目次
ブックマーク
応援する
5
コメント
シェア
通報

第二十七話 安喜県(二)

「おう、馮渠ふうきょか!


 お前なら奴らを蹴散らせるはずだ!」


 盗賊の頭目は目の前に立ちはだかる劉備りゅうび関羽かんうらに対して、自身の切り札を投入した。


 進み出てきたその男の身の丈は他の盗賊より頭一つ高く、全身を筋肉で覆われたような巨漢。

 彼は馬より降りると上衣を脱ぎ捨て、その身体に刻まれた無数の傷を相手に見せつけた。


「俺こそは中山国ちゅうざんこく一の勇士・双戟そうげき馮渠ふうきょ


 腕に覚えがあるならかかってこい!」


 馮渠ふうきょと名乗るその男は、二つ名が指し示す通り手に二本の戟を握り、劉備りゅうびらの前に進み出てきた。


「このまま県兵を差し向けてもいいのだが、関羽かんう、相手できるか?」


「兄者、お任せを」


 劉備りゅうび関羽かんうに問いかけると、彼は容易くそれに応じた。


 彼の挑発に応じ、関羽かんうは乗っていた赤褐色の馬より降りると、矛を構えて馮渠ふうきょの前へと進み出た。

 相手の馮渠ふうきょも長身だが、関羽かんうはそれを見下ろすほどの巨体であった。


「我が名は関羽かんう


 馮渠ふうきょと言われるのか。

 いいだろう、お相手いたそう」


 敵の馮渠ふうきょは現れた関羽かんうの二メートルはある巨体に一瞬ひるんだが、すぐに不敵な笑みを浮かべて刃を向けた。


「お前、随分、身体がデカいな。

 だが、デカいだけの奴なんて俺はいくらも倒してきたぜ。


 この双戟そうげきから繰り出される目にも止まらぬ早業についてこれた奴は今まで一人も……」


 馮渠ふうきょの言葉はそこで途切れた。

 「ドスン」という音とともに関羽かんうの矛は目にも止まらぬ早業で馮渠ふうきょの首を貫き、そのまま千切れて血を撒き散らしながら頭は吹き飛ばさらてしまった。

 そして、頭を失った彼の身体はその場にゆっくりと崩れ落ちた。


 そのあまりの光景に、周りは静まり返った。

 そんな中、関羽かんうは一人、何事も無かったかのようにボソボソと喋り出した。


「すまんな。

 あまりにも悠長に喋るものだからつい殺してしまった。


 おや、新品の矛だったのに、私の力に耐えかねて砕けてしまったか。


 やむを得んな。後の者たちには腰の剣で相手をすることにしよう」


 そう言いながら刃の砕けた矛を捨て、腰に手をかけて前に進み出る関羽かんう。それを見て言葉を失っていた盗賊たちはようやく意識を取り戻して狼狽うろたえ出した。


馮渠ふうきょが一撃でられた!


 頭目、どうしやすか?


 あれ、頭目?


 ……あの野郎、一人で逃げやがった!」


 盗賊たちは頭目に助けを求めたが、彼の姿は何処にもない。

 盗賊の頭目は馮渠ふうきょが殺されたのを見ると、一目散に馬を走らせて逃亡を図っていた。


「なんであんな強い奴らがこんな田舎に来てんだよ!」


 彼方に逃げる頭目の姿を追って、劉備りゅうびは、後ろの方へと声をかけた。


「頭目め、部下を置いて逃げやがった。


 劉星りゅうせい、行けるか?」


「ああ、もちろん!」


 ここでようやく僕の出番だ。僕は愛馬・彗星すいせいを敵目掛けて走らせた。


 その様子を見た盗賊の手下たちは冷ややかな言葉を浴びせる。


「頭目の馬は安喜県あんきけん一の駿馬しゅんめだ。


 あんなに離れてちゃ、もう追いつけないぞ!」


 そんな言葉を、劉備りゅうびは一笑に付す。


「そいつはどうかな。


 今から追いかけるのはうち一番の……いや、中華最速の男だ!」


 劉備りゅうびの期待を一身に受け、僕は彗星すいせいの手綱を手繰たぐった。

 僕の股下には先日、張世平ちょうせいへいに調達してもらった木製のくら。そのくらより金属のあぶみが垂れ下がり、僕の足を支えている。


「新しいくらも今までのレジャーシートみたいな薄っぺらいくらとはまるで乗り心地が違う。しっかりと木で立体に作ってあるから痛みが随分、緩和された。これで彗星すいせいも怪我せずに済むな。


 あぶみも金属になったから、安心して体重を預けることができる。


 これでようやく全力疾走ができるぞ!」


 僕は彗星すいせいの腹を押し、徐々にその速度を上げていった。


 なるほど、頭目が乗るだけあって、敵の馬はなかなかの駿馬しゅんめだ。

 だが、頭目の乗馬はまるでなっちゃいない。振り落とされないようになのだろうが、馬に無理な姿勢でしがみついている。そのために馬がヨロヨロと無駄に左右に揺れ、せっかくの健脚を殺している。

 やはり、あぶみだ。あぶみが無いからあんな乗り方になる。あれでは乗り手は危険だし、馬への負担も大きい。


「騎手としては落第だが、追いかける相手としてなら最適だ。


 さらにスピードを上げれば追いつけるな。


 よし、あの乗り方に挑戦してみよう!」


 僕はあぶみの上に立ち上がり、くらから尻を離して、前傾姿勢の乗り方に切り替えた。

 これは未来の日本で競馬のジョッキーが主流としている乗り方・『モンキー乗り』だ。木の枝にまたがる猿にたとえてこう呼ばれる。

 この乗り方は騎手の体重が前方にかかるため、馬の負担が少なく、よりスピードを出すことが出来る。

 だが、モンキー乗りはあぶみのみに全体重をかける。そのため、丈夫なあぶみが無ければとてもできない乗り方だ。ましてやあぶみもない状態で真似できるものではない。


「よし、このまま速度を上げていくぞ!


