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第二十六話 安喜県(一)

 馬商人・張世平ちょうせいへいとの商談から数日後、僕らは劉備りゅうびに同行して、彼の新たな勤務地へと向かった。


 さすがに劉備りゅうび全軍の百人を連れて行くことはできないので、楼桑里ろうそうりに来ていた十数人のメンバーが同じようについていくこととなった。


 この頃の中国は十三の州に分かれていた。

 その北東端に位置するのが転生してから先日まで暮らしていた劉備りゅうびらの故郷・幽州ゆうしゅう

 幽州ゆうしゅうの南、黄河の北に位置するのが目的の地・冀州きしゅう劉備りゅうびの勤務地・安喜県あんきけんは、冀州きしゅうの中で最も北にあり、劉備りゅうびの故郷・涿郡たくぐんのお隣、中山国ちゅうざんこくの中にある一県であった。


「行き先は中山国ちゅうざんこくか。

 そういえば郡と国って何が違うんだろう」


 この時代の中国と未来の日本とでは『郡』と『県』の大きさが違う。この頃の郡は日本の県に相当し、県は日本の市町ほどの大きさとなる。

 だが、『郡』と同規模なものに『国』というものがある。今回行く中山国ちゅうざんこくも『郡』ではなく『国』だ。この違いがまだ僕にはわからなかった。


 僕のこの問に、劉備りゅうびは苦笑しながらも答えてくれた。


劉星りゅうせい、お前はホントに世間知らずなんだな。


 『太守たいしゅ』と呼ばれる役人が治める土地が『郡』だ。

 それに対して皇帝の一族である『王』が領地として与えられた土地は『国』と呼ばれる。

 だから『国』には太守がいなくて、『王』が統治者となる。今度行く中山国ちゅうざんこくには劉稚りゅうちという王がおられる。


 ただ、『王』は統治者ではあるが、実際に政治をするわけじゃない。代わりに『国相こうそう』が政治を行う。この『国相こくそう』が郡の『太守たいしゅ』に相当するというわけだ」


 なるほど、『王』がいるかどうかの違いか。しかし、それ以外はあまり違いは無さそうだ。僕の立場では王に会うことも無いだろうから、特に支障は無さそうだ。


 僕は劉備りゅうびから当時の地方行政の講義を受けながら、新たな勤務地・安喜県あんきけんへとやってきた。


「山あり川ありで自然の豊かな土地だな。


 まあ、時代的にどこもある程度自然豊かではあるんだけど」


 僕は安喜県あんきけんの周辺を見回した感想を呟いた。大陸だと意外とどこでもは山が無い。おまけに川の流れも早くて、険しい自然に囲まれた土地というのが僕の印象であった。


 だが、それだけの土地ではないことを劉備りゅうびは僕に教えてくれた。


「ここが豊かか。しかし、それだけではない土地だ。


 この中山国ちゅうざんこく張純ちょうじゅんの乱の被害を受けた土地だ。首謀者の張純ちょうじゅんは元中山国相ちゅうざんこくそうだった。そのために中山国ちゅうざんこくの住民で彼を慕い、乱に参加した者は少なくない。


 また、張純ちょうじゅん軍は隣の河間国かかんこく勃海国ぼっかいこくには実際に侵攻している。ここは戦災を受けた土地だ」


 その劉備りゅうびの言葉に、僕は改めて安喜県あんきけんへと目をやる。


「一見すれば自然豊かな県だ。


 だけど、よく目を凝らせば城壁は崩れ、空き家が並び、田畑は荒れ果てている。

 なるほど、これが戦争の傷跡ということか」


「そういう土地に俺たちは赴任したことを忘れちゃいけねぇ。


 今回、俺が就任した県尉けんいは盗賊を捕らえるのが役目だ。戦災を受けて、より治安は悪化していることだろう。気を引き締めて挑まなきゃならねぇ」


 劉備りゅうびの就任した県尉けんいは盗賊、つまり犯罪者を取り締まるのが仕事だ。未来の日本で言うところの警察署長に該当する役職だ。


「しかし、盗賊なんて集まっても数人くらいじゃないのか?


 県にも役人がいるだろうに、僕ら県兵でも無い者が十数人も押しかけて邪魔にならないかな?」


 僕の疑問を聞いて、今度は関羽かんうが少し笑って答えた。


劉星りゅうせい殿は随分、治安の良いところで暮らしておられたのですな。


 盗賊が数人なんてことはない。

 飢饉ききんや貧困、戦災などで食い扶持を失った若者はすぐに流民と化す。彼らは食うためにすぐにまとまる。百人、千人、時には万の集団にもなる。


 特に河北かほく(黄河こうがの北側の地域。現在の河北省かはくしょうを中心とした一帯)の黒山賊こくざんぞく、……それに山西さんせい(太行たいこう山脈の西側の地域。現在の山西省さんせいしょうを中心とした一帯)の白波賊はくはぞくの盗賊は百万とも言われる衆を率いている。今や、その勢力は朝廷ちょうていでさえ手が出せず、独立勢力と化している」


 そう教えてくれる関羽かんうは、この度新たに劉備りゅうび軍に加わった人物だ。二メートルの長身と長いひげが特徴の三国志お馴染みの武将。彼は張世平ちょうせいへいを経由して僕らの下にやって来て、劉備りゅうびの弟分となった。

