公孫瓚といえば、後にこの北方の地の群雄として名を馳せる人物。白馬のみで構成された白馬義従という騎馬隊を率いて活躍する。
しかし、彼が今率いている部隊を見ると、白馬はまばらで、多様な毛色の馬が加わっている。どうやら白馬義従を結成するのはまだ先の未来のことらしい。
僕らは公孫瓚軍と合流し、ここからは軍の主導権は鄒靖から公孫瓚へと移った。
公孫瓚は僕らにこれまでとこれからを語り聞かせてくれる。
「私は総司令官の中郎将・孟益殿と共にここ幽州の張純らに占領された都市を攻略して回っていた。
敵が本拠地としていた薊城は既に孟中郎将が落とした。
それにより行き場を失った張純・張挙らは烏桓の本拠地である柳城を目指して退却した。
そして、彼らはその西南にある石門山に布陣した。
我らはこれよりその石門山を攻める!」
僕らの次の行き先が決まった。
僕らは公孫瓚と共に幽州の遼西郡(現在の遼寧省朝陽市辺り)にある石門山という山へと向かった。
石門山に辿り着いた僕の前に敵陣の姿が飛び込んでくる。
「あれが石門山の敵陣か!」
それは連なる険阻な山であった。その山腹、台地になって開けている場所に防柵が築かれ、旗指し物が無数に並んでいる。そんな場所が無数に中腹にあり、山をぐるりと要塞になったような様相になっていた。
その各所にいくつもの敵影が見える。恐らく合わせれば何万もの軍勢になるのだろう。これまでの戦いとは違う大規模なものとなることを予見させた。
公孫瓚は既に情報を得ているようで、あれが張純の陣、それが烏桓の王の陣と、指差しながら細かに説明していく。
「山はご覧の有り様だ。
乱の首謀者・張純に張挙、それに烏桓の王・丘力居ら、主だった者たちがこの山に集結している。
これは長期戦を覚悟せねばならぬかもしれんな」
白馬の騎将・公孫瓚は重く渋い声でそう告げてきた。それに劉備が応じる。
「ああ、公孫瓚の兄貴の言う通りだろう。
山の上にいる連中を下から攻めるのは不利だ。
幸い木々がよく茂っているから、ここは隠れて裏に回り、奇襲を仕掛けるべきじゃないか。
何だったら俺たちの軍がやるぜ」
しかし、劉備の提案に、公孫瓚は声以上に渋い顔つきになった。
「いや、劉備よ、悪くはない策だがそれは難しい。
気づかれないように動くなら兵数は限られる。確かにお前の軍の兵数なら見つからずに移動できるかもしれない。
だが、この山には敵兵の主力が集結している。わずかな兵で攻めてもビクともせんだろう。
お前たちが攻めても返り討ちに合うだけだろう」
公孫瓚と劉備の会話を聞くに、どうやらすぐには攻められそうにない。
劉備の策が却下されるのは無理もない。何万人もの兵士がひしめいているのだろうあの山を相手に、百人ばかしの劉備軍ができる仕事はあまりにも少なすぎる。
ここは何千人と部下がいる公孫瓚や鄒靖に任せて、指示が下るまで待っておこう。
「仕方ない。
今は来たるべき戦いの準備に時間を使おう」
この辺りは自然が多い。僕は茂みの中に分け入り、丈夫そうな蔦を切り取り、陣所へと持ち帰った。
その蔦で足先が入るくらいの小さな輪を二つ作ると、その輪をさらに蔦で結び、愛馬・彗星の鞍に括りつけ、左右から垂らした。
「出来た!
簡易鐙の完成だ!」
「劉星、そりゃなんだ?」
その工作の様子を見て、劉備が不思議そうに尋ねてくる。
「これは鐙という馬に乗る時に足を乗せる足場だよ。
さすがに鐙も無しで馬に乗るのは無理があると思ってね。簡単だけど作ってみたんだ」
「変なもん作ってんな」
鐙は馬に乗る時に足を乗せるもので、現代での乗馬には必需品だ。
しかし、どうやらこの時代にはまだ鐙はないらしい。僕が読んだ三国志の漫画には確かあったと思うんだが、いつ頃に出来るものなのだろうか?
未来の道具を先取りして作ってしまうことに抵抗がないわけではないのだけど、鐙もない状態で馬に乗るのは厳しい。前回の一騎打ちでも馬の体当たりで簡単に姿勢を崩してしまった。
今後もあのような戦いがあるなら、ぜひとも作っておかねばならない。
僕は蔦の鐙に足をかけ、馬に乗ろうとしたが、『ブチッ』という音を立てて、蔦が切れてしまった。
「ああ、切れちゃったか。
やっぱりこれに体重を預けるのは無理か」
「そりゃそうだろうな」
劉備は冷ややかな目でそう答えた。
「様子を見に来てみれば、何をやっとるんだ、お前たちは?」
そこにやってきたのは、白馬の騎将・公孫瓚であった。長期戦になったおかげで、この人にも暇が出来たようだ。馬具のことならこの人に聞けば何かわかるかもしれないと思い、僕は事の顛末を伝えた。
「公孫瓚様、実は斯々然々で、鐙というものを作っているのです」
公孫瓚は何か思い当たることがあったようで、何やら語って聞かせてくれた。
「それは鐙というのか。
昔、革で出来たそういう沓掛けを見たことがある。名家の子弟が馬の乗り降りに使っておった」
「え、鐙が既にあるんですか!」
僕は公孫瓚の言葉に驚いた。どうやら鐙の原型は既にあるようだ。なるほど、それが将来的に金属製の鐙へと進化していくのだろう。
「なるほど、革で作るんですね。
革の強度で馬上でも体を支えることができますか?」
僕の質問に、公孫瓚は渋い顔して答えた。
「走行中にも使う気か?
