「おい、劉星。
見ろ、あれが涿県だ」
「おお、あれが劉備たちの生まれ故郷・涿県……!」
大将・劉備は僕の名前を呼び、町を指差した。僕は虚ろな目を見開いて、その町を見た。
「あそこが三国志始まりの町・涿県か。三国志好きなら感動する場面だ……」
三国志の主人公・劉備が生まれ、関羽・張飛と桃園で義兄弟の誓いをした三国志始まりの町。それが涿県だ。
思えばここまで長い道のりだった。白馬の大将・公孫瓚らと共に反乱者・張純を石門山で破った僕ら劉備軍。このままさらに攻め続けるのかと思った矢先、大将の劉備が安喜県の尉に昇進したのを機に戦線離脱。一時、帰郷することとなった。
劉備軍の部隊の中には近隣の都市から加わった者も少なくない。そういう者は途中で部隊を離れ、各々の故郷へと帰っていった。百人ほどいた劉備軍も涿県に着く頃には三十人ほどに減っていた。
僕はというと、前世の記憶を持った転生者だ。劉星というのはこちらの世界での名前。元の名は辰元流星。未来の日本で競馬のジョッキーをやっていた。その乗馬スキルを買われて劉備軍に加わることとなった。
僕は前世の記憶はあるが、残念ながら今世の記憶がない。なので、こちらの世界での故郷も親の名もわからない。行くところもの無いので、このまま劉備の故郷まで同行することとなった。
「しかし、ようやく涿県が見れたけど、城壁ばかりで何の感動もないなぁ……」
こちらの世界の都市というのは、どこも周りを城壁で囲まれている。外から眺めても城壁か城門くらいしか見るところがない。
遠目から見たところ、東西に約一キロ。南北はそれより短い、八百メートル前後くらいだろうか。長方形の都市となっている。壁の高さは五、六メートルはありそうだ。山の上にでも行かないと城内はとても見れそうにない。
「せっかくなら城内を見たいところなんだけど……」
僕はチラリと劉備の顔を見る。
「俺の故郷の楼桑里はあの城内にはないからな」
涿県は未来の日本での行政区分で言うところの市や町にあたる地域だ。その城中と周辺の地域はいくつかの郷・亭に別れ、さらにその中に細かな里がいくつもある。郷や亭が未来の日本の住所で言うところの大字、里は番地くらいだろうか。
劉備の自宅がある楼桑里は涿県の城外にあった。
「町中でゆっくりしたいところだが、もう元日も過ぎちまった。
悪いが、俺は先に楼桑里に戻る。
城内に家のある奴はここで別れるが、劉星、お前はどうする?」
劉備の言葉でここまでの道のりを思い返す。僕らのいた管子城からこの涿県まで当然、徒歩だ。
一応、僕には愛馬・彗星がいるのだが、皆が歩いている中、一人だけ馬というわけにもいかず、共に歩いた。代わりに彗星には荷物持ちとして活躍してもらった。
しかし、その徒歩移動がキツかった。ここまで約一ヶ月半、休むこと無く歩き詰めだった。二十歳くらいの若い肉体に転生していなければ、とてもついていけなかったことだろう。本当に転生バンザイだ。
だが、その間に年が明け、元日が過ぎてしまった。元日には家族や親戚の集まりがあるらしく、それに参加できなかった事を劉備は気にしているようであった。そのためか、年越しから少し行軍速度が上がっていた。
「涿県の城内には興味はあるが、自宅があるわけでもない。
このまま劉備の故郷に同行するよ」
実のところ僕もクタクタで、城内見学よりさっさと休みたかった。
涿県城内に自宅のある人とも別れて、僕らは楼桑里を目指した。
劉備の故郷・楼桑里は涿県より西南へ少し進んだ先にあった。
そこは日本の田舎にもありそうなのどかな村だった。ただ、日本と違うのは村の周囲を土壁が覆っていることだろうか。長方形だった涿県とは違い、村の形に合わせたのか、歪んだ円形のような土壁だ。
「ここが劉備の故郷・楼桑里か」
僕らは門を抜け、村の中へと入る。
中には農地と少し民家があるだけで、本当に田舎の村といった感じだ。旅の途中で見た城市の街は区画整理され、建物は綺麗に整列していた。対してこちらの村の民家はまばらに散っている。
「さて、とりあえず、俺の家に行くか」
僕らは劉備の家を目指した。ここまで来ると同行するメンバーは随分減った。十数名といったところだ。見たところ楼桑里には百世帯も住んで無さそうなので、当然と言える。しかし、同行するメンバーには、手先の器用な簡雍や弓の名手・董機の姿もあった。
「劉備、あれはなんだい?」
僕はその道中で見つけた土山を指差した。土を盛り固め、上に大きな石が乗っているオブジェだ。よくわからない物体だが、村の道はだいたいあの土山を目指すように伸びており、あれがまるで村の中心にあるように思えた。
「何って、社だよ。
お前の村には無いのか?」
どうも常識的なことを聞いてしまったらしい。僕は慌てて取り繕った。
「ああ、あったかな。
ちょっとド忘れしちゃってたよ、ははは」
