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第十八話 張飛(一)

「うーむ、こりゃひでぇな」


 猫背の小男・簡雍かんようは千切れたあぶみを睨み、顎を手でこすりながらそう唸った。


 劉備りゅうびの故郷・楼桑里ろうそうりで自己紹介を終え、一段落となった。後は劉備りゅうび安喜県あんきけんに赴くまでの間、僕らはこの村での日々を過ごす事となった。


 僕と簡雍かんようは愛馬・彗星すいせいを前に、あぶみにらめっこしていた。


「直すのは難しそうか?」


 彼の様子を覗き込みながら、僕は簡雍かんように尋ねた。


 このあぶみは前に手先の器用な簡雍かんようが木を切って作ってくれた特製あぶみだ。先の張純ちょうじゅんの乱に参戦した時に、烏桓うがんの勇士・魯昔ろせきと戦闘になった。その最中に踏み込み過ぎて、右のあぶみを吊るした革紐が千切れてしまった。


 今、その破損したあぶみを改めて簡雍かんように見てもらっているところであった。


 あぶみにら簡雍かんようは先ほどからどうにも渋い顔つきである。


「直す事自体はすぐ出来るさ。


 千切れたところを交換すればいいだけだしな。あぶみが割れたわけでもないし。


 でも、ここをよく見てくれよ」


 簡雍かんようが指を差したのはあぶみでも革紐でもない。愛馬・彗星すいせいに乗せたくらの方であった。

 千切れたのは革紐だとばかり思っていた。だが、よく見ると、千切れていたのはくらの方であった。


「千切れたのは革紐じゃなくてくらの方だったのか。くらって千切れるようなもんなのか」


 彗星すいせいに乗せていたくらは革で出来ている。革が悪いわけではない。未来ではビニール製が主流だが、革製のくらもないわけではない。しかし、現代のくらは立体的な構造をしており、自転車のサドルのような座席が形作られている。


 だが、今使っているくらは違う。ペラペラの座布団や茣蓙ござのような敷物となっている。はっきり言って座り心地は悪い。馬の背に直接座っているのと大差ない。その敷物のような革のくらに穴を開けて、あぶみを結んで吊るしていた。


「見ての通り千切れたのはくらの方だ。つまり、あぶみじゃなくてくらの方に問題があるってわけだ。


 お前さんの馬に乗ってるのはせんという敷物の上に、厚手の革で出来たくらを乗せた軟質のくらだ。

 随分、時代遅れの代物で、今時は貧乏人かよほどのこだわりがないと使うようなもんじゃない」


 転生したばかりの頃に手に入れたものだから、この世界のくらはこういうものかと思っていたが、どうやら、これはかなり粗末なくらであったようだ。


「これは敵から奪ってそのまま使っていたものだ。


 お尻が痛いなと思っていたが、骨董品みたいなくらだったのか」


 簡雍かんよう顎髭あごひげを撫でながら答える。


胡人こじんから手に入れたんだったか?


 胡人こじんならまだこんなの使ってんのかもしれんな」


 簡雍かんよう彗星すいせいを手に入れた経緯を知っているので、話は早い。

 烏桓うがん(胡人こじん)の文化にはうといが、彼らにはまだこのくらが現役なのかもしれない。


 しかし、せっかくなら愛馬には上質な馬具を使いたい。


「じゃあ、今時はどんなくらを使うんだ?」


 僕は簡雍かんように現在のくら事情を尋ねた。


「今時のくらか。


 今は木で骨組みを作って、そこに革をかぶせて立体的な形を作る。そういう硬質のくらがだいぶ普及しているな」


 木製のくらか。そういえば昔、博物館で見た江戸時代のくらも木製だったような気がする。細部は違うだろうが、その原型のような物は既に出来ていたようだ。


「もう、そんな立派なくらが登場していたのか。いつもはお尻の下に敷かれているからあまり人のくらまで見てなかったな。


 ちなみにその硬質くらって簡雍かんようなら作れる?」


 僕はダメ元で簡雍かんように尋ねた。しかし、彼は首を横に振った。


「いや、無理言うな。俺は職人でもなんでもないぞ。


 こんな趣味人に頼まずに、ちゃんとしたのを作ってもらえ!」


「やはり職人に頼まなきゃならんか」


 簡雍かんようの言う事も尤もだ。いくら手先が器用とはいえ、くらなんて大物を素人に頼むのも良くないか。

 しかし、職人なんて心当たりがないな。


「お前のやろうとしていることは、あぶみという人の体重をかける部分をくらに付けようという話だからな。


 確かに硬質くらはお前の軟質くらより強度は上だ。しかし、あぶみのために作っているわけではない。既製品を買うのではなく、ちゃんと用途を伝えて、特注で作ってもらった方が良い」


「なるほど。それもそうだ」


「近々、大将馴染みの商人が訪ねてくる。その時にでも頼んでみたらどうだ?」


 転生して来たばかりの僕に職人の心当たりなんてまるでない。商人が来てくれるならその人に注文するのが一番良いのだろう。劉備りゅうびに馴染みある人物ならそうふっかけてもこないだろうし。


「そうさせてもらおう。


 とりあえず、その時までは君お手製のあぶみで練習させてもらうよ」


「ああ、おれの素人品は練習用にでも使ってくれ」


 僕はくらの無傷なところに穴を開け、再び木製のあぶみを吊るした。


 しかし、その様子を見て、指差して大笑いする者がいた。


「ハーハッハッハ!


 何だそりゃ!」


 そう笑うのは身長は百八十センチほどの長身。筋肉質な体格。どんぐり眼と無精髭の自称、劉備りゅうびの弟分・張飛ちょうひであった。


 張飛ちょうひはキッとこちらをにらみつけるとズカズカと近づいてきた。


劉星りゅうせい、お前、特技が乗馬とか言ってたくせにそんな玩具付けなきゃ乗れねーのか。


 お前にそんな馬は勿体ねぇ!


 オレに寄越せ!」


 そう言うと張飛ちょうひ彗星すいせいの手綱をむんずと掴み、奪い取ろうとしてきた。


「待て待て、そんな無理やり引っ張らないでくれ。彗星すいせいが可愛そうだ」


 彗星すいせいは連れて行かれるのを嫌がっているのに、張飛ちょうひは力ずくで連れ去ろうとするので、僕は慌てて止めた。


 それが気に入らなかったのか、張飛ちょうひは唾を飛ばしながら僕を高圧的に怒鳴りつけた。


「うるさい!


 お前みたいな新参がいきなり馬持ちなんて生意気だ。この馬は先輩のオレに譲れ!」


 どうもこの張飛ちょうひという男はやたら先輩であることを強調する。確かに自分がこの中で一番の新参だが、それで愛馬を奪われてはたまらない。

 僕は取り返そうと手綱を掴んだ。

 しかし、相手は天下の張飛ちょうひだ。とても力で敵う相手ではない。僕はあっさりと突き飛ばされた。


「こんな弱っちい奴だったのか」


 張飛ちょうひが無理やり愛馬・彗星すいせいを連れ去ろうとしたその時、一人の男性が割って入った。


「おい、張飛ちょうひ


 何をしている!」


 僕と張飛ちょうひは揃ってその声の主へと振り返った。


《続く》

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