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第十話 石門の戦い(三)

 ここは石門山せきもんざんの山腹にある烏桓うがんの王・丘力居きゅうりききょの陣所。


 劉星りゅうせいらが敵の背後を突こうと、山岳地帯を進んでいる頃、この丘力居きゅうりききょの陣地にも動きがあった。


 烏桓王うがんおう丘力居きゅうりききょの陣所には、漢族の四角い幕舎を連ねた陣所と違い、穹廬きゅうろ(ゲル・パオ)と呼ばれる円柱型の移動式住居が並んでいた。


 遊牧民である烏桓うがんは普段からこの穹廬きゅうろに住む。そういう意味では、慣れない幕舎暮らしを強いられる漢軍と違い、烏桓うがん軍の滞陣は快適と言えた。


 その穹廬きゅうろの周囲で、ある者は馬の世話に勤しみ、ある者は馬に乗り、それぞれが長期戦を想定して思い思いの過ごし方をしている。

 それでも馬との縁が切れないあたり、彼らが騎馬民族であることを思わせる。


 烏桓うがん兵は皆、赤い衣服を身にまとっている。その上から騎乗に差し支えない程度の軽装のよろいを身に着け、さらにその上に、自分が仕留めた動物の毛皮で作った防寒着を着込んでいる。


 頭は辮髪べんぱつという頭頂部の髪のみをり残し、長く伸ばして三つ編みにするという独特の髪型にする。


 その辮髪べんぱつの上に、三角コーンのようなとんがったかぶとを被っている。上級兵士はそのかぶとに鳥の羽や動物の毛皮で思い思いに着飾り、毛皮の服と合わせて、それが兵士の識別に使われていた。


 彼らの武器はまず第一に馬である。皆、子供の頃より馬に慣れ親しみ、手足のように使いこなす事ができる。


 第二の武器は弓矢である。烏桓うがんの子は弓矢を使った狩りを必ず習う。弓は馬上で扱い易いように三尺(約七十センチ)から四尺(約九十センチ)程度の小型のものを用いる。箭箙せんぷく(矢袋)を右腰に、弓嚢きゅうのう(弓袋)を左腰の前側に付ける。


 さらに左腰の後ろに径路刀けいろとうと呼ばれるダガーナイフのような短刀を差す。


 弓矢と短刀は烏桓の基本装備だ。これに加えて今ではほこげき等のかん族の長柄の武器を持つ者も少なくなかった。


「我が軍は精強だな」


 彼らを見て、満足そうに腕組みをする男。彼が烏桓うがん王・丘力居きゅうりききょであった。


 一際大きな赤い大将旗の下に彼は立っていた。


 歳は五十代後半くらい。身長は八尺(約百八十四センチ)を優に超える長身。顔はひげで覆われて見えづらいが、無数の傷が残され、烏桓うがんの壮健な勇士たちの中にあっても一層際立つ存在感を放っていた。


 烏桓うがんは民族の名であって、国家の名ではなかった。いくつかの部落に分かれており、その全てを束ねる皇帝のような存在はいなかった。部落を治める者を小帥しょうすいと言い、小帥しょうすいの上に大人たいじんがいる。

