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第二十一話 関羽(一)

 まだ正月ののんびりとした空気が残る季節の最中、楼桑里ろうそうりでは張り上げた僕の声が響き渡っていた。


「ほら、手許ばかり見ない。


 乗馬中はもっと前を見るんだ」


 今、僕の愛馬・彗星すいせいまたがっているのは僕ではない。身長百八十センチの巨体が代わりにまたがっていた。


「チッ、先生になった途端、偉そうにしやがって。


 こうか、こうでいいのか」


 その巨体は、僕の指示を小煩こうるさく感じながらも、わりかし素直に従ってくれていた。


 彼は劉備りゅうびの弟分で、後に三国志でも随一の豪傑ごうけつと呼ばれる張飛ちょうひ、その人であった。後の豪傑ごうけつも今はまだ、あどけなさを残した青年。彼は先日のレースで僕に敗れ、僕の乗馬の弟子となった。


「良くなったじゃないか。その姿勢を忘れないでね」


 張飛ちょうひは口では文句ブーブーであったが、敬愛する兄貴分の劉備りゅうびからの命令ということもあってか、従順に指導を受け入れてくれていた。


 そのおかげもあってか、彼の乗馬スキルはグングンと成長していた。


「さて、初めて三十分くらい経っただろうから、ここいらで休憩取ろうか」


 僕は乗馬を人に教えたことがない。張飛ちょうひが乗馬の素人なら、僕も指導者の素人だ。手探りで指導しているが、どうしても声が大きくなってしまう。せめて、無理はさせないようにと休息は頻繁に取るようにしていた。

 もっともこの時代に時計なんて無いので、三十分というのは自分の体内時計で決めているが。


「おーい、張飛ちょうひ!」


 休憩に入ったばかりの張飛ちょうひに、同じく劉備りゅうび軍の武将・祖達そたつが呼びかけてきた。


「なんだ、祖達そたつ?」


「馬術が終わったなら、久々に試合しようぜ。


 お前がどこまで鍛えたか見てやろう」


「おお、いいぜ。


 俺の実力見せてやろう」


 同僚の祖達そたついざなわれ、張飛ちょうひはそちらへと行ってしまった。そこまで長い休憩を取るつもりはなかったのだが、これはすぐには戻ってきそうにないな。僕は諦めてその試合とやらを見学することにした。


 村の一角に劉備りゅうび軍の面々が円形に屯している。その真ん中の空き地に円を描かれており、円の中に同僚の成彦せいげんが既に待ち構えていた。そこへ張飛ちょうひが入っていった。


 二人は一メートル数十センチほどの長い木の棒を手に持っている。どうもルールは相手に降参と言わせるか、枠線より出したら勝ちらしい。古代特有のかなり乱暴な戦いだ。


「よーし、張飛ちょうひが相手か。


 久しぶりにひねってやるか」


 相手の成彦せいげんは百七十センチを超える高身長。全身、鍛えられた筋肉と無数の傷を持つ歴戦の勇士だ。劉備りゅうび軍一の怪力の持ち主と言われている。


「へ、前のオレの思ったら大間違いだぜ」


 しかし、対する張飛ちょうひ成彦せいげんを超える身長百八十センチ、全身筋肉の鎧で覆われたような巨体。まだ若く、傷一つ付いていない綺麗な体であった。


「よし、成彦せいげん張飛ちょうひ、準備はいいな。


 よっしゃ、開始だ!」


 祖達そたつの開始の合図に合わせて、両者が急速に間合いを詰める。


「おりゃー!」


 張飛ちょうひは手にした棍棒で強く相手を連打する。成彦もそれを棍棒で受け止める。バギバギと激しい音が響き、実戦さながらの全く優しくない一騎討ちが始まった。


「うおおおお!」


 張飛ちょうひの力強い一撃が、相手の棍棒を叩き割る。しかし、成彦せいげんひるまず相手に当て身を喰らわせ、思わず張飛ちょうひも棍棒を手放した。


 今度は相撲さながらの取っ組み合いが始まった。


 成彦せいげんは現状、劉備りゅうび軍一の怪力だ、

 だが、張飛ちょうひはそれ以上の力で相手をねじ伏せた。相手が姿勢を崩したその隙を突き、張飛ちょうひは百七十センチはある成彦せいげんの巨体を頭上高く持ち上げて、場外へと投げ飛ばした。


「ハァハァ……オレの勝ちだ!


