敵が浮足立てば後は鄒校尉の部隊が蹴散らしてくれる。
お前はただ敵将に真っ直ぐ進んで、敵を動揺させればそれでいいんだ」
本当に劉備は自信に満ち溢れたように語ってくる。彼のその揺るぎない眼でそう言われると、本当にできそうな気がしてくる。
だが、今回は自分の命がかかっている。そんな簡単に受け入れるわけにはいかない。
「しかし、敵が動揺しても敵中に突っ込んだ僕はどうなる?
敵陣に取り残されてしまうじゃないか」
「いいや、それこそ心配しなくていい。
お前さんの騎乗を見ていたが、馬術の腕は胡人より上だ。それは保証する。お前の腕なら十分に逃げられる。
敵陣に突っ込んだら後は全力で逃げろ」
「無茶苦茶だよ……」
結局、彼の策は僕が頑張らねば死ぬというとんでもない策であった。
「残念だが、俺や俺の部下の馬術じゃお前さんみたいな芸当はできねぇ。
それにこのまま包囲を受ければどの道、全員殺されちまう。
それが嫌ならお前が走るしかないんだよ!」
そう言うと劉備は僕の両肩を強く掴み、ジッとこちらの目を見てきた。その目にはウンと答えねばならないような迫力があった。
「うう……わかった、やろう」
「そうこなくてはな」
僕が渋々ながらも同意すると、劉備は今日一番の笑顔で答えた。
これがあの三国志で人徳を謳われた劉備なのかと愚痴の一つもこぼしたくなる。やっぱり僕は三国志とは別の世界に転生したんじゃなかろうか。
そんな僕の気持ちを歯牙にもかけない面持ちで、劉備は準備に動き出した。
その劉備の後ろから、猫背の男が彼の側にまで駆け寄って、何やらコソコソと話しかけていた。
僕は密かに耳を傾け、その内緒話を盗み聞きした。
「おい、大将!
このままあの劉星とかいう男を信用して全賭けしちまっていいのかよ?」
猫背の男は目を眇めながらそう劉備に尋ねていた。まあ、僕と会ったばかりだ。信用できないのも無理はない。
「ああ、あの男の馬術は誰かにちゃんと習ったものだ。それに立ち振る舞いにも教育を受けた者特有の気品がある。
あれは案外、奇貨(掘り出し物)かもしれんぞ」
劉備は得意気にそう語るが、相手の男はまだ納得できないようで、さらに聞き返した。
「しかし、それにしちゃ世間知らず過ぎやしないか?」
猫背の男の疑問に対して、劉備は自身の推理を語って聞かせた。
「かつての党錮の禁で流罪になった名家は多くいる。奴もその類じゃないか?」
「だけど、党錮の禁はとっくに解除されたろ?」
「それは党錮の禁で刑をくらった当人が生きていればの話だ。流罪の最中に当人が死んじまって、苦しい生活を余儀なくされた二世、三世も多くいる。
なーに、役に立たなくても馬丁くらいにはなるだろう」
劉備はニヤリと笑って答えた。
馬丁というと馬の世話係か。馬は好きなので悪くはないが、部隊内での扱いは悪くなるんだろうな。劉備について行って成り上がろうなんて安易に考えたが、どうやら、ここで結果を出さねば到底叶わないんだろう。
そうこうする内に事態は刻一刻と動いていった。
鄒靖軍は先の戦いと移動で既に疲労困憊だ。
さらに太陽は半ば沈み、辺りは徐々に薄暗くなっていった。その闇に紛れるように、僕らを取り囲んでいる烏桓兵は少しずつその包囲を狭めていった。
鄒靖軍は篝火を焚いて辺りを照らすが、所詮は火の灯り。敵の全容を掴めるような明るさではなかった。
疲労に暗闇が加わり、このまま時間が経過すれば、ますます僕らが不利になるのが予想できた。
情勢がドンドン不利になっていくギリギリの状況の中、ついに待ち望んでいた鄒靖の斥候が帰還した。
彼から情報を受け取ると、劉備は急いで陣形を組んだ。劉備を中心に、その周囲を彼の配下が固める陣形。まるで、鋭い刃か矢のような形だ。その中で僕は守られるように後方に陣取った。
そして、全員に楯が配られた。
僕にもその楯が手渡された。四角い大型の木の板に革が貼ってある簡素な作りだ。後ろにいる鄒靖軍の兵士が持っている楯には敵を威圧するような化け物の絵が描いてある。それに比べれば随分素っ気ない。
「寂しい楯だね」
「楯なんて身が守れればそれでいーんだよ。
歩兵の矢は上から来るぞ。馬に当たらないように気をつけろ」
楯が行き渡ったところで劉備は陣地に響き渡るように叫んだ。
「敵の大将は烏桓の大人・何卜那!
