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第三十二話 督郵(四)

「これは敵の罠か!


 さては誰か裏切ったな!


 出てこい!


 まずはそいつから血祭りに上げてやる!」


 奇襲を仕掛けようとした我が軍は反対に敵軍数万の包囲を受けることになりました。罠にまったのは私の方だったのです。


 私は偽りの情報を持ってきた裏切り者がいると、自分の配下に怒りを向けました。


 ですが、その時、私の配下であった者たち全てが、私に刃を向けてきたのです。


「裏切り者は俺たち全員だ!

 もう、あんたの命令を聞くのはまっぴらだ!」


「お前たち……」


 味方は私一人。敵は千人の元配下と、その周囲を取り囲む白波賊はくはぞく。とても勝負にはならない。

 私は無我夢中で血路を開き、なんとか抜け出すことに成功しました。


 それからは白波賊はくはぞくによって私の首には懸賞金が掛けられました。そのために故郷に戻ることも出来ず、逃亡生活となりました。

 その道中、盗賊に襲われていたとある商団に出会でくわしました。私は気まぐれと腹いせでその商団を助けました。それが、張世平ちょうせいへい殿の一団でした。


 それから世平せいへい殿の厄介となりました。そして、そこで劉備りゅうび殿、貴方の名を聞き、是非とも傘下に加えていただきたいと思い、やってきたというわけです。


 〜〜〜


 そこで関羽かんうの回想は終わった。


 そうか、関羽かんうがやたら盗賊に詳しいと思っていたが、元盗賊であったのか。道理で頼りになるわけだ。元万引き犯に万引き対策を聞くようなものか。


 話が終わってまずは劉備りゅうびが口を開いた。


「なるほど、関羽かんう、お前の過去はよくわかった。


 しかし、一つ聞いていいか?


 お前はかつて一応は千人も率いていた男だろ?

 俺は百人程度しか仲間にいなかったぞ。お前からしたら格下ではないのか?


 何故、俺のところに来た?」


 劉備りゅうびの質問が、早速、関羽かんうに向けて放たれた。


 その質問に対して関羽かんうは息を整え、改まった態度で答えた。


「あの時の敗北で、私は力だけでは人を従えることはできないということを知りました。


 そんな中、涿郡たくぐん劉備りゅうび殿は力で従えるわけでもなく、人を集めるのことが出来るお人だと聞き及びました。


 力だけでは限界があります。義心によって人をきつける貴方であれば、今は人はまだ少なくとも、そのうちに多くの者が貴方を慕うことでしょう。

 そう思い、私は貴方に従うことを決めたのです」


 そこまで話したところで関羽かんうは覚悟を決めた様子で席を立った。


「ですが、こうなってしまっては仕方ありません。督郵とくゆうの下に出頭致しましょう」


 関羽かんうはそう言いながら、その場に立ち上がった。

 それに対する劉備りゅうびは、腕を組んで目をつむり、しばし考え込んだかと思うと、カッと目を見開いて膝を叩いた。


「そうだな。


 関羽かんうが盗賊の頭目であることが明らかになった今、かばい立てすることは出来ない。


 関羽かんう督郵とくゆうに差し出そう!」


 関羽かんうの話を聞いた劉備りゅうびはなんと、彼を引き渡すと言い出したのであった。


張飛ちょうひ!」


 劉備りゅうび張飛ちょうひの名を呼ぶと、すぐに彼は目の前に推参した。


「兄貴、オレならここにいます!」


張飛ちょうひ関羽かんうを拘束しろ!」


「任せてくだせぇ!」


 張飛ちょうひは意気揚々と縄を手に関羽かんうへと迫る。

 対する関羽かんうは平手を前に出し、それを断ろうとする。


「私は逃げも隠れもしません。拘束する必要はありません」


「うるせぇ!


 兄貴が拘束しろって言ってんだ!


 お前は黙って縛られてろ!」


 そう言うと張飛ちょうひ関羽かんうの身体に縄をグルグルと巻きつけ、最後に手を後ろに回して縛り上げた。


 その一連の流れに簡雍かんようら周りの者たちは誰も声も上げず、つつがなく話が進んでいく。


 そのあまりにもスムーズな流れに僕は驚いて、慌てて止めに入った。


「ま、待ってくれ!


 関羽かんうは僕らの仲間だろう!


 それを差し出すなんてとんでもない!」


劉星りゅうせい、これは決定事項だ。


 余計なことをするな!」


 僕は関羽かんうの引き渡しを阻止しようと、必死に訴えた。

 だが、劉備りゅうびはまるで聞く耳を持たないようで、僕を一喝して退けた。


 次に僕は助けを求めるように周りを見回した。だが、成彦せいげん祖達そたつら、劉備りゅうび軍の武将たち皆、納得した様子で静かに流れを見守っている。張飛ちょうひに至っては嬉々として関羽かんうを縛り上げている始末だ。


