張飛と競争をすることになった僕・劉星。僕と愛馬・彗星のコンビは順調に折り返し地点へ向けて駆けていった。
「頼む、驪龍、もっと急いでくれ」
対して、張飛と劉備の愛馬・驪龍のコンビは大きく後れを取っていた。
張飛は乗馬は、鐙の無い、この時代なりの乗り方であった。
尻の位置は鞍のやや前方。足は膝を大きく折りたたみ、正座のような座り方で両足でしっかりと馬体を挟んでいる。そんな座り方のためか、全体的に前のめりな姿勢になっている。
しかし、劉備の愛馬である驪龍はあまり張飛に従順ではないようで、思ったように走ってくれていない。
「クソ、なんで走らないんだ!」
張飛は随分、苦戦しながら前に進んでいる。しかし、その間にも僕と張飛の差はドンドン開いていった。
始めは劉備の愛馬ということもあって、張飛は遠慮がちに乗っていた。だが、差が広がるにつれて、段々と苛立ちを隠せなくなっていった。
「おい、走れ!」
馬との絆がまるで築けていない。あんな乱暴な乗り方ではますます言う事を聞かなくなっていくだろう。
「さすがにあの張飛の乗り方では勝負にならないか。
これは勝ったかな」
僕らは何事もなく折り返し地点へとやってきた。その周囲には祖達ら観戦中の劉備軍の面々が数名並び、ヤンヤヤンヤと喝采を浴びせる。僕らは木をグルリと周り、元来た道を戻って行った。
こちらに向かってくる張飛とは向かい合わせの格好となり、グングンと両者の距離は縮まっていった。
こちらの姿が近づいていくにつれ、張飛はさらに腹を立て出した。
「おい、驪龍、急げ!
このままじゃ負けちまうぜ!」
そう言うと張飛は、その有り余る怪力を足に込め、思いっきり驪龍の馬体を締め上げた。その力が強過ぎたのか、驪龍は驚いた様子であった。
その瞬間の表情を見て、僕はすぐに危険に気づいた。
「あのやり方はまずい!
張飛、それ以上締め上げるのはやめるんだ!」
僕は張飛に向かって叫んだ。しかし、張飛には返って逆効果であったようだ。
「うるせぇ!
お前の言葉なんか聞かねぇ!」
張飛は唾を飛ばしながら、怒鳴り返してきた。全く耳を貸す様子は見えない。
彼は構わないとばかりに、力強く驪龍の腹を押さえつけた。
すると、ついに耐えられなくなったのか、驪龍は勢いよく前脚を跳ね上げ、立ち上がった。
「うわ、おい驪龍!」
ほぼ90度、直角にそそり立つ壁と化した驪龍に、驚き慌てる張飛。
僕は必死に張飛に呼びかけた。
「張飛、手綱は引くな!
だが、手綱を手放すな!
落ちるぞ!」
「わかっとるわ!」
張飛は怒鳴り返しながらも、言われた通りに必死に手綱を掴む。
だが、勢いよく驪龍が着地すると、その勢いに釣られて、張飛の体は上空に跳ね飛んだ。張飛の体は宙でクルリと一回転すると、そのまま地面に叩きつけられた。
「ぐわっ」と張飛の悲鳴が辺りに響く。
「やはり、鐙が無いと簡単に落馬してしまうな。前傾姿勢なのも危ないと思っていたんだ」
しかし、落馬しても張飛の手には、言いつけ通りにしっかりと手綱が握られていた。
「まずい!
張飛、すぐに手綱を離せ!」
落馬をしないためにも、手綱は絶対に手放してはならない。だが、それはあくまで落馬しないためにやることだ。落馬したなら事情は一変する。
張飛を振り落とした驪龍は未だ興奮状態にある。早く手綱を離さなければそのまま馬に引きずられてしまう危険がある。
「イテテ……
離すなっつたり、離せつったりよ……
おおっと!」
張飛は素早く手綱を離すと、飛んでくる蹄から顔を守り、暴れる驪龍の隙間を縫って抜け出した。
落馬して全身を打っているはずだが、機敏な動きであった。この辺りの素早い反応は、さすが後の三国一の豪傑になる男だと思わせるものだ。
僕はすぐに彗星から飛び降り、驪龍の手綱を取って、彼を落ち着かせた。
「どうどうどう……。
腹を強く圧迫しすぎたんだ。
張飛は力が強いから、よく加減を覚えなければいけない」
僕は驪龍に優しく声をかけ、それにより徐々に落ち着きを取り戻してきた。
「おーい、大丈夫か」
驪龍が落ち着いた頃に、騒ぎを聞きつけ劉備らもこちらに駆け寄ってきた。
驪龍を落ち着かせる僕と、へたり込んで呆然としている張飛を見比べて、劉備はおおよその状況を把握したようであった。
「ふむ、どうやら、勝負はついたようだな。
張飛、これでもまだ劉星を認められないか?」
そう言われて、張飛はバツの悪そうに頭を掻きむしった。
「コイツのことはまだ気に入らねぇ。
ただ……馬術を教わるぐらいならいい」
張飛はそうボソリと呟いた。どうやら技術は認めてもらえたようだ。
それを聞いて劉備は呵々と笑った。
「よし、では決まりだ。
今日よりお前は劉星より馬術を習え。
そんな顔するな。馬術が上達すれば今後の戦いに連れて行ってやる。馬もそのうち用意してやるよ」
「約束だぜ、兄貴!」
劉備の言葉を聞いて、それまでの不愉快そうな顔が一転、満面の笑みで張飛は答えた。
どうやら、天下の豪傑・張飛がまさかまさかの僕の弟子になったようだ。
同じ頃、競争が開催されていた楼桑里の十数里先。かろうじて楼桑里の姿が見えるほどの距離まである一団がやってきていた。
「おお、見えましたぞ。
あれが楼桑里でございます」
歳の頃四十過ぎほどの男性が、そう言って後ろの男に指し示した。
後ろからヌッと現れたその男は身長九尺(約二百九センチ)はあろうかという大男であった。
「おお、世平殿、あそこが玄徳(劉備)殿の居られる楼桑里ですか」
大男はこれまた長く立派な顎髭を撫でながらそう聞き返した。
「ええ、玄徳殿ならきっと貴方の力となってくれることでしょう。
関羽殿」
この新たな来訪者を、楼桑里にいる僕らはまだ知らずにいた。
《続く》