楼桑里に劉備馴染みの商人が訪ねてきた。劉備はこれから旅立つ安喜県への準備を、僕は鐙と鞍の用立てを頼みたいと思って待ち構えていた。
僕ら劉備軍の面々は、村の入り口に赴いて、その商人一行を出迎えた。
「世平殿、遠路はるばるよくお越しくださいました」
軍を代表して劉備が一歩前に出て、その商人に挨拶をした。敬語ではあるが、馴染みというだけあって、親しみのこもった口調だ。
商人一行の中から、代表者と思わしき四十を過ぎたくらいの年齢の男性がそれに応えた。
「いえいえ、楼桑里は我が郡のお隣。そこまで遠い道のりではございません」
成人男性にしては背は低い。だが、眉は太く、立派な口髭を蓄え、背の低さが気にならないほどの威厳をもった顔つきをしている。着ている灰色の衣服は綿が入っており、だいぶ暖かそうだ。華美な装飾は着けていないが、綿入りというだけで豊かさが伝わってくる。僕は自分のペラペラの衣服を見て、少し恥ずかしくなった。
僕は少し後退ったが、そんな事に構わず、劉備は僕を呼んで前に引き出した。
「こいつはうちの新入りの劉星です。
馬に詳しいので何かと世平殿に頼ることがあるやもしれません」
確かに今回、僕は馬具を新調してもらわないといけない。恥ずかしがって下がっているわけにはいかないな。僕は改めてその商人に挨拶をした。
「劉星、字は辰元と申します。
よろしくお願いします」
僕はこの前決めた字を早速使って挨拶をした。
「これはこれは。
私はお隣の中山国を本拠に活動している馬商人の張泰、字は世平と申します。
こちらこそよろしくお願いします」
張泰世平殿か。お客様でもあるから、字の世平殿と呼ぶべきなんだろう。先ほど、劉備もそう呼んでいたようだし、それに倣おう。
その世平殿は僕への挨拶を終えると、また劉備の方へと向き直った。
「さて、商談に入る前にこの度は玄徳殿に県尉への就任祝いの贈り物がございます」
「それは、気を使わせてしまって申し訳ない」
これには劉備も恐縮しきりな様子であった。
「いえいえ。
何しろ懇意にしている玄徳殿がこの度、我が故郷の中山国にある安喜県の尉に就任されました。安喜県は私共の拠点・安国県とも近しい。これを祝わずにおれましょうか」
そう言うと世平殿は手を叩き、部下の男を呼びつけた。
「おい、玄徳殿に例の品を」
一行は数頭の馬を曳き連れて来ていたが、そのうちの二頭が部下に曳かれてこちらに連れてこられた。
「就任祝いです。
この二頭は差し上げます。お収めください」
両頭とも鹿毛(茶色)の成馬で、肉付きの良い立派な馬だ。あの二頭が劉備軍に加わるのは心強い。
「これは過分な贈り物。ありがとうございます」
「いえいえ、県尉は悪人を取り締まる大事な役職です。馬が有ったほうが良いでしょう。
それに今後の付き合いもよろしくという意味もこもっておりますれば」
「では、喜んでいただきます」
今回で劉備も新たに馬を購入する予定であったようだが、即戦力になり得る二頭を譲り受けたのは、随分助かったことだろう。
しかし、タダより高いものはない。二頭の馬を受け取ったのを見届けると、世平殿は神妙な面持ちに変わり、劉備の側近くに寄って囁いた。
「実は今回なのですが、もう一つお預かりしていただきたいものがあるのですが、よろしいでしょうか」
その声色ですぐに劉備も察した様子であった。
「そりゃ、訳アリですな」
「ええ、玄徳殿でしか手に負えないものでございます」
そう言うと、世平殿は一行の中へと進んでいった。彼が声をかけたのは一行の中でも一際体の大きい男であった。
一行の中に図抜けて背の高い男が先ほどから目に入っていた。その風貌からもしやと思っていたが、どうやら僕の予想は当たっていたようだ。
その長身の男は世平殿に並んで、のそりのそりと僕らの前に現れた。その男を示しながら世平殿が紹介を始める。
「この者は河東からの流人・長……関羽と申す者でございます」
その紹介後に一礼し、ようやくその長身の男が口を開いた。
「私は関羽、字は雲長と申します。
訳あって故郷に戻れなくなりました。幽州にその名を轟かす玄徳殿の傘下に加えていただきたく罷り越しました」
うちで一番デカい張飛を凌ぐ二メートルの長身。筋骨隆々で、常人の二人分はあろうかという広い肩幅を持ち、まるで壁のような威圧感を与える巨体。胸まで届く長い顎髭は、漆黒で光りを反射しており、ふさふさしていた。赤みがかった褐色の肌に、吊り目気味の長い眼は、まさに物語に出てきそうな関羽像そのままであった。
だが、その身なりは黒のボロい衣服で、小綺麗な世平殿とは真反対の服装。それだけでここまでの道のりが平坦でなかったことを物語っていた。
その関羽の登場に、劉備は興味津々なようであった。
「ほぉ、関羽!
