「これは敵の罠か!
さては誰か裏切ったな!
出てこい!
まずはそいつから血祭りに上げてやる!」
奇襲を仕掛けようとした我が軍は反対に敵軍数万の包囲を受けることになりました。罠に嵌まったのは私の方だったのです。
私は偽りの情報を持ってきた裏切り者がいると、自分の配下に怒りを向けました。
ですが、その時、私の配下であった者たち全てが、私に刃を向けてきたのです。
「裏切り者は俺たち全員だ!
もう、あんたの命令を聞くのはまっぴらだ!」
「お前たち……」
味方は私一人。敵は千人の元配下と、その周囲を取り囲む白波賊。とても勝負にはならない。
私は無我夢中で血路を開き、なんとか抜け出すことに成功しました。
それからは白波賊によって私の首には懸賞金が掛けられました。そのために故郷に戻ることも出来ず、逃亡生活となりました。
その道中、盗賊に襲われていたとある商団に出会しました。私は気まぐれと腹いせでその商団を助けました。それが、張世平殿の一団でした。
それから世平殿の厄介となりました。そして、そこで劉備殿、貴方の名を聞き、是非とも傘下に加えていただきたいと思い、やってきたというわけです。
〜〜〜
そこで関羽の回想は終わった。
そうか、関羽がやたら盗賊に詳しいと思っていたが、元盗賊であったのか。道理で頼りになるわけだ。元万引き犯に万引き対策を聞くようなものか。
話が終わってまずは劉備が口を開いた。
「なるほど、関羽、お前の過去はよくわかった。
しかし、一つ聞いていいか?
お前はかつて一応は千人も率いていた男だろ?
俺は百人程度しか仲間にいなかったぞ。お前からしたら格下ではないのか?
何故、俺のところに来た?」
劉備の質問が、早速、関羽に向けて放たれた。
その質問に対して関羽は息を整え、改まった態度で答えた。
「あの時の敗北で、私は力だけでは人を従えることはできないということを知りました。
そんな中、涿郡の劉備殿は力で従えるわけでもなく、人を集めるのことが出来るお人だと聞き及びました。
力だけでは限界があります。義心によって人を惹きつける貴方であれば、今は人はまだ少なくとも、そのうちに多くの者が貴方を慕うことでしょう。
そう思い、私は貴方に従うことを決めたのです」
そこまで話したところで関羽は覚悟を決めた様子で席を立った。
「ですが、こうなってしまっては仕方ありません。督郵の下に出頭致しましょう」
関羽はそう言いながら、その場に立ち上がった。
それに対する劉備は、腕を組んで目をつむり、しばし考え込んだかと思うと、カッと目を見開いて膝を叩いた。
「そうだな。
関羽が盗賊の頭目であることが明らかになった今、庇い立てすることは出来ない。
関羽を督郵に差し出そう!」
関羽の話を聞いた劉備はなんと、彼を引き渡すと言い出したのであった。
「張飛!」
劉備が張飛の名を呼ぶと、すぐに彼は目の前に推参した。
「兄貴、オレならここにいます!」
「張飛、関羽を拘束しろ!」
「任せてくだせぇ!」
張飛は意気揚々と縄を手に関羽へと迫る。
対する関羽は平手を前に出し、それを断ろうとする。
「私は逃げも隠れもしません。拘束する必要はありません」
「うるせぇ!
兄貴が拘束しろって言ってんだ!
お前は黙って縛られてろ!」
そう言うと張飛は関羽の身体に縄をグルグルと巻きつけ、最後に手を後ろに回して縛り上げた。
その一連の流れに簡雍ら周りの者たちは誰も声も上げず、つつがなく話が進んでいく。
そのあまりにもスムーズな流れに僕は驚いて、慌てて止めに入った。
「ま、待ってくれ!
関羽は僕らの仲間だろう!
