目次
ブックマーク
応援する
5
コメント
シェア
通報

第三十四話 督郵(六)

「うわっ!


 何をする!」


 僕は督郵とくゆうから振り下ろされたじょうの一撃を咄嗟とっさに避けた。


 思わず僕の手は腰の剣に伸びた。

 しかし、相手は督郵とくゆう。斬り捨てるわけにもいかず、すぐにその手を引っ込めた。


 だが、その手の動きを督郵とくゆうは決して見逃しはしなかった。


「どうした?


 私を切るつもりか?


 その剣を抜けば県尉りゅうび諸共しょっ引いてやるわ!」


 どうにも相手が悪すぎる。已む無く僕は逃げようとするが、すぐに督郵とくゆうに引き止められた。


「逃げるな!


 逃げれば宿舎にぬすみに入った罪でお前を捕らえるぞ!」


 既に相手は僕の正体も知っている。下手に逃げれば劉備りゅうびらにも責任が飛ぶだろう。

 早く関羽かんうの件を解決したいばかりにあせって失敗してしまった。


「さあ、そこに座れ!


 貴様の無礼へ罰を与える!」


 劉備りゅうびに迷惑をかけることは出来ない。僕はその場にひざまずき、督郵とくゆうの罰を受けることになった。


「ほら、一! 二!」


 「ビシッ」「バシッ」と僕の身体は何度もじょうで打たれた。激痛に身悶みもだえながらも、歯を食いしばり、仲間を思って必死に耐え続けた。


「ウグ……グッ……!」


「十九! これで二十!」


 督郵とくゆうの「二十」の声に合わせて、渾身こんしんの一撃が放たれた。

 僕は思わず叫び声を上げて、前のめりに倒れた。


「どうした!


 罰はまだ終わってないぞ!」


「おい! 何をしている!」


 そこに現れたのは僕らの大将・劉備りゅうび

 さらに続けて手を後ろで縛られた関羽かんう、その縄を引く張飛ちょうひ、そして簡雍かんよう劉備りゅうび軍団が続けて宿舎へと入ってきた。


県尉りゅうび殿、何故ここに!」


関羽かんうを連れてきた。


 だが、それどころではないようだ。


 督郵とくゆう殿、貴方が先ほど杖打じょううちしていたのは我が郎党ではございませんか?」


 そう言いながら劉備りゅうびは一歩、また一歩とこちらに近づいてくる。徐々に近寄ってくるその顔は明らかに怒りを含んでいた。


 そのあまりの形相に、督郵とくゆうは少したじろぎながら答えた。


「こ、この男が我が宿舎に侵入し、無礼を働いたので罰を与えたのだ」


 督郵とくゆうからすれば理はこちらにあると言わんばかりであった。だが、劉備りゅうびは決してひるむこと無く進み続ける。


「我が郎党が無礼を働いたことは謝罪する。済まなかった。


 だが、督郵とくゆうである貴方は罪状を報告するのが役目。罰を与えるのは職分から外れていると思いますが?」


 いよいよ間近に迫った劉備りゅうびの迫力と正論に、督郵とくゆうも圧倒されて言葉を詰まらせる。


「ウッ……そ、それは……。


 こいつは無官の男だ! 督郵とくゆうとしてではなく、士大夫したいふとして罰しているのだ!」


 苦しい言い訳をする督郵を劉備りゅうびはキッとにらみ、相手を圧するほどの大声を上げた。


「ならば、私も県尉けんいとしてではなく、この男の大将として対処しよう。


 テメー、うちの郎党に何してやがる!!!」


 劉備りゅうびの当然のドスの効いたセリフが辺りに響き渡った。そのあまりの迫力に督郵とくゆうは思わず跳び上がり、一、二歩後ろへと下がった。


「い、いや、だからこれは……」


 言い淀む督郵とくゆうに、劉備りゅうびの傍らに控える張飛ちょうひが一歩前に進み出てくる。


「兄貴、ここはオレが!」


張飛ちょうひ、控えろ!


 これは大将の仕事だ!」


「へ、へい……」


 劉備りゅうびにらむ眼光に、張飛ちょうひも思わず尻込みして後ろに引き下がった。


 その眼光そのままに、劉備りゅうびはその目線を督郵とくゆうへと移した。


「先ほどの劉星りゅうせいへの杖打じょううちは二十と言ってたな……」


 劉備りゅうびは再び督郵とくゆうに向かってゆっくりと近づいた。

 そして、狼狽うろたえる督郵とくゆうからじょうを奪い取ると、彼に掴みかかって、脇に抱えた。


「お、おい何をする!


 だ、誰か助けんか!」


 督郵とくゆうが絶叫を上げて助けを求めると、周りにいた彼の馭者ぎょしゃや県兵たちが恐れながらも劉備りゅうびに近づき、彼の行動を止めようとする。


劉県尉りゅうび、お止めください!