お前は何が出来る?」
想像以上の好感触な反応に、関羽は少々面食らいながらも答え出した。
「私には人に誇るほどの芸はございません。
ただ、武術であれば一廉の才はあろうかと思います」
その返答に劉備と思わずニヤリと笑う。
「ほう、それはぜひ、見せて欲しいな。
うちで一番の強者と戦ってみせてくれないか」
関羽は跪いてそれに応ずる。
「ご所望とあらば」
「さて、うちで一番の強者と言うと誰になるかな」
劉備が周囲へと振り返る。すると案の定、あの男が真っ先に手を挙げた。
「ハイハイ、兄貴、オレを出してくれ。
俺は成彦にも祖達にもさっきの試合で勝ったぞ!
うちで一番の強者はオレだ」
やはりというかなんというか、劉備の弟分・張飛が我こそは一の強者だと立候補してきた。いつもなら成彦や祖達も負けじと手を挙げる場面ではあるが、先ほどの試合で負けたばかりなので、挙げ辛いのか誰も立候補しなかった。
「まあ、俺たちは負けちまったからな。張飛でいいんじゃないか」
「よし、それなら張飛、戦ってみろ。
しかし、もし負けたら罰を与えるぞ」
劉備は少し脅しをかけたような物言いで張飛を任命する。だが、乗りに乗ってる張飛はどこ吹く風といった様子でまるで気にしていない。
「へへ、負けたらなんでもしてやるぜ!
あんな大きいだけの野郎なんて、ちょちょいのちょいだぜ!」
あまりの大言壮語っぷりに見ている方は不安になる。しかし、関羽対張飛なんて三国志好きからすれば夢の対戦カードだ。張飛に不安はあるが、それらそれとして是非とも見たい戦いだ。
僕らは先ほどまで試合会場だった村の一角へと移った。
関羽は先の試合で使われていた木の棒を見つけると、一本を張飛に投げ渡した。
「ちょうどよい棒があるな。
棒術の試合ということでどうかな?」
張飛はその一メートル数十センチほどの棒を受け取ると、大口を開けて笑い飛ばした。
「ガッハハ、このオレ様に武器持たせるなんてな。
オッサン、死ぬぜ!」
「ふん、ここで死ぬならそれまでよ。
それと私はまだ二十二だ。オッサンではない」
その言葉を聞くなり張飛は失礼な態度で笑い出した。
「は、二十二だぁ?
三十二の間違いだろ?」
挑発のつもりなのか、随分失礼な笑い方だ。しかし、失礼ながら、自分も関羽が二十二歳にはとても見えなかった。あんな立派な髭を生やしていて、そんな若かったのか。
僕はこちらの記憶がないので、こちらの世界での実年齢は不明だ。だが、転生時の肉体の感じから二十歳ということにしている。この時代はまだ数え年。数え年は誕生日が無く、年が明けると皆一斉に一つ歳を取るのが特徴だ。こちらの世界で一度、年を越したので僕の年齢は二十一歳。つまり、関羽は僕の一つ年上ということになるな。
そう思って見ると、やはり老け顔だ。
「どうやら目も節穴のようだな」
関羽も負けじと挑発を行い、両者先ほどの円の中へと入っていった。
関羽対張飛。三国志好きなら夢の対戦カードになるだろう一戦が今、始まろうとしていた。
《続く》