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第三十一話 督郵(三)

 督郵とくゆうは落ち着いた様子で、劉備りゅうびに対して関羽かんうの過去の続きを話し始めた。


「当時、長生かんうは武勇に秀でた人物として知られていました。それは貴方の方がよく知っていることでしょう。


 そのような人物が行方をくらましたままでは、白波賊はくはぞくは安心できません。いつ暗殺されるかもわかりません。


 そのため、白波賊はくはぞくは独自に長生かんう懸賞けんしょうを掛けました。さらには度々、河東かとうの一帯に侵攻し、長生かんう行方ゆくえを追いました。


 李使君りしくん冀州きしゅうに来ておりますが、その一族はまだ河東郡かとうぐんにおり、日々、白波賊はくはぞくの侵攻におびえているのです」


 そこまで言われて、劉備りゅうびもようやく合点がいった。


「それはつまり、関羽かんうの身柄を白波賊はくはぞくに引き渡し、李使君りしくんの一族の安全を図ろうということですか?」


 関羽かんう白波賊はくはぞくとの取引材料に使われようとしているのだ。


「理解が早くて助かります。


 河東かとうの安全のためにも長生かんうの身柄が必要なんです」


「しかし、白波賊はくはぞくは何も関羽かんうのためだけに河東郡かとうぐんに侵攻しているわけではないでしょう。


 彼らは所詮、盗賊です。関羽かんうを引き渡しても、その脅威が無くなることはありません」


 盗賊は略奪によって生活基盤を得ている集団だ。関羽かんうの身柄を引き渡したとしてもその事実が変わるわけではない。

 劉備りゅうび関羽かんうを引き渡すことの無意味さを説いた。


 しかし、督郵とくゆうは表向きは河東かとうの安全のためと言っているが、その本心は上司の李邵りしょうへの追従であった。その彼に劉備りゅうびの言葉は届きはしなかった。


「それは貴方の心配することではありません。


 貴方が長生かんうを引き渡せば、この冀州きしゅうから盗賊の首領が一人姿を消し、さらには河東郡かとうぐんの安全まで手に入るのです。


 貴方は戻って長生かんうを引き渡しなさい。


 それが私の唯一の要求です」


 表向きには冀州きしゅう河東郡かとうぐんの安全という大義名分。裏向きには上司へのご機嫌取りという私利私欲。

 この二つを崩さぬ以上、劉備りゅうびは返す言葉も無かった。


 これ以上の滞在は無駄と悟った劉備りゅうびは一礼して督郵とくゆうの宿舎より去った。


 その去り際、督郵とくゆう劉備りゅうびささやいた。


「これからの時代は郡や県といった小さな集まりで物事を考えてはいけません。この先は州という大きな枠組みで物事を考えねばなりません。


 貴方も刺史ししへの忠誠を示しなさい。そうすれば良き道も開けることでしょう」


 得意気に語る督郵とくゆうに対して、劉備りゅうびは何も言わずに宿舎を去っていった。


にもかくにも、関羽かんうからも話を聞かねば真偽がわからん。


 関羽かんうのところに急ごう」


 劉備りゅうび関羽かんうに事情を聞くために、自身の庁舎へと戻って行った。


 〜〜〜


 督郵とくゆうの宿舎より帰ってきた劉備りゅうび暗澹あんたんたる顔をしていた。


 真っ先にその姿を見つけた僕は、急いで劉備りゅうびに駆け寄って話しかけた。


劉備りゅうび、もしかして督郵とくゆうとの話は上手くいかなかったのか?」


 僕に続いて、関羽かんう張飛ちょうひらも劉備りゅうびの帰還に気付いて、庁舎より出てきて集まってきた。


 劉備りゅうび関羽かんうを見つけると、そちらへと視線を向けた。


「督郵の件についてだが……関羽かんう


 君の過去について色々と話を聞いた。そして、督郵とくゆうは君を引き渡せと要求してきた。


 うちの陣営に来た者の過去は不問にする。それが、我が軍の決まりだ。

 だから、無理には詮索しない。


 だが、もしよければ君のことを教えてはくれないか?」


 そう言われ、僕らは一斉に関羽かんうの方へと振り向いた。


督郵とくゆう関羽かんうの引き渡しを要求してきた?


 知らないぞ、そんな歴史)


 僕は事態が飲み込めないでいた。

 確かに関羽かんうの過去についてはまだわからないことが多い。

 しかし、この督郵とくゆうとの一件で、まさか関羽かんうの過去が絡んでくるとは予想していなかった。


 当の本人の関羽かんうは、観念したかのようにため息をついた。


「そうですか。私の過去を……。


 そう言われては仕方がありません。全てをお話しましょう」


 僕らは庁舎の中へと場所を移し、関羽かんうを囲むように座った。


 先に口を開いたのは劉備りゅうびの方であった。


「俺が督郵とくゆうから聞いた話では、関羽かんう、君はかつて長生ちょうせいと名乗り、河東郡かとうぐんで盗賊をやっていた。


 そして、白波賊はくはぞくに敗れ、そのまま行方ゆくえくらました、ということであった」


 それは未来から転生してきた僕も知らない話であった。


 確かに劉備りゅうびと合流する前の関羽かんうについては物語でもよくわからない。悪い役人を斬ったためにお尋ね者になったとか、そんな話は聞いたことがあったが、盗賊というのは初耳だ。


