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第四話 初陣(二)

 ここで認めてもらえなければ何も知らないこの世界に放り出されてしまう。彼らに認められなければいけないんだ!)


 僕のほおを冷や汗が伝い、つばを大きくゴクンと飲み込んだ。


 僕の様子を見ていた劉備りゅうびは少し苦笑いしながらこちらに話しかける。


「そうかしこまるな。ここの部隊内では堅苦しい言葉は使わなくていい。


 コイツらも根は良い奴らだ。お前の馬術の腕前を戦場で見せればすぐに納得するさ。


 まあ、今は戦時だ。コイツらの個々の紹介はまた落ち着いた時にでもしよう。


 そして、こいつが俺の愛馬・『驪龍りりゅう』だ」


 劉備りゅうびいてきて、見せてくれたのは先ほどまで彼が乗っていた馬だ。

 その馬・驪龍りりゅう劉備りゅうびに近づくや、引いていた部下の手を振り解き、勝手に彼の元へと駆け寄っていった。まるで自分が認めた主以外は寄せ付けない。そんな気高さを感じられる馬であった。


「ほう、これは見事な黒馬だ」


「おう、わかるかい」


「ああ、ぶち一つない黒一色の美しい馬だ。


 体高は僕の愛馬・『彗星すいせい』より少し低いだろうか。だが、肉付きよく、背丈せたけ以上の大柄さを感じさせる。


 たてがみつややかで光輝いている。長い尾で周囲を払うかのように歩き方には気品さえ感じさせる」


 僕はうっとりしながら、その馬の気品に見惚みとれていると、劉備りゅうびがコホンと軽くせき払いをして話を始めた。


「お前さん相当馬な馬好きで、目利きもできるのはよーくわかった。


 俺の馬に見惚みとれてくれるのは悪い気はしないが、話を進めさせてもらうぞ。


 ところで、お前さんは今、ここがどういう状況かわかるか?」


 劉備に聞かれて、僕はハッとする。


(そうだ、その確認をしなくちゃならない。今が何年か……といっても年号で言われてもわからないな。


 とにかく、今がどんな状況なのか知らなきゃ対応しようがない。


 ここは最初の大事なところだ。恥を忍んで正直に聞こう)


