。


 でも、その結果、劉備りゅうび関羽かんう張飛ちょうひの三人を結びつけることができた。自分勝手な解釈かもしれないが、僕は良い方向へ歴史を導けたのかもしれない。


「まあ、今回の件はそこまで気にするな。


 お前の役割が馬に乗って戦うことなら、俺の役割はお前らの大将であることだ。俺は俺の役割を果たしただけだ。


 さあ、これからの話をしよう」


 そう言うと劉備りゅうびは僕を立ち上がらせた。そして、関羽かんうと共に皆の中に加え、周りに向かって話し出した。


「さて、この安喜県あんきけんを去ることになっちまったが、今さら楼桑里ろうそうりに戻るのも味気ねぇ。


 お前ら何処に行きたい?」


 劉備りゅうびは皆の顔をグルリと見回してそう尋ねた。


 それに対して関羽かんう、それに張飛ちょうひが続けて発言する。


「私は兄者の弟分です。何処へなりともお供致します」


「オレも兄貴の行くとこに何処までも着いていくぜ」


 その二人の解答に劉備りゅうびは苦笑しながら答えた。


「それじゃあ行き先が決まらんだろ。


 しょうがない。劉星りゅうせい、何処か行きたいところはないか?」


「え、急にそんなこと言われてもな。あまり地名も知らないし……」


 あまりの決まらなさぶりに、今度は僕に話を振ってきた。


 しかし、振られても困ってしまう。安喜県あんきけんを去ってからの劉備りゅうびたちが何処に行ったのか僕は覚えていない。それにこの時代の中国の地名を僕はあまり知らない。北京ぺきん香港ほんこんなんて言っても通じないだろうし……。


 僕はなんとか記憶をさかのぼって地名を思い出そうと頑張った。知っている地名だからといって辺境の戦乱の地に行っても困るだけだ。


 自分が行きたいところは何処だろうか……?


「そうだ。洛陽らくよう


 洛陽らくように行きたい!」


 僕は過去に商人の張世平ちょうせいへいから聞いたこの時代の都・洛陽らくようの名前を思い出した。


 洛陽らくようはこの時代一番の大都市だ。この時代にあるあらゆるものが集まる商業都市だ。

 その街を僕は一度でいいから見てみたかった。


 僕の提案に、劉備りゅうびも満足そうであった。


雒陽らくよう(洛陽らくようの別表記)か。良いだろう。あそこなら何か新しい仕事もあるかもしれない。


 皆も行くか?」


 劉備りゅうびはそう言って周囲を見回す。そこに飛び出して来たのは猫背の小男・簡雍かんようであった。


「待て、待て。全員で雒陽らくように行くなんてそんな旅費もないだろ。


 せいぜい、三、四人ってところじゃないか?」


 簡雍かんようの言葉に劉備りゅうびは少し考えた。


「それなら誰々行くかな。


 俺と言い出しっぺの劉星りゅうせいは行くとして……」


「オレは兄貴の行くところなら何処までも着いていくぜ!」


「私も弟分として同行したいと思います」


 張飛ちょうひ、そして関羽かんうも洛陽への旅路への同行を願い出た。


 それを見て簡雍かんようは再び話に割って入ってきた。


「決まりだな。


 雒陽らくよう行きは劉備りゅうび劉星りゅうせい。それに関羽かんう張飛ちょうひだ」


簡雍かんよう、お前は行かなくて良いのか?」


 劉備りゅうびが尋ねると、簡雍かんようは頭をむしりながら答えた。


「ほとんどの者は幽州ゆうしゅうに帰ることになる。おれまで雒陽らくように行っちまったら誰が大将りゅうび幽州ゆうしゅうの皆との間を取り持つんだよ。


 おりゃあ残って連絡係になるよ。そういう役も必要だろ。なんかあったらまずはおれに連絡してくれ。そうすりゃ他の皆にも話を伝えてやるぜ」


「すまんな、簡雍かんよう


 では、俺たちは雒陽らくように行こう!」


 僕らは洛陽らくように向けて出発した。

 憧れの大都市・洛陽らくように行けるとあって僕は喜び浮かれていた。


 だが、憧ればかりに気を取られて、新たな動乱の時代がすぐそこまで迫っていることを僕はまだ知らずにいた。


 後漢ごかんの首都・洛陽らくよう。三国志の英雄が集結し、一人の魔王の登場により、その英雄は各地に散って群雄割拠の時代が始まっていく。

 その集結する地こそ洛陽らくよう。そして、魔王の登場の時までは刻一刻と迫っていた。


《続く》


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