ここよりちょうど真北、楯兵の後ろに布陣している!
お前たちは先頭の燈燭を目印にしてひたすら走れ!」
そして、僕の方に振り向いて呼びかけた。
「敵の楯の防壁は我らでこじ開ける!
劉星! お前はひたすら守りに徹して、大将だけを目指せ!
そして、敵陣にぶつかったらその楯を捨てて、剣に持ち替えろ」
敵の陣地にたどり着くまでの間は矢の攻撃に晒される。ぶつかるまでは身を守らなければいけない。僕は馬も守らなければいけないから大変だ。
ついに戦いの時がきた。
前回は逃げるばかりであったから、これが初陣となるのだろうか。目の前で殺し合いが始まるのかと思うと恐ろしい。
だが、戦わねばやられてしまう。
「この世界で生きていくためだ。
やるしかないんだ」
陣営後部より合図の太鼓が連打される。僕ら劉備軍は掛け声を上げながら足並みを揃えて、敵大将を目掛けて進軍した。
まずは劉備を先頭に周囲を配下で固めた陣形で敵陣に迫る。
僕の出番はまだだ。陣形後方から歩兵に歩調を合わせるようにしてついていった。
敵の烏桓兵は、自分たちの大将の陣目掛けて真っ直ぐ進む劉備軍に少し動揺した様子であった。だが、楯の後ろで弓矢を用意し、こちらに向けて構え出した。前方ばかりではない。左右からも敵兵がこちらに向けて弓を構える。
「全員、楯を構えてとにかく耐えろ!
敵兵とぶつかりゃ敵も矢を射れん!」
劉備の声が隊内に響く。確かに敵と交戦すれば味方に当たる可能性がある矢は射れない。そこまでの辛抱だ。
敵の弓兵は弓を斜め上に構えると、太鼓の音に合わせて一斉に射る。天に向けて射られた矢は山を描き、僕ら目掛けて落下してくる。
「まるで矢の雨だ」
僕らは楯を傘に必死に耐える。ドン、ドンという衝撃が楯から腕に伝わり、手から楯を落としそうになりながらもとにかく耐える。とても前を見れるような状況じゃない。楯の隙間から微かに見える前の人影を追ってとにかく走った。
「よし、お前ら! 敵に斬りかかれ!」
どうやら、先頭は敵にたどり着いたようだ。
その声に応じるように矢の雨が止んだ。敵兵は弓を片付け、再び楯の防壁に専念していた。
まずは劉備の左右を守っていたガタイのいい二人の男が進み出る。敵の楯兵は剣を突き出してそれを防ごうとするが、劉備の部下の二人の内、一人は矛を突き出し、一人は斧を振り上げて敵陣に斬り込んだ。
『ガシッ』『バギッ』と板の割れる音が辺りに響く。それに合わせるように飛び交う男たちの絶叫、飛び散る血飛沫。
間近で見る戦場に僕は内心、震え上がっていた。
「テメーら、道を開けろ!」
劉備の大音声が轟く。さすが、乱世の英雄なだけあって、全く怖じ気付いたようには見えない。その勇ましい姿に勇気づけられる。
彼は馬の腹を蹴り、敵の楯に馬ごと体当たりを食らわせ、強引に道をこじ開けた。
「今だ│劉星ー!
大将を目指せ!」
劉備の力強い声を掛けられると何やら勇気と力が湧いてくるような気分になる。
どちらにせよ、ここで戦わねば僕のこの世界での居場所はない。
僕は勇気を奮い立たせ、楯を投げ捨て、腰の剣を抜いた。
「出番だ! 行くぞ、彗星!」
愛馬・彗星に合図を送る。彗星はそれに応じて全速力で駆け出し、敵兵の前に躍り出る。敵は慌てて剣先をこちらに向ける。だが、彗星は勢いそのままに踏み込むと、高らかに跳ね上がり、敵の頭上高くを飛び越えた。
「おお、やるじゃねーか!
さすが俺の見込んだ男だ! 行け、劉星!」
劉備の声援を背に、僕と彗星は敵陣を走る。
狙うは大将、ただ一人。途中で迫りくる敵の刃を軽やかに避け、大将目指して駆け抜けた。
「いた! あいつが大将だ!」
敵陣の奥にそいつはいた。
隻眼なのがより人目を引く。周りの兵士より頭一つ分はデカい。身長は百八十センチはあるだろうか。現代ならレスラーにでもなってそうな大柄な男だ。他の兵士よりも重厚な鎧を纏っている。
こんなバケモノみたいにデカい男に僕はこれから戦いを挑まねばならない。
「行くぞ!