「すまない。今どういう状況なのか説明してもらえないだろうか?」


 そう尋ねると、劉備りゅうびはニタリと笑う。


「お前さんアレだな。金が貰えるとか良いことだけ言われてよく説明もされずに兵士にされた口だな。


 今は張純ちょうじゅんの乱を平定する最中だ。それはわかるか?」


 張純ちょうじゅん? 三国志をよく読んだつもりだが知らない名前だ。


「いや、よくわからない。


 黄巾こうきんの乱なら知ってるんだが……」


 僕はそう言って思わず、しまったと思った。


 つい、知っている乱の名前を答えてしまったが、ここが黄巾こうきんの乱より前の世界なら、僕は未来の出来事を言ってしまったことになる。


 しかし、劉備りゅうびの返事は予想に反するものであった。


黄巾こうきんの乱? そんなの四年も前の出来事だぞ」


「え、終わった……?」


 どうやら僕の推理は外れたようだ。


 ここは黄巾こうきんの乱の四年後の世界であったようだ。


「全く、世間知らずな奴だな。


 いや、今回の敵にも黄巾こうきんの残党が多く加わってるそうだから決して間違いではないか。


 まあ、今回の敵は黄巾賊こうきんぞくも含まれるが、主犯格は張純ちょうじゅん張挙ちょうきょ、そして北方の蛮族ばんぞく烏桓うがんだ!」


 烏桓うがんは聞いたことがある。確か北方に住む漢民族かんみんぞくとは別の民族だ。遊牧ゆうぼくしながら暮らす騎馬民族だったかな。


烏桓うがんは長らく我らかんの国に従っていたが、内心では叛逆はんぎゃくの機会をうかがっていた。


 そこに漬け込んだのが張純ちょうじゅんという男だ。

 奴は烏桓うがんあおり、反乱を起こさせた。

 さらに親族の張挙ちょうきょを皇帝に祭り上げ、自身は弥天びてん将軍・安定王あんていおうと名乗った。


 そして、ここ幽州ゆうしゅうの地を手始めに、冀州きしゅう青州せいしゅう、さらに徐州じょしゅうと四州に跨る大規模な反乱を起こした。


 俺たちはその反乱を平定するために討伐軍に加わっているというわけだ」


「なるほど」


 劉備りゅうびの説明のおかげで大体の状況はわかった。


 確かこの頃の中国は十三くらいの州があったはず。そのうちの四州が被害にあってるというなら、どうやらかなり大規模な反乱らしい。


「よし、状況がわかったところで移動するぞ。


 まずは上官と合流しよう」


 劉備りゅうびの一声に応じて、百人の部隊が前進を始めた。

 僕は周りに合わせるように愛馬・彗星すうせいいて歩いた。


「これが中国の大地か……!」


 目に飛び込んでくるのは、地平線がはるか遠くに見える大平原。その光景にここが日本ではなく、広大な大陸であることが否応なく思い知らされる。どこまで行っても目に付くのはまばらに生えた草と岩、そして大地。


 ……だけなら良かったのだが、先の戦いの犠牲者だろうか、いくつもの死体とそれに群がるカラスたち。黒ずんだ血と死臭がどこまでも広がっていた。

 やはり、ここは現代日本ではないのは間違いない。僕は気持ち悪くなりながらも、なんとか劉備りゅうび軍に後ろからついて行った。


 しばらく進むと、等身大ほどの大きな岩石がいくつも並ぶ岩場へと出た。その彼方かなたより黒粒のような一団がこちらに向かうのが目に入る。その数は劉備軍の比ではない。


 最初は警戒したが、劉備りゅうびが偵察を出すと相手が味方と分かり、部隊は歓喜の声に包まれた。


「あれは鄒校尉すうこういの軍か!


 ご無事だったか!」


 僕らは相手の軍と合流し、劉備りゅうびはその先頭で馬に乗る指揮官らしい人物の元へと駆け寄っていった。


「おお、劉備りゅうびか。


 貴殿も無事で良かった。


 先ほどの乱戦で随分兵がいなくなってしまった」


 相手の指揮官も劉備りゅうびと合流できたことを喜んでいる素振りであった。


鄒校尉すうこうい、我が軍は相当な損害をこうむったとはいえ、全員が死にえたわけではありません。


 ここで一度休息を取り、散り散りになった兵士を集め直しましょう」


「なるほど、その通りだ。


 よし、全軍、ここで野営の準備だ!」


 劉備が戻って来ると、僕はあの指揮官について尋ねた。


「あの方がここの上官なのか?」


「そうだ。破虜校尉はりょこうい鄒靖すうせい殿だ。


 青州せいしゅうから反乱軍を撃退しつつこの幽州ゆうしゅうまで北上してきた。


 討伐軍の全体の指揮官というわけではないが、我らの上官にあたる」


 なるほど、鄒靖すうせい破虜校尉はりょこういを略して鄒校尉すうこういか。


 鄒靖すうせいという人物は僕の記憶にない。

 しかし、劉備りゅうびの上官ということは重要な人物なのだろう。


 見たところ年は四十代〜五十代くらい。筋骨隆々きんこつりゅうりゅうという程ではないが、引き締まった体に整った身なりで高級将校しょうこうといった印象を与える。

 よろいが胴体部にしかない僕らと違い、彼のよろいそでももまでおおわれており、黒く輝いている。


 さらに彼の率いている兵は三千人はいるだろうか。劉備軍の三十倍だ。これが正規の軍隊との差かと見せつけられているようだ。


 そして、その鄒靖すうせいの乗る馬は明るい鹿毛かげ(一部に黒毛を含む茶色)で、四肢ししが黒い。体高は劉備りゅうびの馬とさほど変わらないようだが、よりスリムで足が長く見える。たてがみや尾は綺麗に整えられ、気高さが感じられた。


 かざりなのか、くらの左右から競馬のゼッケンをより長くしたような黒い布が、地面スレスレにまでれ下がっている。


 遠くからでも明らかに上官とわかる出で立ちだ。


 それにしても、胡散うさん臭い劉備りゅうびより、この鄒靖すうせいという指揮官の部下になれば良かったなと、僕は少し後悔をした。


 なにはともあれ休憩きゅうけいだ。僕はようやく休めると一息つこうとした。


「やっと休憩だ。


 車も電車も無しでこんなに歩くのはキツ過ぎる。


 それにもう日も傾いてきた」


 何しろ、このだだっ広い大平原をひたすら徒歩移動だ。いい加減、疲れたし、腹も減った。彗星すうせいは道中で草をいくらか食っていたようだが、人間はそういうわけにはいかない。

 もう夕方だ。完全な夜になる前に色々済ませておきたい。


 僕らは視界の開けた小高く広い丘を陣所に定めて、野営の準備を始める。


 だが、その時、空中より『ピューーー』という音が辺りに響いた。


「なんだこの音は?


