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第三十話 督郵(二)

 劉備りゅうびは視察に来た督郵とくゆうの言葉に一瞬、固まってしまった。彼は督郵とくゆうの言葉に理解が出来なかった。彼が何か言い間違いをしているのではないかと疑い、改めて聞き返した。


「すみません。もう一度、言って貰えないでしょうか?」


 その言葉に督郵とくゆうは、先ほどの穏やかな雰囲気のままではあったが、わずかに険しさの混じった声色で話し始めた。


「貴方の郎党に関羽かんうという男がいることは調べがついています。


 その男を私に引き渡しなさい」


 やはり、督郵とくゆうの口から出た名前は関羽かんうであった。関羽かんうは新たに劉備りゅうびの軍団に加わった人物だ。武勇に優れ、知識が豊富で、来て早々、軍団の主力になった劉備りゅうびの弟分であった。


 しかし、彼の前歴はまだよくわからない人物でもあった。


「何故、関羽かんうを求められるのでしょうか?


 その理由を教えていただけませんか?」


 劉備りゅうび督郵とくゆうに尋ねた。いくら督郵とくゆうの要請でも関羽かんうの引き渡しに応じることは出来ない。

 だが、督郵が関羽かんうを要求してきた理由も知らないままにすることも出来なかった。


 劉備りゅうびの問いかけに、督郵とくゆうはさらに険しさを増した声で説明を始めた。


「なるほど、貴方はあくまで関羽かんうがどういう人物であるか知らないと言われるのですね。その方がこちらもやりやすいので良いでしょう。


 では、お話しましょう……」


 そう言うと督郵とくゆうは宿舎の床に敷いていたむしろに腰を下ろし、ゆっくりと口を開いた。


関羽かんうという男は、昔は長生ちょうせいと名乗っておりました。

 そして、長生ちょうせいと言えば、彼の故郷・河東郡かとうぐん解県かいけんではよく知られた盗賊の頭領でございました」


 督郵の言葉に劉備りゅうびは驚愕する。


関羽かんうが……盗賊……!」


 初耳の情報に触れ、劉備りゅうびは理解が及ばない様子であった。


 督郵とくゆうはその様子に満足した様子で、さらに話を続けた。


「ええ、貴方は知らなかった。そういうことにしておきましょう。だから、仕方がない事です。


 貴方が長生ちょうせいかくまったことは不問としましょう。


 さあ、引き渡しなさい」


 督郵とくゆうはあくまで劉備りゅうびの芝居というていで話を進めてくる。

 しかし、彼の要求に応じられない劉備りゅうびはすぐに言い返す。


「お、お待ち下さい!


 関羽かんうは既に盗賊より足を洗い、今は真面目に県尉けんいの仕事を手伝っております。

 今後も贖罪しょくざいとして安喜県あんきけんのために働かせます。


 ですから、捕らえるのはお待ちいただけないでしょうか?」


 劉備りゅうびの言葉に、督郵とくゆうはため息を混じらせながら話し出した。


県尉りゅうび殿、今の御時世をご存知ですかな?


 蛾賊がぞく(黄巾賊こうきんぞく)が世に蔓延はびこってよりこの方、皇帝陛下(霊帝れいてい)は世を立て直すために様々な改革を行っておられます。


 その中でも特に力を入れているのが、軍備の増強と、地方行政の強化。


 軍備においては中央に西園軍せいえんぐんという直属部隊を新たに作られました。


 そして、地方の強化には、刺史ししの権力を増やし、軍事権を併せて持つ『ぼく』という役職を新設されました。


 県尉りゅうび殿、貴方は州刺史しゅうししの役割をご存知ですかな?」


 突然振られた質問に、劉備りゅうびは言葉を詰まらせながらも答え出した。


「え、えーと、自分の州に属する郡国を回り、官吏の監査を行い、不正あらば中央に報告するのを役目としている役職であるかと記憶しています」


 州刺史しゅうししは州ごとに一人置かれる。

 よく州の長官として紹介されるが、本来の役割は州に属する郡太守ぐんたいしゅ国相こくしょうの仕事を調査し、それを報告するのを職分とする。そのため、郡や国の長官である太守たいしゅ国相こくしょうより、その地位は低かった。


 劉備りゅうびの認識は当時としては至って普通なものであった。

 だが、その解答に督郵とくゆうは否を声高に唱えた。


「貴方の答えは模範解答といえるでしょう。


 しかし、それは認識が古い!