 そんな中で一人、簡雍かんようは少し気不味そうな表情で、劉備りゅうびに進言した。


大将りゅうび関羽かんうを引き渡した後に追加で要求をされちゃたまりませんぜ。


 まずは関羽かんうの引き渡しだけでいいのか。相手の要求を今一度はっきりと確認しておくべきじゃありやせんか?」


 その言葉に劉備りゅうびは大きく頷いて答える。


簡雍かんようの言う通りだ。先に相手の要求を今一度確認しておこう。


 確認が終わるまで関羽かんうをこの部屋の奥に軟禁しておけ。張飛ちょうひ、任せるぞ」


「お任せを!」


 張飛ちょうひは笑顔で関羽かんうを引き連れると、部屋の奥へと消えていった。


 僕がほとんど口を挟む暇もなく、関羽かんう引き渡しが決まってしまった。


 そして、劉備りゅうびは要求を再確認するためにすぐさま督郵とくゆうのいる宿舎へと足を運んだ。


 それを見送ると、簡雍かんようは後ろへと振り返った。


劉星りゅうせい、今はとりあえず大人しくしておけ。大将りゅうびにも考えが……


 あれ、劉星りゅうせい? あいつどこ行きやがった?」


 てっきり後ろに劉星りゅうせいがいるとばかり思って語っていた簡雍かんようであったが、そこに彼の姿は既に無かった。


 〜〜〜


 督郵とくゆうの泊まる宿舎の前に、劉備りゅうびは出向いていた。


督郵とくゆう殿!


 県尉けんい劉備りゅうびです。扉を開けていただけないでしょうか!」


 劉備りゅうびが宿舎の扉を叩くと、中から督郵とくゆう馭者ぎょしゃが出てきて、彼を奥へと引き入れた。


 僕はその様子を隣の建物の陰から密かに見ていた。


劉備りゅうびは宿舎の中に通されたか。


 恐らく、このまま関羽かんう引き渡しの話を進めてしまうのだろう」


 それからしばらくして、劉備りゅうびが宿舎より退出していった。彼の表情は喜怒哀楽に乏しく、顔を見ただけでは交渉の成否についてよく読み取ることができない。

 だが、劉備りゅうび関羽かんうの引き渡しに応じるというのなら、そう難航することもないだろう。


「まずいな。


 このまま劉備りゅうび関羽かんうを連れて再び宿舎に向かえば、いよいよ取り返しのつかないことになってしまうぞ」


 僕は焦った。なんとしても劉備りゅうび関羽かんうを引き渡す前にどうにか督郵とくゆうには帰ってもらわなければならない。


 それにしても劉備りゅうびがあんなにあっさりと関羽かんうの引き渡しに応じるとは思わなかった。

 この世界の劉備りゅうびは僕の知ってる物語の中の劉備りゅうびとは違うながらも、彼なりに大将の器なのだと見ていた。それだけに今回の彼の判断にはガッカリした。


「まさか、あの督郵とくゆう事件がこんな形になってしまうなんて……」


 今回の一大事には僕が積極的に動かなければならない。


 劉備りゅうびたちによる督郵とくゆう殴打事件。それは三国志の序盤の出来事で、お話を読んだことがある人物にはよく知られている。


 事件のあらましは、視察に来た督郵とくゆう劉備りゅうび賄賂わいろを要求。劉備りゅうびはそれを拒否したため、腹を立てた督郵とくゆうは無実の罪をでっち上げて陥れようとする。それに激怒した張飛ちょうひ督郵とくゆうを縛り上げ、棒で殴りつけた。


 この事件をキッカケに、劉備りゅうび県尉けんいを辞し、そのまま安喜県あんきけんを去ってしまう。


 僕は督郵とくゆうが来ると聞いて、この事件を思い出した。

 しかし、この世界の劉備りゅうび清廉せいれんな仁徳の持ち主ではなく、賄賂わいろを用意するような周到っぷりで、僕は歴史は変わると安心していた。


 だが、歴史は変わらなかった。


 いや、むしろ悪化してしまった。


 賄賂わいろではなく、関羽かんうと形は違っていたが、督郵とくゆうが無理難題を要求してくることに変わりはない。


「こんなの賄賂わいろよりも余程たちが悪いじゃないか!


 まだ、賄賂わいろなら用意出来るが、関羽かんうを差し出すなんて……。


 関羽かんうは絶対に引き渡すべきではない!」


 関羽かんう劉備りゅうび陣営には無くてはならない人物だ。彼は劉備りゅうび軍の中心的な武将として、将来、大活躍する。


 しかし、それは未来の話だ。


 今の関羽かんうはまだ劉備りゅうび軍に加わって数ヶ月。そこまで皆と馴染んではいない。さらに元盗賊の頭目という隠していた過去が明らかとなってしまった。


 そのためか皆、関羽かんうを救うことに消極的だ。この状況、それでも関羽かんうを救おうというのも無理な話なのかもしれない。


 オマケに劉備りゅうびまでもが関羽かんう引き渡しに積極的だ。

 このままでは本当に関羽かんうを引き渡してしまうことになってしまう。

 だが、関羽かんうを引き渡せば劉備りゅうび軍に待っているのは破滅だ。なんとしても阻止しなければならない。


 とにかく今は時間がない。しかし、督郵とくゆうは宿舎にもって外に出る様子がない。


「こうなったら無理にでも宿舎に侵入して、督郵とくゆうに直談判するしかないか!」


 僕は意を決して宿舎に向けて歩を進めた。


《続く》

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