 その大人たいじんの中でも勢力の大きな者は自らを王と称した。


 丘力居きゅうりききょはそんな王を称する一人であった。

 なので、王と言っても烏桓うがん全てを全体を統治しているわけではなかったが、それでも十万余の住民を率いる一大勢力であった。


 今回の張純ちょうじゅんの乱には何人もの烏桓うがん王が協力していたが、この丘力居きゅうりききょはその中でも中心的な人物であった。


 その丘力居きゅうりききょの側に二人の騎馬兵が駆け寄ってきた。


従父上おじうえ、いえ、烏桓うがん王様。


 敵の動きは今のところまだ見えません」


 二人は馬より降り、そのうちの一人、背の低い方の男は丘力居きゅうりききょの側まで行って報告を行う。

 その報告者を、丘力居きゅうりききょは笑顔で出迎えた。


「おう、蹋頓とうとん、戻ったか。


 やはり、敵は我らに付いたようだな」


 丘力居きゅうりききょいかつい顔ながらもニヤリと笑い、続けて語った。


「敵が恐れを抱いているのは、他でもない我ら烏桓うがんだ。


 このまま張純ちょうじゅん張挙ちょうきょを切り捨て、我ら烏桓うがん族によるかんの国の討伐戦に移行するか」


 そう言い、丘力居きゅうりききょは豪傑らしい大笑をした。


 しかし、話し相手の蹋頓とうとんはしかめっつらのままであった。


「王様、それは結構なことでございますが、慎重に行うべきです。


 かんの国は強大です。我らが対面しているのはかんの領土のほんの一部に過ぎません。この度の討伐軍を退けたとしても、なお、過信すべきではありません。


 我らが真の独立を勝ち取るならば、漢人かんじんの協力は不可欠です」


 そう話す彼の言葉に、丘力居きゅうりききょは感心した様子であった。


 彼は、烏桓うがんの王・丘力居きゅうりききょ従子おい蹋頓とうとん


 歳は二十代前半くらいとまだ若い。身長は七尺(約百六十一センチ)あるかどうか。体格もずんぐりとしており、精悍せいかんな体つきの従父とじとは対照的であった。

 しかし、その目には闘志をたぎらせていた。それが返って彼に只者ではないという風格を与えていた。


「なるほど、お前の言う事ももっともだ。


 この度の討伐軍を撃退することなら我ら烏桓うがん族だけでもできるだろう。しかし、そこで我らは止まってはならない。


 さすが、我が軍でもっともかんの国を研究した男だ」


 人は気分良く話している時に水を差されると不快になるものだ。丘力居きゅうりききょもそれは例外ではなかった。

 しかし、ただ一人、この従子おい蹋頓とうとんの言葉だけには、どんな反対意見でも耳を傾けた。


 それだけ彼の能力を認めていた。


 その丘力居きゅうりききょの言葉に、蹋頓とうとんは恐縮した様子で答えた。


「恐れ入ります。


 しかし、私の研究もまだまだでございます。


 先日もかんの戦い方を取り入れた何卜那かぼくなの隊が敵の騎馬隊に全滅させられてしまいました」


 先立って劉備りゅうび鄒靖すうせいらを包囲した隻眼せきがんの大将・何卜那かぼくなは彼の部下であった。その何卜那かぼくながこの決戦前に討たれたのは、蹋頓とうとんにとって痛手であった。


 落ち込む蹋頓とうとんを、丘力居きゅうりききょ従父おじらしく優しくねぎらった。


「確かにお前の研究はまだ半ばだ。


 だが、お前はまだ若い。そのまま研究を続ければ、いずれ烏桓うがんを背負って立つ男になることだろう。


 なんと言ったか、独自の軍隊を作っているのだろう」


 その言葉に蹋頓とうとんは一瞬にして臣下の顔に戻り、神妙な顔つきで答えた。


獣士衆じゅうししゅうでございます。


 生まれいやしくも、身体壮健そうけんで、勇気知略が人並み以上に優れた者を集めて、共に研究にはげんでおります」


「そこの従者もその一人か?」


 丘力居きゅうりききょ蹋頓とうとんに同行していたもう一人の騎兵を指差して尋ねた。


 蹋頓とうとんはその男を呼び寄せて紹介した。


「はい、この者の名は魯昔ろせき


 彼の騎射は私を凌駕りょうがするほどの腕前です。この者は人が一矢を射る間に三矢を放ち、百歩先の木の葉を射抜き、その威力は(機械仕掛けの弓)にも勝ります。


 我が獣士衆じゅうししゅう衆夫長しゅうふちょうにございます」


 蹋頓とうとんからそう紹介された男は、身長は約八尺(約百八十四センチ)と丘力居きゅうりききょとほぼ同じくらいの長身。しかし、体格は彼に比べると随分な細身で、一見すると文官にも見える。弓なりの細い眉、切れ長の目、高い鼻と整った容姿の持ち主であった。


