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第三話 初陣(一)

「俺の名前は劉備りゅうびだ」


 彼は三国志の英雄・劉備りゅうびと同じ名を名乗った。その話が本当なら僕は古代中国の戦乱の世界に転生してしまったことになる。


 僕の名前は辰元流星たつもと・りゅうせい。現代日本で競馬のジョッキーをやっていた。それが、レース中の落馬事故で命を落とし、気付いたらこの世界に転生し、劉備りゅうびと名乗るこの男と出会った。


 自らを劉備りゅうびと名乗ったその男は年の頃二十代後半くらいだろうか。背は百七十センチほどで、他の兵士に比べれば長身だ。身に付けている衣服やよろいは他の兵士とそう変わらない質素なものだ。だが、秀でたまゆあかくちびる、大きな福耳と、その温和そうな表情からどこか気品を感じさせる。


 だが、その背後には彼を慕う百人からなるいかつい手下がおり、いやおうでも警戒してしまう。


(果たして本当にこの人が僕のよく知る三国志の|劉備《りゅうび》なんだろうか?)


 僕が疑問に思っていると、劉備りゅうびを名乗る男の方から話しかけてきた。


「よろしくな、りゅうセイ。


 同じりゅう姓だ、仲良くしよう。


 ところで名のセイの字はどう書くんだ?」


 三国志は古代中国の出来事だ。劉備りゅうびりゅうが姓、が名前となる。


 僕は下の名である流星りゅうせいを名乗ったのだが、どうやらりゅうという姓のセイさんだと思われたようだ。


(誤解なのだが、相手は同姓だということで親近感を持ってくれている。


 知り合いのいないこの世界で味方は一人でも欲しい。このままりゅう姓で押し通そう)


 そんな打算もあって、僕は劉備りゅうびの話に乗って答えた。


「名はほしの字を書くんだ。


 姓はりゅう、名はせい劉星りゅうせいだ。よろしく」


 僕は地面に字を書いて名を伝えた。


 辰元流星たつもと・りゅうせい改め『劉星りゅうせい』、それがこの世界での僕の名前となった。


「ところで劉星りゅうせいさんよ、見事な馬術だったな。


 お前さん、どこの部隊の所属だい?」


 そう劉備りゅうびと名乗る男に聞かれ、僕は困ってしまった。

 目が覚めたらこの戦場にいた。それ以前の記憶は前世の日本での騎手としてのものしかない。

 僕がどこの所属かどころか、そもそもここはどんな世界で、何が起きてるかもわからない。

 せめて、先ほど介抱かいほうしてくれたオジサンから話を聞けていれば、と僕はやんだ。


「ははん、なるほど。


 お前さん、逃亡兵のクチだな」


 僕が答えにきゅうしていると、謎の男は勝手に察して話を進め始めた。


「しかし、逃亡兵は罪に問われる。


 行き場がないなら、俺の部隊に来ないか?」


 罪に問われると言われては困ってしまう。ここであの劉備りゅうびの配下になるというのは良い選択だろう。

 だが、それはこの劉備りゅうびが本当に三国志の劉備りゅうびならの話だ。


「君の部隊に行くのはやぶさかではない。


 ただ、その前にいくつか確認させてくれないか?」


「おう、いいぞ。


 なんでも聞いてくれ」


 よし、言質げんちを取ったぞ。

 今度はこの劉備りゅうびと名乗る男に尋ねる番だ。


 劉備りゅうびといえば三国志の主人公だ。

 三国志とは、今から約千八百年前の中国が舞台の実際にあったお話だ。


 当時、中国には後漢ごかんという国があったが、戦乱によって衰退してしまう。

 そこで主人公・劉備りゅうび後漢ごかんに対する忠義の心と人徳によって数多あまたの仲間を集め、後漢ごかんを復興しようと奮闘する。


 結局、後漢ごかん曹操そうそうとその子・曹丕そうひによって滅ぼされ、後にが建国される。だが、劉備りゅうびは仲間とともに後漢ごかんを引き継いだ蜀漢しょくかんの国を建国。これにの国を加えた三国の興亡のお話が三国志だ。


(本当にここが三国志の世界なのか、そして、彼がその劉備りゅうびなのか。まずは確かめなければならない。


 とはいえ、未来の出来事を尋ねるわけにもいかない。ここは慎重に質問を選ばなければ……)


「僕は『劉備りゅうび』という名に聞き覚えがある。


 本当に君はあの劉備りゅうびなのか?」


 そう尋ねると劉備りゅうびは得意そうな表情で答えた。


「ほう、もう俺はそんなに有名なのか。


 どの劉備りゅうびと迷ってるのか知らんが、今のところ同姓同名の奴にはあったことねーな」


 確かに三国志にはたくさんの似た名前の人物が登場するが、劉備りゅうびと同姓同名というのは聞いたことがない。

 だが、まだ確定するには早すぎる。


「確認なのだが、君の生まれはどこだい?」


涿郡涿県たくぐんたくけんというところだ。


 そこの酈亭れきてい楼桑里ろうそうりというところの生まれだ」


(うーん、記憶だと劉備りゅうびの故郷は涿郡涿県たくぐんたくけん楼桑村ろうそうそんというところのはずだが……


 これは正解の範囲内なのだろうか?)


