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第十二話 石門の戦い(五)

 僕が賞金首の張挙ちょうきょだと思って捕えた一人の騎兵。しかし、その顔を見てみれば、茶混じりの一つ結びにされた長い髪に紅い唇。歳は十代後半の女性であった。


 彼女はその場にへたり込んで、項垂うなだれていた。


張挙ちょうきょが……女の子!」


 あまりのことに僕は冷や汗をかき、何度も髪をき上げながら、その女性に尋ねた。


「君は張挙ちょうきょ……じゃないのか?」


 その問いかけに、彼女は紅い唇をぎゅっとつむぎ、少し低めの声色で答えた。


「私は……張挙ちょうきょだ」


 しかし、その声をどんなに低く装おうとも、まだ少女的な幼さの残る女性の声であった。


(やはり、彼女はまぎれもなく女性だ。


 この世界は女性が武将になるというのか!


 あれか女体化というやつか。何か違和感があると思っていたが、まさか女体化が出てくるタイプの三国志だったなんて!

 そういう作品があるのは知ってるが、自分の転生先がそんな世界だとは思わなかった。


 だけど、張挙ちょうきょが女性キャラってどこに需要があるんだよ!)


 僕は突然のこの事態に頭をきむしった。


 まさか、女体化武将が出てくるなんて、完全に予想の範囲外だ。僕にはどうにもお手上げ状態だ。


 彼女の顔をまじまじと見る。化粧で飾ってはいないので、素朴な印象を受ける。だが、サラサラの髪に、パッチリとした大きな目の端正な顔立ちで、なかなかの美人なようだ。


(こんな美女がこの乱の首謀者だったなんて……)


 戸惑っている僕の元に、大将・劉備りゅうびが、弓の名手・董機とうきを後ろに乗せて到着した。


「おい、劉星りゅうせい


 張挙ちょうきょを捕らえたのか?


 ん?……女?」


 劉備りゅうびも僕がオジサンのはずの張挙を追っていると思っていたので、対峙しているのが女性と気づいて面食らっているようであった。


 そんな劉備りゅうびを相手に、僕は泣きつくように事情を説明した。


「ああ、劉備りゅうび


 彼女が張挙ちょうきょだ! この世界は女体化した武将の世界だったんだよ!」


「何、わけのわからんこと言ってんだ?」


 さすがの劉備りゅうびもこの事態をすぐには飲み込めないようだ。僕は深呼吸して声を整え、改めて説明した。


「だから、張挙ちょうきょの正体はこの女性だったんだよ!」


 劉備りゅうびは顔をしかめながら答えた。


張挙ちょうきょは過去に郡太守ぐんたいしゅも務めたことがある人物だぞ。


 そんな若い女なわけがないだろ」


 劉備りゅうびはため息混じりにそう話す。横にいる董機とうきも苦笑しながらこちらを横目で見てくる。


「え、じゃあこの女性は……?」


張挙ちょうきょじゃねえのは確かだ。


 だが、婢妾ひしょうというわけでも無かろう。何者だ?」


 劉備りゅうびはその女性をにらみつけ、脅すような口調でそう問い詰めた。


 しかし、女性は目線をらし、何も答えようとしない。


 劉備りゅうびはますます強い口調で彼女に迫った。


「おい、女。


 答えないなら本当に婢妾ひしょうとして売り飛ばしてもいいんだぞ」


 女性は目を下に落とし、観念したようにボソボソと答え始めた。


「私は張挙ちょうきょ……の身代わりです」


 なるほど、それなら納得できる。やっぱり女体化武将なんていなかったし、この世界はそういう世界では無かったようだ。少し残念ではあるが……。


 だが、それだと新たな疑問も生まれる。


「影武者というわけか。


 しかし、なんでオッサンの影武者を女性が務めるんだ?」


 オッサンの代わりなんていくらもいるだろう。何も性別も年齢も全く違うこんな女性に頼む仕事ではない。


「それは……」


 女性は言いよどむ。それを劉備りゅうびは一刀で切り捨てた。


「恐らく、張挙ちょうきょの縁者だろう。


 お前が張挙ちょうきょの身代わりなら本物がまだあの陣の中にいるということだな。


 おい、コイツを人質に引き連れて、本物の張挙ちょうきょあぶり出すぞ」


 そのまま陣に戻ろうとする劉備りゅうびを、女性は引き止めるように叫んだ。


「ま、待って!