 今は地方行政が強化され、州刺史しゅうしし郡太守ぐんたいしゅ国相こくしょうをまとめる立場となったのです。

 今までは郡を中心に動いていましたが、これからはより大きな州という枠組みを中心に動く時代となったのです!」


 督郵とくゆう劉備りゅうびに畳み掛けるようにさらに強い口調で話し始めた。


「この冀州きしゅうという土地は黄河こうがに面する豊かな土地でありました。

 それが黄巾こうきんの乱、張純ちょえじゅんの乱と立て続けに戦乱の舞台となり、荒廃は進み、治安は悪化の一途いっと辿たどっております。


 この度、新たにこの冀州きしゅう刺史ししとなられた李使君りしくん(使君しくん州刺史しゅうししぼくに対する尊称)は陛下の偉業をたすけるべく、治安の向上に奔走ほんそうされているのです。


 それを盗賊を取り締まるべき立場である県尉けんいが、反対に盗賊をかくまうとはどういう了見ですかな?


 それは使君しくんのみならず、陛下の意向にも逆らう反逆行為ですよ?」


 督郵とくゆう劉備りゅうびに詰め寄り、厳しい口調で問い詰めた。

 これに劉備りゅうび関羽かんうを引き渡してはならじと強い言葉で反論した。


おっしゃられるように関羽かんうは元盗賊なのかもしれません。


 しかし、今は更生し、県の治安のために戦っております。


 それを捕まえてしまっては、他の盗賊たちも更生の道を断つことになりませんか?」


 劉備りゅうびは必死に督郵とくゆうの説得を試みる。関羽かんうは自分の部下となった以上は守らねばならない。自分の言い分に強引さを感じながらも彼は必死に訴えた。


 すると督郵とくゆう劉備りゅうびに近づけていた顔を引っ込め、その場に座り直した。


「先ほどの理由は表向きなものです。


 これから言うのは裏の理由です」


 そう言うと督郵とくゆうは、劉備りゅうびに改めて顔を近づけ、小声で話し出した。

 劉備りゅうびも裏の理由と言われ、その言葉に耳を傾けた。


「貴方は李使君りしくんについてご存知ですか?」


 督郵とくゆうがそう投げかける李使君りしくんとは今の冀州刺史きしゅうしし李邵りしょうの事だ。最近、赴任してきた事は知っているが、それ以上詳しくは劉備りゅうびも知らなかった。


「私より少し前に刺史ししになられた方、としか……」


 言葉をにごすように話す劉備りゅうび。それに対して督郵とくゆうはため息を混じりせながら、たしなめるように話し出した。


使君りしくんは貴方にとっても上司にあたるわけですから、もっとよく知った方が良いでしょう。


 いいですか、李使君りしくんの生まれは河東郡かとうぐんです」


 その発言に劉備りゅうびは即座に反応する。河東郡かとうぐんと言えば、関羽かんうの故郷でもある。つまり、冀州刺史きしゅうしし李邵りしょう関羽かんうとは同郷ということだ。


「もしや、関羽かんうが過去に李使君りしくんの身をおびやかしたことがあるのでしょうか?」


 劉備りゅうびは恐る恐る尋ねた。もし、関羽かんう李邵りしょう仇敵きゅうてきならいよいよかばうのが困難になってしまう。


「直接はありません」


 その一言に劉備りゅうびは一応は胸を撫で下ろした。


 だが、督郵とくゆうはさらに話を続けた。


 「しかし、無関係でもありません。


 県尉りゅうび殿は白波賊はくはぞくというのをご存知ですか?」


白波賊はくはぞく


 確か、山西さんせい(太行たいこう山脈の西側の地域。現在の山西省さんせいしょうを中心とした一帯)辺りを荒らす盗賊でしたか」


 督郵とくゆうからの突然の問いかけであった。

 だが、白波賊はくはぞくについては劉備りゅうびも最近何処かで聞き覚えがあったので、すぐに答えることが出来た。


「そうです。


 白波賊はくはぞく黄巾こうきんの乱以降、各地を侵す匪賊ひぞくの中でも特に大きな勢力の一つです。

 あまりにも強大なため朝廷でさえ、未だ討伐出来ていない大盗賊です。


 貴方の郎党の関羽かんう、その頃は長生ちょうせいと名乗っていましたが、かつて、河東かとう長生かんうは、この白波賊はくはぞくに敗れ、行方知れずとなりました」


 劉備りゅうびは、なるほど、白波賊はくはぞくについて聞いたのは関羽かんうからであったかと内心思いながら、彼の言葉を聞いた。


「既に敗れて、勢力を失っているのなら、もはや、脅威とは言えないのではないでしょうか?」


 劉備りゅうび督郵とくゆうに尋ねた。今現在、白波賊はくはぞくとして猛威を振るっているのならともかく、既に敗れた後というのならもはや、過去の話だ。


 だが、督郵とくゆうの話はそれで終わらなかった。


 彼は関羽かんう白波賊はくはぞく、そして李邵りしょうとの関係を続けて語り出した。


《続く》


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