 行くぞ、彗星すいせい!」


 僕と彗星すいせいはグングンと速度を上げていく。


 サラブレッドに比べて過小評価されがちな日本在来馬だが、本気を出せばその速度は時速四十キロにも達するという。

 しかし、あぶみもない状態で、馬が全力疾走できるとは思えない。今、目の前の敵が振り落とされないことばかりに気がいってるのが良い証拠だ。


「僕は彗星すいせいの全力を引き出す!


 目標は時速四十キロだ!」


 彗星すいせいの時速は体感三十はとうに超えているだろう。三十五、六、七、八、九……!

 よし、四十キロだ!

 彗星すいせいの調子ならもっと出せそうだ。行けるところまで行くか。


 まるで僕と彗星すいせい以外の時が止まったかのようだ。並ぶ木々や石は一瞬にして遥か後方に置き去っていく。先ほどまで遥か彼方にいた敵将は間近に姿を現した。


「なんだコイツは!


 身体が羽ででも出来てるのか!」


 敵の頭目は突如姿を現した僕らを見て、悪態を叫びながらドタドタと馬を走らせる。


「行け、劉星りゅうせい


 最速の男を見せてやれ!」


 劉備りゅうびの期待を一身に背負った僕らは四十キロの勢いそのままに、僕は敵の騎兵を追い抜いた。


「おっと、追い抜いちゃダメだった」


 僕らはすぐに反転し、相手の真横を駆け抜けて、敵の頭目をあおった。


「なんだよ、この速え馬わよ!」


 敵の頭目は僕らの速さに狼狽うろたえながらも、一層必死に馬にしがみついている。


 僕らはこの速さを活かして、さらに何度も横を通過して、彼らをあおり続けた。


「おい、離れやがれ!」


 敵の頭目は剣を抜き、振り回して僕らを追い払おうとしている。

 だが、片手を手綱から離したのはかえって好都合だ。


関羽かんう張飛ちょうひらの稽古けいこを見てきたんだ。そんなフラフラ剣を避けるなんて造作もない!


 行くぞ!」


 僕らは振り回される剣の間をくぐり抜け、隙をついて敵の馬体に体当たりをくらわせた。


「ウ、ウワーッ!」


 敵はバランスを失い、そのまま勢いよく落馬していった。男の身体はねながら後ろに大きく転がっていく。

 男の身体がようやく止まり、頭をゆっくりと持ち上げた。だが、その目の前には既に僕らが剣を抜き待ち構えていた。


「さあ、観念するんだ!」


 僕は頭目を捕縛し、彼が乗っていた馬をいて、劉備りゅうびの元へと連行していった。


「よし、頭目を捕らえたか」


 劉備りゅうびを見ると、頭目は卑屈な表情になりながら、彼に提案してきた。


「おい、県尉けんいさんよ、あんたら薄給だろ?


 とりでの財産半分やるからこの場は見逃してくれ」


 頭目が始めたのはなんと買収であった。


 だが、それを劉備りゅうびはすぐに一喝して退しりぞけた。


「俺をその辺の県尉けんいと一緒にするな」


 しかし、断られても頭目もすぐには諦めない。彼はさらに言葉を続けた。


「わかった、八割やろう。


 いや、全部やる! だから……」


 頭目はどんどん額を吊り上げる。だが、劉備りゅうびの心はまるで動かなかった。


「俺は県尉けんいで満足してるわけじゃねぇ。これからもドンドン出世していくつもりだ。


 それを蹴ってまで、そんな端金はしたがねなんかいらねぇよ。


 お前もケチな盗賊なんて辞めて真面目に働け」


 真面目に働け、その一言で頭目はみるみる顔を強張らせ、烈火のごとく怒りだした。


「真面目に働けだぁ!


 戦乱で田畑を荒らされ、家を失ったりしなけりゃ俺たちも真面目に働いてたさ!


 お前たちはいつもそうだ! 俺たちみたいなケチな盗賊は取り締まれても、戦乱一つ無くせねぇ!」


 頭目は怒涛どとうの勢いで怒りの言葉を劉備りゅうびにぶつける。

 しかし、劉備りゅうびはそんな言葉に心が揺さぶられることは無かった。


「盗賊にちた時点でお前らは戦乱と何も変わらん。


 それを一つずつ無くしていくのが平和への道だ。


 よし、コイツらを連れて行け!」


 盗賊たちは縄で縛られ、文句を垂れ流しながら県兵に連行されていった。


 劉備りゅうびは盗賊の言葉に怯むことはなかった。


 だが、その劉備りゅうびと頭目の一連のやり取りは僕にとってはショックだった。

 彼らも被害者だ。こんな乱世じゃなければ普通の人として暮らせたかもしれない。状況さえ変われば、まだ更生の余地があるんじゃないか。


 そうだ、まだ彼らはやり直せるはずだ。

 僕は思わず劉備りゅうびの下に駆け寄った。


《続く》


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?