 しかし、この世界の住人は僕の知っている三国志の人物とは少し違う。この世界の関羽かんうはそういう出自なのかもしれない。


「なるほど、大方はまちがっておりませんな。


 私は幼少の時分より体に恵まれ、人よりも力がありました。そして、武芸を習えば数年で師に勝てるほどの腕前に至りました。


 そのために昔は自分こそ特別な人間だと、おごっておりました」


 そう語る関羽かんうはどこか遠くを見つめ、後悔を含んだような瞳をしていた。


 それから関羽かんうは自分の過去を語り始めた。


 〜〜〜


河東かとう一の武芸者というからわざわざ楊県ようけんまで出向いたというのに、まるで歯ごたえがなかったな。


 やはり、この河東かとうで俺に勝る者はおらんか」


 身体に恵まれた私は、十七、八の頃には村一番の強者となっておりました。それに飽き足らず、強いと聞けば他県にまで赴いて相手を倒して回る日々を送っておりました。あの頃の私は自身の力に溺れておりました。


 そんなある日の帰り道、奴らに出会でくわしました。


「今日もいい収穫だったな!」


「これも全て頭目のおかげです!」


「ガッハッハ。


 この辺りで俺より強い奴はいないからな。盗み放題よ!」


 それはとあるさびれたびょうの前に三百人ほどの盗賊の一団がたむろしていました。奴らはその日の成果を前に盛大な酒盛りをしておりました。


「奴ら、最近名前を聞く盗賊か。


 『俺より強い奴はいない』か。大きく出たな。


 良いだろう。その腕、試してやろう」


 怖い物知らずであった私はそのまま盗賊の中へと入っていきました。宴会の最中ということもあって、咎められることも無く入っていけました。


「なんだ、お前は?」


「おい、なんかあったのか?」


 しかし、まっすぐ頭目の元へと向かう私を、次第に周囲の者たちは騒ぎ出しました。ですが、あまりにも堂々と進むものだから、取り押さえようという者も現れませんでした。


「なんだ、テメー。


 見ねえ顔だな?」


 私は何不自由なく頭目の目の前へと行くことができました。


「ヒック、テメーもしかして俺たちの仲間に入りてぇのか?


 ここまで来たクソ度胸に免じて腕を試してやってもいいぞ」


「そうだな、試してもらおうか」


「ああん!


 なんだ、その態度は!

 ナメてんのか!」


 頭目が剣を抜いて立ち上がろうとした瞬間、私は護身用の刀を抜き放ち、その男を頭から真っ二つに斬り捨てました。


 あまりに突然の出来事で、盗賊たちも何が起きたのか理解出来ず静まり返りました。


「テメー、何しやがる!」


 頭目の側近くにいた数人の男たちは激昂すると、各々矛や剣を手に立ち上がり、襲いかかってきました。


「まるで遅い!」


 私は返す刀で男たちを即座に斬り伏せました。


「もっと強い者はいないのか!」


 私は盗賊の連中相手に叫びましたが、もはや誰も応ずる者はおりませんでした。


「貴方様より強い者はおりません。


 我々は貴方様に従います」


 残った盗賊たちは私の腕に恐れをなして、一人残らず家来となりました。

 その日から私は盗賊の新たな頭目となったのです。


 盗賊の頭目には自らに別に名をつける風習がありました。白馬に乗るから張白騎ちょうはくき、敏捷であるから張飛燕ちょうひえんというように。


「名前ばかりいかめしいのは俺の趣味ではないな。


 そうだな。俺は誰よりも武芸に長じている。

 『長生ちょうせい』と名乗ろう」


 これが盗賊・長生ちょうせいの誕生でした。


「強いと思う奴は俺と戦え!


 弱いと思う奴は俺に従え!」


 以降、私は盗賊の頭目として近隣の盗賊に戦いを挑んでいきました。強い者がいると聞けば斬り殺していき、残った者を自分の配下へと加えました。

 そうしていつしか、私の配下は千人を数えるまでに増大しました。


「弱いお前たちは俺の言う事を黙って聞いていればいい!」


 あの頃の私は力こそ全てと考えておりました。自分より弱者を見下していました。部下であっても憐憫れんびんの心を持たず、苛烈かれつに扱っておりました。


 しかし、急速に拡大する私はすぐに目をつけられてしまいました。

 相手は山西さんせい(太行たいこう山脈の西側の地域。現在の山西省さんせいしょうを中心とした地帯)一帯を取り仕切る大盗賊・白波賊はくはぞく。奴らは百万とも言われる群衆を率いる大勢力でございました。


「百万の衆といえども山西さんせいを空にして全軍で河東かとうに攻めてくることはない。出てきてもせいぜい、一万くらいの兵力であろう。


 奇襲をかければ我ら千人でも十分勝機はある!」


 そんな中、私の配下が敵の伏兵の居場所を突き止めてきました。私は反対に奇襲をかけようと攻め込んでいきました。


 しかし、告げられた場所で待ち受けていたのは……。


「何故だ! 何故、我が軍が敵に反対に包囲されているんだ!


 俺は敵の罠に嵌められたのか!」


 そこには我々を包囲する数万の白波賊はくはぞくの大軍の姿がありました。罠にまったのは私の方だったのです。


《続く》

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