 紹介された彼は一際ひときわ丁寧に頭を下げた。


魯昔ろせきにございます。覚えていただけたなら幸いでございます」


「ほう、蹋頓とうとんすら上回る騎射の腕前か。


 ならば、烏桓うがん一といっても差し支えない実力だな。


 お前たちのような若者がいるのは頼もしい限りだ。


 俺は既に歳を取った。しかし、息子はまだ幼い。俺に何かあった時は息子と一族を頼むぞ」


 丘力居きゅうりききょの遺言とも取れる不穏な発言に、蹋頓とうとん狼狽うろたえながらもすぐに返した。


「何を気弱なことを言われるのですか。


 王様はまだ元気ではございませんか」


 実際、彼の目から見ても丘力居きゅうりききょは健康そのもので、老いを感じされるものではなかった。


 だが、仮に烏桓うが王を称する丘力居きゅうりききょの目は、その先を見据えていた。


蹋頓とうとんよ、そこまでかんにかぶれることはない。


 年長者を敬うは漢かかんの風俗。我ら烏桓うがんは若さを貴び、老いを忌む。


 これからはお前たちの時代だ。よく烏桓うがんを栄えさせよ」


 そう言われては蹋頓とうとんも受け入れるしかない。


「身命に変えて烏桓うがんのために戦いいたしまする。


 しかしながら、これからの決戦という段階で、そのような言説は不吉かと思われます。


 どうか、慎みください」


「そうだな、悪かった。


 だが、俺には懸念けねんすることがあるのだ」


 何処か遠い目をしてそう話す丘力居きゅうりききょに、蹋頓とうとんは勇ましい口調で返した。


「同胞十万に号令をお掛けになる烏桓うがん王様に、いかなる懸念けねん材料がありましょうか」


 だが、その返答に丘力居きゅうりききょは首を横に振った。


懸念けねんは我らにあるのではない。


 漢人かんじんのことだ。


 これは秘中の話だが、蹋頓とうとん、お前には伝えておく。


 魯昔ろせいと言ったか。お前も蹋頓とうとんの片腕ならば聞いておけ」


 そう言われては聞かぬわけにはいかない。蹋頓とうとんとその部下・魯昔ろせき丘力居きゅうりききょの側に近付き、小声で話す彼の口元に耳を傾けた。


「実はな。この乱の首謀者・張挙ちょうきょは……」


 そう言って周りに聞こえないような音量で話す丘力居きゅうりききょの言葉に、二人は次第に顔色を失っていった。


「なんと、そんな事実が!」


 話を聞き終わると、蹋頓とうとんは思わず声を上げた。


「俺は判断を間違えたかもしれない。


 故にお前たちに託す。


 先々のことは頼んだぞ」


 蹋頓とうとん魯昔ろせきは力強く丘力居きゅうりききょに肩を叩かれた。


 二人は丘力居きゅうりききょの言葉に力強く答え、その場は下がった。その帰り道、蹋頓とうとん魯昔ろせきに改めて尋ねた。


「先ほどの烏桓うがん王の話をどう思うか?」


「まさか、あれほどのことが誰にも知られずに進んでいたとはと、驚くばかりです。


 しかし、そうなると気がかりは張挙ちょうきょの陣所……」


 その魯昔ろせきの回答に蹋頓とうとんは大きくうなずいた。


「そうだ。


 この事実により、我が陣営の急所は張挙ちょうきょとなった」


 蹋頓とうとんの目がギラリと光る。


「ですが、幸い張挙ちょうきょの陣は我が軍の裏手に位置します。もし、決戦となっても損害は軽微けいびでしょう」


「だが、敵が裏に回ったら?」


「大軍が動けばすぐにわかります」


 魯昔ろせきはそこまでの危機に感じていない様子であった。


 その時、一陣の風が吹き荒れた。蹋頓とうとんは不安を覚えて丘力居きゅうりききょの陣へと振り返ると、彼の大将旗が風にあおられグラリと揺れ、まるで翻弄ほんろうされるかのように傾いていた。その光景に蹋頓とうとんの野生の勘が危機を叫んでいた。


「このままではいけない!


 少数精鋭で一気に攻めてくる可能性がある。


 よし、我らは裏に周り、張挙ちょうきょの陣の支援に回る!


 急げ!」


《続く》


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