何としても生き残るんだ!」
「まさか、防壁を破ってここまで来るとはな!
おい、俺の馬を曳け!」
隻眼の大将は闘うつもりか、逃げるつもりかわからないが、馬を用意させている。
「奴は騎馬民族、馬に乗せると厄介だ!」
相手は生まれた頃から馬に慣れ親しんでいるような人間だ。馬術で安易に勝てると思わないほうがいい。
ここは先手必勝だ。
僕は疾風の速度で馬を走らせ、隻眼の大将に向かっていった。
隻眼の大将も馬が間に合わないと判断したのか、ダガーナイフのような短剣を腰より抜いてこちらに構える。
(これが僕の人生初の一騎打ち!
幸い敵は短剣。こちらは長剣に加えて馬に乗っている。
いけるはずだ!)
僕は自分に言い聞かせるように剣をグッと握り締めた。
しかし、さすがは敵の大将。騎馬相手でも怯むことなく剣を構える。
その敵の視線が馬に注がれていることを、僕は見逃さなかった。
(まずい、敵の狙いは彗星だ。
彗星を傷つけさせるわけにはいかない!)
僕は長剣を繰り出して、敵に突っ込んだ。相手の短剣は彗星を狙うが、すかさず長剣を突き出してそれを受け止める。二つの剣がガシリと交わる。
そのたった一合の鍔迫り合いで、僕は敵との力量差を知る。
「さすが大将、すごい腕力だ!」
まともにやり合って勝てる腕力ではない。
「だが、僕には彗星がいる!」
僕は彗星の突進力を剣に乗せ、そのまま隻眼の大将の短剣を払い除けた。
さらに彗星はそこで止まらない。そのまま隻眼の大将目掛けて体当たりを食らわせて、倒れたところを踏みつけた。
彗星の体重は二、三百キロはあるだろう。そんな体重に踏みつけられた隻眼の大将はひとたまりもない。彼は「グハッ」という声を上げ、その場にうずくまった。
あまりにも流れるような彗星の動作に僕は感心しきりであった。
「そうか、これが軍馬というものか。
競走馬なら反射的に下に落ちているものを飛び越える習性がある。
しかし、軍馬は構わず踏みつけていく。
軍馬は体当たりするだけで十分な必殺技になる!
観念しろ、烏桓の大将!」
劉備は倒す必要はないと言っていたが、どうやら呆気なく決着はついたようだ。
うずくまる隻眼の大将は既に虫の息だ。
しかし、隻眼の大将が顔を上げると、その目にはまだ闘志を漲らせていた。
「まだ終わりじゃねぇぞ……行け!」
隻眼の大将の掛け声に合わせ、後ろに止められていた彼の愛馬が前に飛び出してくる。その顔を見ただけで、その馬の気の強さがよくわかる。馬は怯むことなく、そのまま僕らに体当たりを食らわせてきた。
突然の出来事に僕は対処できずに、体当たりを受けてしまう。
その衝撃に僕は落馬しそうになるのを必死に踏ん張って耐えた。
「また落馬してたまるか!」
前世は落馬で死んでしまった。二度目はゴメンだ。落ちないようにとしがみつくが、敵の馬は何度も体当たりを食らわせてくる。
愛馬・彗星に指示を出したいところだが、しがみつくのに精一杯でそれどころではない。
これでは逃げようにも逃げられない。
「駄目だ、鐙がないと踏ん張りが効かない!
このままでは落ちてしまう!」
足場である鐙があればまだ耐えられただろう。だが、この世界にはどうやら無さそうだ。
「それならばいっそ……!」
僕は剣と手綱を掴むと、彗星から飛び降りた。そして、彗星を落ち着かせると同時に、剣を突き出して敵の馬を追い払った。
「やったか!」
なんとか敵の馬を追い払い、彗星も落ち着かせることが出来た。ようやく一安心といったところだが、それも束の間の出来事だった。
「俺の馬を追い払った手並みは見事だ!
だが……!」
僕が振り向く間も与えずに、隻眼の大将は短剣で僕の長剣を跳ね飛ばした。
「しまった!」
僕の左頬に向けて刃が向けられているのがわかった。
僕は助けを求めるような気持ちで劉備たちの方へと目を向けた。
だが、劉備軍は敵に押し込められ、とても救援に来れる状況では無さそうだ。
その様子を察した隻眼の大将は腹を押さえつつ、ニヤリと笑う。
「形勢逆転だな!」
《続く》