 ……張挙ちょうきょは……本物の張挙ちょうきょはもういません!」


 その彼女の言葉に、劉備りゅうびは再び彼女をにらみつけ、問い詰める。


理由わけを話せ。


 でなければお前はこのままは我らの捕虜にする。それに張挙ちょうきょを探して陣も焼き払う」


 その言葉に彼女はついに自身の正体を語り出した。


「私は……張挙ちょうきょの娘です。


 張挙ちょうきょは……私の父は張純ちょうじゅんに殺されました」


 その回答に僕らはギョッとする。


 張純ちょうじゅんといえば、張挙ちょうきょと並ぶこの乱の首謀者だ。仲間のはずの張純ちょうじゅんに殺されたとは穏やかではない。


 僕は思わず聞き返した。


「殺された?


 張純ちょうじゅんって確か張挙ちょうきょとは親戚だったんじゃないのか?」


 劉備りゅうびもそれに続いて問い質す。


「それに張挙ちょうきょ張純ちょうじゅん自らが説得して仲間に引き入れたという話だ。


 さらには彼を皇帝にかつぎ上げたということだったはずだぞ。


 何故、殺すことがある」


 その問いに、彼女は一言一言噛み締めるように答えた。


「ええ、そうです。


 始め、張純ちょうじゅんは一族の年長者である父・張挙ちょうきょに敬意を払っておりました。


 ですが、次第に意見が対立するようになり、ついに張純ちょうじゅんは父を殺してしまいました」


 その話を聞いて僕は鼻息を荒くした。


「自分で皇帝にまつり上げておいて、殺すなんてひどい話だ!」


「そうです。ひどい話です。


 張純ちょうじゅんもそのひどい話が広まるのを恐れました。


 自身が皇帝に据えた人物を殺しては、せっかく集めた反乱軍が分裂してしまうと考えたのでしょう。


 張純ちょうじゅん烏桓うがん丘力居きゅうりききょにのみ真実を話し、この事実を隠しました。


 そして、娘の私を身代わりとして張挙ちょうきょに仕立てました。


 さらには病気がちということにして、あまり表に出さないようにして誤魔化してしまいました」


「それで女性の君を身代わりにするのかい?」


張純ちょうじゅんは恐らく女の私なら言いなりに出来ると考えたのでしょう」


「しかし、それにしても父のかたきである張純ちょうじゅんに協力なんてしなくてもいいんじゃないか?」


 そう僕は尋ねたが、彼女は首に横に振って答えた。


「既に私たちは謀叛むほん人の一族です。


 この乱が失敗すれば九族皆殺しになるぞと、張純ちょうじゅんから言われ、従うほかありませんでした。


 ですが、こうなってしまってはどうすることもできません。


 この身をかん軍に引き渡してください」


 彼女はその大きな瞳をカッと見開き、小さな拳をギュッと握り締めてそう答えた。


 その目からわずかな一滴ひとしずくがこぼれ落ちた。


「そんな……!


 劉備、謀叛むほん人の娘が捕らえられたらどうなるんだ?」


 彼女の涙に胸を痛めた僕は劉備りゅうびに尋ねた。


「そんなの処刑以外ない」


 劉備りゅうびはあっさりとそう答える。


 さらには横にいる董機とうきも得意の弓を構え始めた。


「大将、張挙ちょうきょの娘となれば千金とはいかずとも百金は下らない首です。それに今の話が本当なら上乗せもあり得る。


 どうしますか?


 万一、逃げられないように足の一つも射抜いておきますか?」


 そう言いながら董機とうきは彼女の足を目掛けて矢を引き出した。


「そんな!


 戦意のない女性の足を射るなんて人のすることじゃないぞ!」


 僕は激しく抗議したが、弓を構える董機とうきはまるで取り合おうとしない。


「しかし、逃げられてからでは遅い!


 劉備りゅうびの大将、射ますか?」


「待ってくれ、劉備りゅうび!」


 僕と董機とうき、二人に詰め寄られた劉備りゅうび。彼は目をつむって一拍置くと、僕に向かってハッキリとした口調で話し始めた。


劉星りゅうせい、その女は百金、いやそれ以上に価値のある首だ。


 百金といえば中家(中流家庭)の資産の十倍の額だ。


 それでもその女を選ぶか?」


 僕は劉備りゅうびに負けず劣らずハッキリした口調で答えた。


「金のためにこんな年端もいかない女性を差し出すことはできない!」


「百金といえば百万銭だ。


 安い馬なら一頭四、五千銭。上を見ればきりが無いが、二十万銭も出せば良馬が買えることだろう。

 百金とはそれだけの額だぞ」


「うう……う、馬を出しても駄目だ!