 どんな理由をつけようと、今ここで貴方が督郵とくゆうを罰せれば県尉けんいのままではいられませんよ!」


 県兵はそう叫んで劉備りゅうびを引き止めようとする。劉備りゅうびがどう言ったところで、彼が県尉けんいで、相手が郡の督郵とくゆうであることに変わりはない。

 これだけの目撃者の前で罰せれば、言い逃れのしようもない。


「言いたいことはそれだけか!」


 しかし、劉備りゅうびはそう一言だけ述べ、周囲を「ギロリ」とにらみつけた。その迫力に気圧けおされて周囲の誰もそれ以上踏み出そうとはしなかった。


 周囲を黙らせた劉備りゅうびは、督郵とくゆうを脇に抱えたまま、馬をつなぐ柱へと歩み出した。


「ま、待て! 何をするつもりだ!」


 劉備りゅうび督郵とくゆうの声に応えず、彼をその柱へとくくりつけた。


「おい、県尉けんいがこんなことしてもいいと思っているのか!」


 全く躊躇ちゅうちょする様子のない劉備りゅうびを、督郵とくゆうは責めた。県尉けんい督郵とくゆうを罰するなんて前代未聞だ。

 それをこんな衆人環視のもとでやるのかと督郵とくゆう劉備りゅうびなじった。

 しかし、そんな非難で劉備りゅうびひるんだりしない。


「言ったはずだ。今の俺は安喜県あんきけんじゃねぇ!


 劉星りゅうせいらの大将・劉備りゅうびだ!」


 縛り上げられ身動きの取れない督郵とくゆう。その前に劉備りゅうびが仁王立ちをして手にしたじょうを構えた。


劉星りゅうせいを殴った数は『二十』だったな……!


 ならば、十倍だ……!


 杖打じょううち『二百』で許してやろう」


 そう言い、劉備りゅうびは手に持つじょうを振りかぶる。


 彼の本気を感じ取り、督郵とくゆうおびえながら彼に訴えた。


「ま、待て!


 例え、お前がどう言おうと、県尉けんいの地位にある者が督郵とくゆうを殴ればタダではすまんぞ!

 その県尉けんいの地位がそのままだと思うな!」


「そうだな」


 劉備りゅうびは懐より伸びたじゅほどいた。そして、県尉けんいの証である官印の入ったそのじゅ督郵とくゆうの首に結びつけた。


「ど、どういうつもりだ!」


県尉けんいの地位は返上だ。


 俺は県尉けんいである前にコイツらの大将だ。優先順位は間違っちゃいけねぇ。


 コイツらのために地位があるんだ。地位のためにコイツらがいるんじゃねぇ」


劉備りゅうび……!」


 僕は痛む身体を押さえながら、啖呵たんかを切る劉備りゅうびを見上げた。

 その姿は物語に出てくる劉備りゅうびとは全く違いながらも、大将の器にふさわしい姿であった。


「さて、そろそろ罰の時間といこうか」


 いよいよ身の危険が間近に迫り、督郵とくゆうはついに折れた。


「ま、待て、わかった!


 関羽かんうの件は無かったことにしよう!

 私がなんとか諦めてもらえるよう説得する。


 だから、それでその男の件は水に流してくれ!」


 ついに督郵とくゆうから関羽かんうの件を帳消しにするという言質げんちを取ることが出来た。

 これを見逃してはならないと、僕も劉備りゅうびに止めに入った。


「りゅ、劉備りゅうび、今回の件は関羽かんうのことを許してもらおうと思ったのが発端だ。


 関羽かんうの件が無かったことになるなら、もういいんじゃないか?


 僕のことはもういいから」


 しかし、劉備りゅうびは決して止まろうとはしなかった。


劉星りゅうせい、そいつはダメだ。


 関羽かんうの件は大事だ。

 だが、そいつはお前の件とは別件だ。


 劉星りゅうせい関羽かんうも俺の大事な郎党だ。役割の違いはあれ、向ける情に優劣があっちゃならねぇ。


 誰かの犠牲と引き換えに、別の誰かを助けるようなことはしちゃならねぇ!


 行くぞ、督郵とくゆう!」


「ま、待て……」


 しかし、もはや督郵とくゆうの言葉に劉備りゅうびは聞く耳を持たない。彼はじょうを振り上げ、僕の時と同じように「ビシッ」「バシッ」と打ち据え始めた。


 最初は「ギャッ」とか「グワッ」と叫んでいた督郵とくゆうであったが、徐々に言葉は減っていった。百を数える頃にはもはやピクリとも動かなくなった。

 しかし、劉備りゅうびはそれでもその手を緩めはしない。先ほど宣言した通り、二百を目指して殴り続けた。


 ついに杖打じょううちは二百回に達し、劉備りゅうびはようやくその手を置いた。その時には督郵とくゆうは息も絶え絶えで、生死さえよくわからないような状態であった。


「よし、ちょうど二百だ。


 これでケジメはついたな。


 では、俺たちはこの町を去るか」


 そう言い、劉備りゅうびは僕の方へと振り返った。

 彼の表情は先ほどまでの怒りに満ちたものから変わり、カラッと晴れたような顔つきであった。


「すまない。劉備りゅうび


 自分が先走ったばかりにこんなことになってしまって……」


 結局、歴史の通りに劉備りゅうび県尉けんいの地位を返上してしまった。僕は申し訳なさからただただ謝ることしか出来なかった。


 謝る僕に劉備りゅうびは近寄ってきて話し始めた。


《続く》

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?