 絶妙に判断の困る返答だ。楼桑里ろうそうり楼桑村ろうそうそんは同じなのだろうか。自分には判断がつかない。


「君は皇帝の血を引いていると聞いたが?」


「そんな話よく知ってるな。俺も言われるまで忘れてたのに。


 さかのぼれば皇帝になるらしいが、詳しくは覚えてないぞ。家に帰ればわかると思うがな」


 これまた判断に困る返答だ。


劉備りゅうびといえばかんの皇帝の末裔まつえいで、漢王朝を復興させるために奔走ほんそうする。


 そのはずなのだが、この劉備りゅうびを名乗る男にはまるでその気が無さそうだ。


 しかし、皇帝の末裔まつえいではあるようだし……。


 そうだ、決定的な事があった!)


 僕は最良の質問があったとばかりに劉備りゅうびに尋ねた。


「君の部下に関羽かんう張飛ちょうひという二人がいると聞いたが、あの中に二人はいるのかい?」


 僕はそういって劉備りゅうびの元に集結した百名からなる彼の部隊を指差した。


 関羽かんう張飛ちょうひといえば劉備りゅうび挙兵きょへいした当初から従う豪傑ごうけつだ。劉備りゅうびはこの二人と桃園とうえんの誓いを行い、義兄弟となったところから三国志の物語は始まる。

 彼が本当に三国志の劉備りゅうびならこの二人が必ず側にいるはずだ。


 だが、彼の回答は僕の予期せぬものであった。


「あん? 関羽かんうって奴は知らないな。


 張飛ちょうひなら知ってるが、ここにはいないぞ。

 あいつはまだガキだから故郷で留守番させてるぞ」


(うーん、ますますわからなくなった。


 関羽かんうはいないが、張飛ちょうひはいる。しかもまだ子供だという。


 返ってくる回答が微妙に自分の知っている劉備りゅうびと違う。あの三国志とは別の世界線の三国志なのだろうか?)


「なあ、劉星りゅうせいよ、そろそろいいか?


 このくらいで納得しちゃくれないか」


(うーん、張飛ちょうひがまだ子供ということは、ここは三国志で最初に起きる反乱の黄巾こうきんの乱よりも前の時系列なのかもしれない。


 自分の知っている劉備りゅうびと多少異なるが、物語の数だけ劉備りゅうび像も異なる。

 やはりここは三国志の世界で、彼はその主人公の劉備りゅうびその人なのだろう)


 しかし、彼が劉備りゅうびなら、これは奇跡的な出会いといえる。

 彼は最終的には蜀漢しょくかんという国をおこし、その皇帝となる。

 そこに至るまでが波乱万丈はらんばんじょうなわけだが、それでもこの乱世にあって将来が約束された人物と言える。


(ということは、このまま彼に仕えて出世すれば自分の将来も安泰ということだ。


 幸い自分には愛馬・彗星すいせいと、前世でつちかった乗馬スキルがある。この時代なら馬術は高く評価されるはずだ。出世するチャンスは十分ある。


 しかし、劉備りゅうびつかえると夷陵いりょうの戦いやら北伐ほくばつやら後半まで苦しい戦いの連続だな。


 よし、劉備りゅうびが皇帝に即位するまで彼につかえよう。そして、その後は引退して牧場でも経営して悠々自適ゆうゆうじてきな生活を楽しもう。


 牧場で育てた馬を蜀漢しょくかんに格安で譲れば義理も果たせるだろう。


 これなら異世界で定番の成り上がりとスローライフをどちらも満喫できる!)


 僕は密かにこの世界での目標を定めると、満面の笑みで劉備りゅうびに返した。


「ああ、ありがとう。


 やはり君はうわさに聞いていた劉備りゅうびで間違い無さそうだ。


 君の言う通り僕には行き場がない。ぜひ、君の軍に加えて欲しい」


「おお、加わってくれるか劉星りゅうせい


 歓迎するぜ」


 劉備りゅうびは僕の肩を抱くと、自分の仲間の方に向き直って紹介を始めた。


「オメーら、コイツは今日から俺の軍に加わる劉星りゅうせいって男だ。


 馬術の腕は一流だ。仲良くしてやってくれ」


 そう劉備りゅうびは気安く紹介する。だが、その部下たちまで気安いとは限らない。


「また大将の気まぐれか」「ウチの大将ナメてんじゃねーか」「剣もまともに使ってなかった奴じゃないか」「役に立つのかよ」……。

 そんな言葉がコソコソと飛び交っている。


 どうやらあまり歓迎はされていないようだ。何しろ相手は人相の悪い百人からなる男たちだ。僕は何かされるんじゃないかとガチガチに緊張しながら挨拶あいさつをした。


「り、劉星りゅうせいです。よろしくお願いします」


(|劉備《りゅうび》が本物か試すような真似をしたが、考えたら僕は転生したばかり。この世界の知識も知り合いもいなければ、帰る場所もわからない。何もない身の上だ)


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