 馬欲しさに女性を売るなんてできない!


 それに僕には既に彗星すいせいがいる!」


 僕は寄り添う愛馬・彗星すいせい下唇したくちびるを撫でた。


「今回の我ら役目は敵の撹乱と張挙ちょうきょの確保だ。


 その女を逃せば、我らの役目は半分しか果たせないことになる。それがわかっているのか」


 劉備りゅうびは顔色一つ変えずに僕に迫る。ただ、淡々と状況を説明しているだけのようだが、まるで脅されている気分だ。


「わ、わかっている。君たちには申し訳ないと思っている。


 でも、こんな若い女性と引き換えに得たものは、誇るべき戦果とは言えないはずだ。

 これから天下に名を上げる劉備りゅうびが、劉備りゅうび軍がやるべきことではない!」


「ふふ、天下に名を上げるか……。


 よし、わかった!


 この娘を捕らえたのは劉星りゅうせいだ。


 その娘の処遇を決める権利は劉星りゅうせいにある。ここは劉星りゅうせいに従おう」


 そう言い、劉備りゅうびは僕の目をしっかりと見た。


「いいのか、劉備りゅうび?」


「ああ、お前がどういう決断に従おう。誰にも文句は言わせん!


 好きにしろ!」


 本当に全てを受け入れるといった堂々とした態度だ。


 始め劉備りゅうびった時、その粗暴さにこれが三国志の英雄かとあきれたものだった。

 しかし、今では彼の部下になって本当に良かったと思える。

 やはり、劉備りゅうびは三国志の英雄であった。


「恐らく、僕の判断はこの時代の人からすればとてつもない甘いのだろう。


 でも、彼女は、ただ謀叛むほん人の娘というだけで偽りの玉座ぎょくざに座らされ、自由を奪われてしまった。


 それをさらに命を奪おうなんて、僕にはとてもできない!


 劉備りゅうび、僕はこの娘をここから逃がしてあげたい」


「わかった。


 だが、一つ言っておく。お前の今回の手柄は無しだ。この埋め合わせはいずれしてもらうぞ」


 そう言われ、僕は大きくうなずいて答えた。


「ああ、わかった。


 この借りは必ず返すよ」


「よし、お前の判断に従い、この場は逃がそう」


 弓を構える董機とうきは、そのやり取りを聞いて強張こわばった視線を劉備りゅうびに向ける。


「良いのですか、大将!


 この娘がいるかいないかは、我ら全体の手柄に影響しますよ」


「構わん。


 部下の手柄を横取りするのは大将の仕事じゃねーよ」


 劉備りゅうびは胸を張ってそう答える。


 その態度に、僕は思わず頭をれて礼を言う。


「ありがとう、劉備りゅうび


 そのやり取り彼女は立ち尽くして、いや、座り尽くして聞いていた。そして、僕らの出した結論に彼女を丸くしながら聞き返した。


「あの……よろしいのですか。


 私は謀叛むほん人・張挙ちょうきょの娘で……」


「ああ、張挙ちょうきょの娘……ただ、それだけのことだ。


 死ぬほどの理由じゃないよ」


 そう言って僕は彼女を勇気づけた。


「すみません……


 ありがとう……ございます」


 そう言いながら彼女は震えながら、そでで顔をおおった。


劉星りゅうせい、こんな森でそんな娘を置いていけば襲われるか、殺されるかしてしまうだろう。


 安全なところまで送ってやれ」


 そう劉備りゅうびに言われ、僕は愛馬・彗星すいせいの背に乗ると、彼女の手を引いて後ろに乗せた。


「さて、では行こうか。


 えっと、君の名前は何かな?」


「え、私の名前ですか……それは……」


 僕の問いかけに、彼女は少し顔を赤らめながら言い淀んだ。


 だが、その時、一本の矢が僕らを乗せる彗星すいせいの足元に突き刺さった。


「その女を置いて去れ!」


 荒々しい怒声と共に現れたのは、一人の烏桓兵であった。赤い服に毛皮をまとい、頭のかぶとの頂上には白鳥の羽がなびいている。身長は百八十センチほどの長身細身。だが、その弓矢を構えたその腕はたくましいものであった。。弓なりの細い眉、切れ長の目、高い鼻と整った容姿の若い男だ。


 彼は立派な馬にまたがり、馬上より弓矢を突き出してこちらを狙っていた。


《続く》


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