「そういや、劉星。
お前の字はなんだ?」
劉備が何気なく聞いてきたその発言に、僕は言葉を詰まらせた。
(字というと姓名以外のもう一つの名前の事だよな。
確か、名前を直接呼ぶのは失礼だから、普段は字を使うんだったか。
でも、詳しくは知らないんだよな。ましてや、どうやって名付けていいのかもわからない。
適当な事言うわけにもいかないし、どうしたものか……)
急に字を聞かれても、そんな文化で育ってきてない転生者の僕は困ってしまう。前世で『三国志』を読んでいる時に、字というのが出てきたので、そういう姓名以外の名前があるのは知っている。しかし、名付け方までは物語で紹介されなかったからわからない。
僕が質問に答えることができずに、冷や汗を流して頭を掻いていると、劉備は察して再度尋ねてきた。
「お前、もしかして字がないのか?」
劉備の問いかけに、隣の張飛が、そのどんぐり眼を見開いて聞き返した。
「兄貴、字が無いなんてあるのか?」
「だいたいは成人した時に付けるが、家庭には様々な事情があるもんだ。
ここは様々な事情を持った者が集まりやすい場だ。あまり責めてやるな」
劉備の言葉に、彼の弟分の張飛もそれ以上は言わなかった。劉備の物分かりが良くて結果的に助かったようだ。
「しかし、劉星よ。字はあった方が良いぞ。
字は名を尊重し、みだりに呼ばないために設けるものだ。
俺たちの仲間内では、そこまで気にしないから名で呼んでも構いはしない。
だが、今後、仲間内以外の人と話す機会は必ずある。そういう場には字が必要になる」
劉備の言う事も尤もだ。この先、三国志の世界で生きていくなら字は絶対に必要だ。
しかし、問題もある。どうやって字を決めていいのか全くわからない。
「でも、字ってどうやって付けるんだ?」
この時代にあっては割と非常識な質問だと思うが、劉備は懇切丁寧に答えてくれた。
「字の多くは成人した時に親や縁ある年長者、または本人が直接付けたりする。
その付け方は、古典に因んだもの、本人の特徴や名に因んだもの、兄弟で揃える、といった感じだな。
例えば俺の『玄徳』は古典の『老子』に因んだ言葉だ」
続けてその弟分・張飛がすかさず答える。
「オレの『益徳』は劉備の兄貴に因んで付けた。
『兄貴の“徳”をより“益す”存在になる』という意味だ。
オレが名付けた」
張飛は鼻を膨らまし、得意そうにそう語った。
さらにホロ酔い気味の簡雍が盃を置いて、一連の内容を説明するように語り出した。
「劉備の大将のは古典に因んだものだ。
また、『玄徳』というのはあるような無いようなよくわからん徳を表す言葉だという。一応、本人の人間性も加味した命名だな」
そう簡雍が語って聞かせると、皆一斉に大笑いを始めた。
「ハハハ、確かによくわからんな」「ちがいねーや」そんな事を口々に語っている。
確かに僕もなんとなく劉備に惹かれてここまで来たので、彼らが笑うのとわからなくはない。劉備のあるような無いようなよくわからない人徳が僕らを惹きつけた。
笑いが一通り終わったところで、簡雍が説明を再開した。
「まあ、なんだ。
他の名に因んだものだと、おれの名は簡雍。その名の『雍』にはやわらぐ、なごむという意味がある。字の『和』の字にも同じ意味があって、それで命名した。
こんな風に同じ意味の字を使うのはよくあることだ」
そう話す簡雍に、何気ない疑問を僕は尋ねた。
「あなたの『憲』はどこから?」
簡雍はヒヒと笑って答えた。
「ありゃ兄弟で揃えたんだよ。おれの兄弟は皆、字に『憲』がつくんだ」
その答えを聞いて、山と盛られていた干魚をほぼ平らげてしまった祖達が続けて話し出した。
「兄弟で揃えるというのは多いな。
俺の『栄』は兄弟皆に付けられている。
後は兄弟順に因んだ字というのもある。
長男は『伯』、次男は『仲』、俺は三男だから『叔』だ。だから、俺の字は『叔栄』だ」
それに補足するように、お喋り好きの小柄な男・邵則が会話に加わった。
「末っ子だと『季』とか『幼』とか使ったりするね。
私の『幼範』は末っ子だから付けられた字だよ」
皆、詳しく教えてくれる。しかし、兄弟の話をされても参考にならない。
「なるほど。参考にはなるけど、僕は一人っ子だからなぁ」
その僕の言葉を聞いて大将・劉備が締め括るように語ってくれた。
「後は字でよく使われる字というのがあるな。
『子』、『文』、『公』、それに『元』なんてのはよく使われるな」
「ん、『元』か……」
劉備からその話を聞いて、僕は前世を思い出した。
(僕の前世での名は『辰元流星』。下の名の『流星』から、ここでの名を『劉星』とした。
苗字はまだ使ってない。そして、苗字には『元』の字が使われている。これを音読みしたらそのまま字になるんじゃないか?)
僕は早速、その案を皆に伝えることにした。
「思い出したよ。そう言えば昔、親に字を付けてもらってた。すっかり忘れてたよ」
張飛は首を傾げて僕に聞き返してきた。
「お前、二十歳くらいだろ?
そんな忘れるほど大昔に付けられたのか?」
その問いに言葉を詰まらせかけたが、すぐに劉備が助け舟を出してくれた。
「いや、字はどうせ成人になれば名乗る事になるからな。
家によっては生まれてすぐに字まで命名する事もあるらしいぞ。
それで、お前の字はなんだ?」
今回は劉備に助けられてばかりだな。
僕はコホンと咳払いして話し始めた。
「ああ、僕の字は『辰元』。
劉星、字は辰元。それが僕の名前だ」
その回答に、劉備は大きく頷いた。
「なるほど。
『星辰』は星の並びを意味する言葉だな。名に関連した字だ。
では、これ以降はその名を名乗るようにしてくれ」
これにて僕の字が決定した。字が付くと一層、三国志の登場人物になったような気分になる。
最後に劉備が注意事項を伝えてくれた。
「それと目上の人や立場のある人は字で呼んでも失礼になる。
その場合は姓に肩書がつけて呼ぶとよい」
「劉備が破虜校尉の鄒靖さんを『鄒校尉』と呼んでいたアレだね」
「そうだ。
校尉が複数人いるような場だと『鄒破虜』と呼んで区別する場合もあるぞ」
これで字の使い方もわかった。
劉星、字は辰元。これで僕も三国志の住民だ。
そう盛り上がっている隣で、新たな火種が燻っていることを僕はまだ知らないでいた。
「この新入りの劉星って野郎。やたら劉備の兄貴に肩入れされてんな。気に入らねぇ……気に入らねえぜ!」
その鼻息を荒くした張飛に呟きに、僕はまだ気付いていなかった。
《続く》