 次回から劉備りゅうび軍一の怪力の称号はオレのもんだ!」


 張飛ちょうひ雄叫おたけびが村中にとどろく。新たな劉備りゅうび軍一の怪力の誕生の瞬間であった。


 しかし、この新たな誕生にすぐに異議が飛び出した。


「その称号を賭けて次は俺と勝負だ!」


 成彦せいげんと同じく身長百七十センチを超える長身。劉備りゅうび軍の武の要・祖達そたつが円の中に入ってきた。


「いいぜ、何処からでもかかってこい」


 先ほど成彦せいげんを投げ飛ばしたばかりだというのに、張飛ちょうひはヤル気満々だ。


 しかし、この戦いも張飛ちょうひが勝つのではないかと僕には思えた。張飛ちょうひといえば三国志を代表する武将だ。ゲームなんかではトップクラスの武力が設定されている。彼より高い武力となると義兄の関羽かんうか、あるいは呂布りょふか。そのぐらいしか敵う相手がいないほどの人物だ。


 成彦せいげん祖達そたつらは先の張純ちょうじゅんの乱では劉備りゅうび軍の先鋒を務めた勇士だ。その実力ら間近で見てよく知っている。しかし、そんな二人でも歴史に名は残せていない。張飛ちょうひと実力差があるのは当然なのかもしれない。


「よっしゃ、祖達そたつにも勝ったぜ!


 さあ、次はどいつが相手だ!」


 そんな事を考えている内に勝敗が決してしまった。張飛ちょうひはさらなる挑戦者を募っているが、あの二人を倒したならなかなか相手になる奴はいなさそうだ。後は酈喬れいきょうか、あるいは董機とうき……はあくまで弓の名手だしな。誰がいるかな。


「ふむ、張飛ちょうひが勝ったか」


「うわ、劉備りゅうび


 突然、現れないでくれよ」


 後方で見学する僕の真横に、いつの間にかこの軍の大将・劉備りゅうびが立っていた。


 劉備りゅうびは「悪い悪い」と一切悪びれる様子のない謝罪をすると、あごでながら、しばし、考え込みだした。


 数秒の間の後、僕の方へと向いて尋ねた。


劉星りゅうせい、お前はここに来る前から張飛ちょうひの事を知っていたな」


「え、それは……」


 そういえばそんな話もしたなと思い出した。あれは劉備りゅうびと遭ったばかりの頃だった。僕は本当に彼が三国志に登場する劉備りゅうびなのかと確認するために関羽かんう張飛ちょうひの名を出して、彼らが側にいるかと尋ねてしまった。今から考えれば未来の事を先んじて話してしまった場面で、迂闊うかつなことをしたなと思う。


「あ、あれは風の噂で名前を聞いたことがある程度で、そんな詳しく知ってたわけじゃないんだよ」


 あまり未来の話をするわけにもいかないので、僕は適当に答えた。


 劉備りゅうびはその事にはあまり追求せず、次の質問をし始めた。


「それで劉星りゅうせい、今の張飛ちょうひを見てどう思う?」


 今の張飛ちょうひの話か。未来の話ではないのなら答えて問題もないだろう。


張飛ちょうひか。


 うーん、文句は言いつつも馬術の覚えは良い。


 それに成彦せいげんを投げ飛ばすほどの怪力。将来的には天下の豪傑になれる器じゃないかな」


 あくまでそうなれるかもしれない。その程度のニュアンスに留めて、僕は劉備りゅうびに伝えた。


 しかし、劉備りゅうびはどこか納得のいっていない様子であった。僕は反対に彼に張飛ちょうひをどう思っているのか尋ねた。


「そうだな。張飛ちょうひ涿郡たくぐんの乱暴者止まりだろうかな」


「えっ?」


 僕は思わず聞き返した。その評価は張飛ちょうひの最も身近にいた人物とは思えないほどの低評価であった。


「言い方が悪かったな。今のままだと涿郡たくぐんの乱暴者で終わっちまうという話だ。


 俺も張飛ちょうひは天下有数の豪傑ごうけつになれる素質を持っていると思っている。


 しかし、俺が悪かった。もっと前に武術の師をつけてやるべきだった。そうすりゃ天下の豪傑ごうけつも夢じゃなかった。


 それを俺たちの中に閉じ込めてしまった。今では成彦せいげんを投げ飛ばすほどに成長してしまった。だが、あまりにも力頼み過ぎる。しかし、今から仲間内で技を教えてもあいつは本気で聞かんだろう。


 あいつ以上に強い奴がいればいいんだがな……」


 そう言うと、劉備りゅうびは頭を深く沈め、思い悩むような顔つきとなった。


 どうも、劉備りゅうび張飛ちょうひにちゃんとした武術を教える機会を与えなかったことを後悔しているようだ。


 しばし、重苦しい沈黙が流れる中、後ろから同僚の簡雍かんようがその空気を打ち破るような大きな声を張り上げて、劉備りゅうびに呼びかけた。


「大将!


 世平せいへい殿が来たぞ!」


「おう、すぐに出迎えよう」


 劉備りゅうびは後ろを向いて返事をすると、次に僕の方へと振り返った。


劉星りゅうせい、前に話してた商人が来てくれたぞ。


 前に言ってた馬具を揃えてもらおう」


 僕らは到着した商団を出迎えた。おそらく先頭に立つ四十代ほどの男性がこの商団の主人なのだろう。

 しかし、それよりも、その横にいる二メートルはあろうかという大男に目がいってしまった。そのあまりの背の高さと長く立派なひげを見て、僕は思わずある人物の名前が頭に浮かんでしまった。


「まさか……あの人なのか?」


《続く》

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