 あまり余計な話は好まないようで、まだそんなに喋ってはないが、色々、博識な人であるようだ。


 どうも関羽かんうの話によれば中国の盗賊は山賊や海賊のような集団で、コソコソと盗む泥棒とは全く異なる性格のものであるようだ。因みにコソコソと盗むタイプの泥棒は『とう』と言うらしい。


 関羽かんうの言葉に付け足すように、今度は劉備りゅうびが話し出す。


「まあ、デカい盗賊団は先の張純ちょうじゅんの乱に加わって行ったようだから、あまり大きな集団は残ってないようだがな。


 もっとも何百とか何千の集団がもし現れたなら、県兵の手には負えねぇ。郡とか州とかもっと上の役所の仕事になる。


 俺たちが相手するとなると、多くても二、三百人ぐらいだろう」


 劉備りゅうびはそう軽く言うが、二、三百人でも随分多く思える。僕らは十数人しかいない。これに加えて劉備りゅうびは県の兵士を出動させる事ができる。それを思い出して僕は劉備りゅうびに尋ねた。


劉備りゅうびは取り締まりのために県兵を動かせるわけだね。因みに何人くらいいるの?」


「今、県には兵士が三百人くらいいるそうだ。


 だが、全部を動かすとなると県令の許可がいる。俺の権限だけで動かせるとなると五十人くらいか」


 なお、この時代の中国では、警察の仕事をする人員も、軍隊の仕事をする人員も、どちらも区別なく『兵』と呼ぶらしく、ややこしい。


 しかし、味方の兵力はあまり多くなさそうだ。


 だが、僕らには三国志随一の豪傑・張飛ちょうひに加えて、軍神・関羽かんうまで加わり、劉備りゅうび三兄弟が揃っている。さらに馬商人・張世平ちょうせいへいから貰った馬もいて、万全の体勢だ。


 彼らならわずかな兵でも何倍もの働きができるだろう。

 その辺の盗賊団に早々負けることはない。


 安喜県あんきけんに赴任した僕らは早速、周辺を荒らす盗賊団を取り締まっていった。


 〜〜〜


「今日はあの村を襲う!


 者ども、かかれ!」


 日が沈みかけた頃、三百人ほどの盗賊たちが手に手に得物を握り、安喜県あんきけんに属すとある寒村を取り囲んだ。

 彼らは頭目の掛け声に応じ、一斉に村の城門へと殺到した。


「そこまでだ。野盗ども!」


 村中に響き渡る大音声だいおんじょうで一喝したのは黒斑くろぶち模様が特徴の鹿毛かげの馬にまたがった張飛ちょうひであった。この八尺(約百八十センチ)の大男が県兵を率いて盗賊の前に姿を現した。


「なんでこんなに早く県兵が!


 クソ、襲撃前じゃ捨てるもんがねぇ!


 者ども! 撤退だ!」


「逃がすかよ!」


 逃げ出す盗賊を追いかけようとする張飛ちょうひの脇を二人の騎兵がすり抜けていった。


「遅いぞ、張飛ちょうひ!」


「俺たちが盗賊全て刈っちまうぞ!」


 そう言って張飛ちょうひを抜いたのは、劉備りゅうび軍の先鋒、怪力の成彦せいげんと矛の達人・祖達そたつであった。彼らは張世平ちょうせいへいから譲られた鹿毛かげの馬にまたがり、盗賊目掛けて駆け抜けていった。


「待ちやがれ!


 手柄は渡さねーぞ!」


 張飛ちょうひは負けじと馬を走らせ、逃げ惑う盗賊団の中へと突っ込んでいった。


 張飛ちょうひは二人の先輩に負けじと手にした矛を振り回し、逃げ惑う盗賊を吹き飛ばしていった。彼のその人並み外れた馬鹿力に盗賊は成す術もなく倒されていった。


 張飛ちょうひ成彦せいげん祖達そたつの三将の活躍の前に盗賊団は散々に打ち破られ、這々ほうほうていで逃げ出した。


「なんて強い連中なんだ……!


 特にあのデカい男の武力は尋常じゃねぇ……!」


 盗賊の頭目はなんとか張飛ちょうひらを振り切って、百人ほどの部下と共に自分の砦へと戻って行った。

 だが、帰るべき砦の真正面には別の一団が陣取っていた。


「おお、本当にやって来たな。


 関羽かんう、お前の言う通りになったな。


 よくわかるもんだな」


「ええ、兄者。


 過去に襲われた村々を地図に照らし合わせれば、次に襲われる村はおおよそ予想がつきます。


 そこからとりでの場所も大体わかるものです」


 そこにいたのは大将・劉備りゅうび。そして、九尺(約二メートル)の巨人・関羽かんうらの部隊であった。


「さあ、盗賊ども、観念しな」


 後ろから張飛ちょうひらの部隊が爆速で追ってくる。

 その状況に頭目の表情もくもっていく。


「こ、ここまでか」


「頭、ここは俺に任せてください!」


 頭目が諦めかけたその時、彼の背後より体格の良い一人の若者が前に進み出てきた。


「ほお、まだ向かってくる奴がいるか」


 その進み出てきた盗賊は、彼らの中でもずば抜けて体格が良く、身体に無数の傷をつけ、並の盗賊とは思えないような出で立ちであった。


《続く》

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