 笛の音か?」


 僕には音の正体はわからなかったが、劉備りゅうびはすぐにわかったようだ。


「まずい、鳴鏑めいてきだ!


 敵に見つかったぞ!」


「メイテキ?」


「音の鳴る矢だ。


 敵の烏桓うがんが使う合図だ!」


 その音に合わせるように、岩陰よりドッと無数の騎兵が現れ、僕らの布陣する丘の周囲を取り囲む。


 その数は五千人はくだらない。鄒靖すうせい軍の三千人、劉備りゅうび軍の百人を足してもまだ向こうの方が多い。


 敵は丘のふもとにたどり着くと、各自馬を降り、剣を構えた。さらに大型の楯で壁を作るように立ち並び、ジリジリと包囲を狭めていく。


 その様子に劉備りゅうびは感心したかのようにうなった。


「ううむ、なるほど」


「敵相手に何を感心してるんだ、劉備りゅうび?」


劉星りゅうせいよ、敵は手強いぞ。


 烏桓うがんといえば騎馬と弓矢だ。馬で突っ込み、弓矢で射るのが定番の戦い方だ。


 だが、これから夜になる。暗い中、乱戦を仕掛ければ味方にも被害が出る。


 敵は状況をよく見て得意武器をえて封じている。


 それに剣に楯は漢軍の戦い方だ。こちらをよく研究している証左だ」


 劉備りゅうびにそう説明され、僕は震え上がった。


「そ、そんな相手にどうすりゃいいんだ?


 このままで大丈夫なのか?」


「このままじゃヤラれるな。


 鄒校尉すうこういの元に行くぞ。劉星りゅうせい、共をしろ!」


 名指しされて、僕は目を見開いて答えた。


「え、僕はここで一番の新参だよ。


 他の人の方がいいんじゃないか?」


「うちの馬持ちは俺とお前しかいないんだ。


 相手は校尉こうい様だ。歩兵が行ったんじゃナメられる。後ろにいるだけでいいから付いてこい」


 そう言われては行くしかない。僕は不安を抱きつつも、愛馬・彗星すうせいまたがり、劉備りゅうびとともに上官・鄒靖すうせいの元へと向かった。


 既に鄒靖の元には数人の部下がおり、各々進言をしていた。


「東の方が包囲が薄いと思われます。ここを攻めるべきです」「我が軍の疲労具合を考えるべきです」「ここにとどまり固く守りましょう」


 各自のバラバラな進言に、鄒靖すうせいが困り果てている様子だ。その中に劉備りゅうび躊躇ちゅうちょすること無く馬上から飛び降りながら、彼らを押し退けるような一声を上げた。


鄒校尉すうこうい


 この劉備りゅうびに一計がございます!


 ここはお任せください!」


 劉備りゅうびのあまりにも大見得を切った発言に鄒靖すうせいは面食らったような表情だ。

 だが、えらく自信満々な劉備りゅうびの顔つきに、感じるところがあったのか鄒靖すうせいは尋ねた。


劉備りゅうびよ、何か策があるのか?」


「お任せください!


 我が軍にはこの者がおります!」


「えっ?」


 馬から降りている最中、劉備りゅうびの指がこちらに向いていることに気付いた。

 劉備りゅうびが指し示しているのは、まぎれもなく僕であった。


「この者こそ我が部隊の切り札・劉星りゅうせいにございます。


 劉星りゅうせいならこの難局を打開してみせるでしょう!」


「え、えー!


 劉備りゅうび、何を言い出すんだ!」


 劉備りゅうびはニヤリと笑う。


 突如、僕は理由もわからぬまま切り札にされてしまった。


《続く》


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