それを差し出すなんてとんでもない!」
「劉星、これは決定事項だ。
余計なことをするな!」
僕は関羽の引き渡しを阻止しようと、必死に訴えた。
だが、劉備はまるで聞く耳を持たないようで、僕を一喝して退けた。
次に僕は助けを求めるように周りを見回した。だが、成彦祖達ら、劉備軍の武将たち皆、納得した様子で静かに流れを見守っている。張飛に至っては嬉々として関羽を縛り上げている始末だ。
そんな中で一人、簡雍は少し気不味そうな表情で、劉備に進言した。
「大将、関羽を引き渡した後に追加で要求をされちゃたまりませんぜ。
まずは関羽の引き渡しだけでいいのか。相手の要求を今一度はっきりと確認しておくべきじゃありやせんか?」
その言葉に劉備は大きく頷いて答える。
「簡雍の言う通りだ。先に相手の要求を今一度確認しておこう。
確認が終わるまで関羽をこの部屋の奥に軟禁しておけ。張飛、任せるぞ」
「お任せを!」
張飛は笑顔で関羽を引き連れると、部屋の奥へと消えていった。
僕がほとんど口を挟む暇もなく、関羽引き渡しが決まってしまった。
そして、劉備は要求を再確認するためにすぐさま督郵のいる宿舎へと足を運んだ。
それを見送ると、簡雍は後ろへと振り返った。
「劉星、今はとりあえず大人しくしておけ。大将にも考えが……
あれ、劉星? あいつどこ行きやがった?」
てっきり後ろに劉星がいるとばかり思って語っていた簡雍であったが、そこに彼の姿は既に無かった。
〜〜〜
督郵の泊まる宿舎の前に、劉備は出向いていた。
「督郵殿!
県尉の劉備です。扉を開けていただけないでしょうか!」
劉備が宿舎の扉を叩くと、中から督郵の馭者が出てきて、彼を奥へと引き入れた。
僕はその様子を隣の建物の陰から密かに見ていた。
「劉備は宿舎の中に通されたか。
恐らく、このまま関羽引き渡しの話を進めてしまうのだろう」
それからしばらくして、劉備が宿舎より退出していった。彼の表情は喜怒哀楽に乏しく、顔を見ただけでは交渉の成否についてよく読み取ることができない。
だが、劉備が関羽の引き渡しに応じるというのなら、そう難航することもないだろう。
「まずいな。
このまま劉備が関羽を連れて再び宿舎に向かえば、いよいよ取り返しのつかないことになってしまうぞ」
僕は焦った。なんとしても劉備が関羽を引き渡す前にどうにか督郵には帰ってもらわなければならない。
それにしても劉備があんなにあっさりと関羽の引き渡しに応じるとは思わなかった。
この世界の劉備は僕の知ってる物語の中の劉備とは違うながらも、彼なりに大将の器なのだと見ていた。それだけに今回の彼の判断にはガッカリした。
「まさか、あの督郵事件がこんな形になってしまうなんて……」
今回の一大事には僕が積極的に動かなければならない。
劉備たちによる督郵殴打事件。それは三国志の序盤の出来事で、お話を読んだことがある人物にはよく知られている。
事件のあらましは、視察に来た督郵が劉備に賄賂を要求。劉備はそれを拒否したため、腹を立てた督郵は無実の罪をでっち上げて陥れようとする。それに激怒した張飛は督郵を縛り上げ、棒で殴りつけた。
この事件をキッカケに、劉備は県尉を辞し、そのまま安喜県を去ってしまう。
僕は督郵が来ると聞いて、この事件を思い出した。
しかし、この世界の劉備は清廉な仁徳の持ち主ではなく、賄賂を用意するような周到っぷりで、僕は歴史は変わると安心していた。
だが、歴史は変わらなかった。
いや、むしろ悪化してしまった。
賄賂ではなく、関羽と形は違っていたが、督郵が無理難題を要求してくることに変わりはない。
「こんなの賄賂よりも余程たちが悪いじゃないか!
まだ、賄賂なら用意出来るが、関羽を差し出すなんて……。
関羽は絶対に引き渡すべきではない!」
関羽は劉備陣営には無くてはならない人物だ。彼は劉備軍の中心的な武将として、将来、大活躍する。
しかし、それは未来の話だ。
今の関羽はまだ劉備軍に加わって数ヶ月。そこまで皆と馴染んではいない。さらに元盗賊の頭目という隠していた過去が明らかとなってしまった。
そのためか皆、関羽を救うことに消極的だ。この状況、それでも関羽を救おうというのも無理な話なのかもしれない。
オマケに劉備までもが関羽引き渡しに積極的だ。
このままでは本当に関羽を引き渡してしまうことになってしまう。
だが、関羽を引き渡せば劉備軍に待っているのは破滅だ。なんとしても阻止しなければならない。
とにかく今は時間がない。しかし、督郵は宿舎に籠もって外に出る様子がない。
「こうなったら無理にでも宿舎に侵入して、督郵に直談判するしかないか!」
僕は意を決して宿舎に向けて歩を進めた。
《続く》