社というと、恐らく神社のようなものなのだろう。しかし、建物らしきものはない。御神体を剥き出しで置いているような感じなんだろうか。
「見えてきた。
あそこが俺の家だ」
劉備の指差す方を見ると、随分と大きな家が目に入った。
「随分、大きな家だな。
村一番の豪邸じゃないか?」
「お前が見てんのは本家の方だ。
俺の家はその隣だ」
劉備の指先をよくよく見ると、今度はこじんまりとした家が目に入ってきた。
「随分と小さくなったな」
「ほっとけ。
小さいかもしれんが、得に生活に支障はないぞ」
劉備はそう、弁明なのかよくわからない事をいった。
せっかく土地がたくさんあるのに、劉備の家は三十坪(約百平米)くらいの平屋だ。隣に大きな家が並んでいるのでより小さく見える。
しかし、考えてみれば、確か劉備は老いた母と二人暮らしだったはず。未来のように家電なんかの物が溢れているわけでもないし、このくらいの家で十分なのかもしれない。
「劉備よ、ようやく戻ったか」
劉備宅へと向かう僕たちに、隣の豪邸から一人の男性が現れた。歳は五十を過ぎたくらいであろうか。背は高く、痩せている。長い眉に整えられた髭。装飾は華美にならない程度で、白を基調とした上質な衣服を着ている。
「これは叔父上、ご無沙汰しております」
劉備はその中老の男性に対して深々と頭を下げて挨拶をする。
「あの人はだれだい?」
僕は小声で簡雍に尋ねる。
「ありゃ、大将の叔父の劉子敬殿だ。
この里のまとめ役でもあるお人だ」
なるほど、劉備もあの豪邸は本家と言ってが、叔父だったか。顔つきは少し劉備に似ているようだ。
その劉子敬はクドクドと劉備に小言を言い、劉備も頭が上がらないのかペコペコと頭を下げている。
「お前のおかげでこの里に理由のわからぬ奴が住み着いて困っている。
私はお前の叔父ではあるが、ここの里魁(里の長)でもある。悪事を働く者がいればお上に報告する義務を負う。
お前はわが劉氏の一族なら、どこの馬の骨ともわからぬ奴とは縁を切って、そろそろ真面目に働いたらどうだ」
「そのことなのですが、実はこの度、戦場での働きが認められまして、安喜県の尉に任命されました」
劉備は態度こそ恐縮した素振りだが、よく見るとなかなかのしたり顔だ。
「お前が県尉だと……。
まあ、それなら良い。県尉といえば悪人を取り締まる立派な仕事だ。よく励むのだぞ。
早くお前の母に知らせて、安心させてやりなさい」
「はい、それでは失礼致します」
劉備は得意満面な面持ちで帰ろうとする。しかし、劉子敬は何か思い出したような様子で劉備を再び呼び止めた。
「うむ。
ああ、それとあの男にも早く帰った事を伝えてやれ」
「あの男……ああ、アイツですか」
劉備は思い当たる人物がいるのか、すぐに納得していた。
「あの男、連日家を訪ねてきて、お前は帰ったかと煩くてかなわん。
あの男にも急いであってやれ」
劉備はようやく叔父から解放されると、隣の自宅へと向かった。
「ただいま、備が戻りました」
劉備は俺たちを誘いながら、門の奥へと進んでいく。
劉備宅は細長い建物が『口』の字型に並び、真ん中が中庭になっているという変わった形の家であった。だが、聞いたところ隣の劉子敬の豪邸も大きいだけで、似たような作りの家らしい。どうも、この『口』型がこの時代での一般的な邸宅の姿のようだ。
「おお、阿備(阿は愛称。備ちゃんの意味)よ。よく戻りました。
皆さんもよく戻りました。
おや、一人見ない顔の者がおりますね」
奥から現れたのは歳は50歳ほどの女性。化粧はせず、装飾も身に着けず、その身なりは慎ましかった。しかし、格好こそ貧しそうであったが、上品な雰囲気を醸した女性であった。
彼は初対面の僕に視線を向けた。
「はじめまして。僕は劉星と申します」
「この劉星は乗馬が得意です。その才能を見込んで仲間になってもらいました。
劉星、こちらは俺の母だ」
「はじめまして。備の母でございます」
「劉星、この家の裏に厩がある。
お前の馬と俺の驪龍を繋いでおいてくれ」
僕は劉備の命を受け、まずは自分の愛馬の彗星。次いで劉備の愛馬・驪龍を裏にある小さな馬小屋に曳いて、馬棒に繋いだ。
その驪龍を繋いでいる時に、一人の大柄な男が無遠慮に馬小屋の中に乗り込んで来た。
「驪龍じゃねーか!
兄貴、戻ってきたのか!」
その大柄な男はズガズガと入って来て、顔を僕の顔にグイッと近付けてきた。
「あん、お前、誰だ?」
デカい。百八十センチはありそうだ。百六十五センチしかない僕を見下ろすように覗き込んでくる。それだけで威圧感がある。
「ぼ、僕は劉星。
新たに劉備軍に加わった者だ」
それを聞くと、大柄な男は豪快に笑い飛ばした。
「ハッハッハ、新参か!
なら、俺の方が先輩だな!
俺は張飛! 覚えとけ!」
この大男が、三国志の中でも最強の呼び声が高い豪傑・張飛だというのか……?
《続く》