あれにそこまでの強度はないはずだぞ。あくまでも乗り降りする時の補助具だ。
馬に乗ったら、その補助具からは足を外して使ったりせん」
鐙の役割は大きく二つある。一つは乗り降りに使う補助具。もう一つは騎乗中に体を安定させる。この二つだ。
どうやら、革の鐙は前者の乗り降りの補助具としての役目しかないようだ。
「うーん、革では強度に問題があるようですね。
やはり金属で作らないと」
「金属か。そこまでして必要なものなのか」
公孫瓚は鐙の必要性に懐疑的だ。既に無い状態でも彼らは上手く馬に乗れているのだから、それも当然の言葉なのかもしれない。
「劉星よ、金属製のはすぐには作れねぇけどよ、木製のはどうだい?」
そう言いながら、猫背の男が僕の前までやってきて、木を削って作った二つの輪っかを渡してくれた。
「え、いただけるんですか、ありがとうございます!
えーと……」
確かこの人は前に僕が信用できるのかと劉備に尋ねていた人だな。
だが、名前がまだわからない。
「自己紹介がまだだったな。
おりゃぁ、簡雍という者だ。
同じ大将の配下だ。そう畏まらなくていいぜ」
簡雍。少しマイナーな人物だが、聞き覚えがある。確か劉備に古くから仕える文官だったはず。
歳は劉備とそう変わらないのだろうが、少し老けて見える。身長は猫背のために低く見えるが、伸ばしてもそんなに高くは無さそうだ。四角い顔に無精髭を生やしている。あまり清潔感は無いが、どこか顔に愛嬌がある。
少し前までは僕の加入に批判的であったが、先の戦いで少しは認めてくれたということだろうか。あの一騎打ちで悪感情が少しでも和らいだのであれば、危険を冒して戦った意味があるというものだ。
これからも劉備軍でやっていくのなら、この簡雍だけではない。他のメンバーとも仲良くやっていきたいところだ。
そこへ劉備が横から来て補足の言葉をくれた。
「簡雍は手先が器用でな。
簡単な物なら作ったり、直したりできるんだよ」
「うちは金がねぇからな。
自分でやってるうちに色々出来るようになったんだよ。
木は金属より頑丈じゃぁねえから、ずっとは使えねぇだろうが、一回の戦い分くらいは保つだろ。括りつける紐も革のこいつを使えよ」
ちょっと毒づきながらも簡雍は僕に革紐を渡してくれた。
「ありがとう。早速使ってみるよ」
僕は木製の鐙を革紐を括りつけ、彗星の鞍につけて垂らした。見た目は電車の吊り革を馬の左右に付けている図のようでもある。
だが、絵的には申し分ない完成度だ。
「さて、問題は強度か」
僕は鐙に左足をかけ、体重を乗せた。最中に『ビッ』という嫌な音が聞こえたが、無事に馬に乗ることが出来た。
僕は右足も鐙に入れた。前までの足を大きく折り畳み、馬体を挟む乗り方に比べれば随分、楽な姿勢になった。
「これだよ、これ。
よし、走ってみよう」
僕は愛馬・彗星を走らせ、周辺を軽く回ってみた。今までの正座みたいな姿勢からは考えられないほどの快適さだ。やはり、馬には鐙が必要だ。
「おう、戻ってきたか。
どうだったよ、劉星?」
「ようやく馴染みの乗り方ができたよ。
ありがとう、簡雍」
小さな輪っかではあるが、これだけで随分乗りやすくなった。簡雍には感謝してもしきれない。
「そりゃ良かったが、所詮は木の輪っかだ。
いつまで保つかはわからんぞ」
簡雍の言う通りそこが問題だ。やはり、金属製の鐙が欲しいところだ。
その事に対して劉備が簡雍に尋ね出した。
「簡雍、村の炉ならお前さん使えたろ。
あれで金属の鐙作れんか?」
劉備の問に簡雍は目を眇めながら答えた。
「ありゃ、折れたとか曲がったとかの簡単な補修をするための炉だ。
一から作るなら、ちゃんと職人に頼まなきゃ駄目だろうな」
「そうか、無理か。
まあ、馴染みの商人がいるから村に帰ったら紹介してもらおう」
どうやら宛はあるようだ。劉備の村に連れて行ってもらったら、ぜひ、金属製の鐙を作ろう。
その一連の様子を見て、公孫瓚が再び僕に尋ねてきた。
「しかし、劉星よ。
その鐙というのはそんなに良いのか?」
「ええ、公孫瓚様。
体が安定しますし、馬上で戦うならば必須の道具ですよ」
「馬上で必須とあらば騎馬隊の指揮官としては興味が湧くな。参考にさせてもらって良いか」
「ええ、存分に参考にしてください」
もしかして鐙の特許が取れたら大金持ちになるんじゃないかとの考えが過ったが、時代的にそれは叶いそうにない。金持ちルートは難しそうだ。
ここに長期で滞陣するのなら、それまでの間はこの鐙に慣れるまで練習しようかとなどと考えていた。
だが、決戦の日は予想より早く来てしまった。
「敵の烏桓人の中に我らに寝返ると願い出て来た者が現れた。
これ以上の好機はない。
これより我らは全軍を挙げて石門山を攻略する!」
そう公孫瓚は宣言した。
突如、決戦の火蓋が切られてしまったのであった。
《続く》