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第5話 小鬼との触れ合い

 食器を片付けたミズキは玄関のほうで紅緑こうろくの少し苛立った声を耳にした。どうしたのだろうかと顔を覗かせ聞き耳を立てる。


 紅緑の肩には一羽の鴉が止まっていた。彼は紙を睨むように見つめておりそれは手紙のようだった。



「あぁ、面倒だ。こんなものワタシじゃなくても良いでしょうに。夜哉よるやにでも頼めとあれほど言っただろう。凰牙おうがでもいい。あぁ、面倒くさい」



 どうやら何かの頼み事のようだ。嫌なのか、面倒だ面倒だと何度も呟いている。苛立ちも見られ、迂闊に声はかけれないなとミズキは黙ったまま様子を窺っていた。


 けれど、紅緑は諦めたのか「仕方ない」と溜息をついて肩にとまる鴉を飛ばした。その表情はもの凄く嫌だと言ってはいるが。



「ミズキ」


「は、はい!」



 振り返った紅緑はミズキを呼ぶ。びくりと肩を跳ねさせながら彼の元へと駆け寄れば、申し訳なさげに眉を下げて言われた。



「少し屋敷を留守にするけれど、すぐに戻ってくるから待っていなさい」


「わかりました!」

「屋敷内でしたら動き回って大丈夫ですから。けれど、外に出てはいけないよ」



 いいですねと圧の籠った言葉にミズキは頷く。それを見て、紅緑はまた小さく溜息を吐いて出ていった。


 その背を見送ったミズキはほっと息をつくいて、どうしようかと考える。屋敷を見て回るのは良いと言っていたので、気になっていた書物庫を見てみることにした。


 屋敷の奥にある書物庫は部屋中びっしりと本が積まれていた。本棚になど入りきらいと言ったほどに本があって、足の踏み場もあるか怪しく少しだげ埃っぽい。


 何の本だろうかと題名を見てもぴんとこない。ぱらぱらと捲ってみれば、それは物語のようなものだった。他にも和歌集や勉学に使うようなものまでと種類は豊富だ。幸い、ミズキは読み書きができるのでこれは暇つぶしになるだろう。


 著者は分からないが人間の世界から持ってきたらしいものもあった。文字もなく絵だけが描かれているものは何処か人間味があり、見るだけでも面白い。



「暇な時は読ませてもらおうかな」



 後で許可をもらおうと決めてミズキは部屋を出る。他の部屋はどうなっているのだろうかと見て回ることにした。


 紅緑の言う通り、使われていない部屋が殆どだった。真新しい部屋だったり、埃っぽいところだったり。生活感はなく、ただそこに部屋があるといったふうだ。こんなに広い屋敷で彼は一人暮らしていたのか、手に余るだろうなとミズキは思う。


 中庭の椿は見頃で赤白と綺麗に咲き誇っていた。けれど、落ちた花が見当たらないのが少し不思議だった。枯れないのだろうかと花を眺める。そうして暫く鯉と中庭の景色を見ていたミズキだったがふっと息を吐いた。



「うん、暇だ」



 一通り見て回ってミズキは言った、これは暇だと。玄関の方へと向かってちらりと外を見遣れば竹が風に揺られざわざわと鳴っている。見渡すかぎり竹しかなくて、山間に住んでいたミズキには新鮮な光景だった。


 この場だけは何処か幻のような、そんな感覚がする。現実味がないと言えばいいだろうか、そんな気分を味わっていた。


 暖かな日差しが竹の葉から溢れ、心地良い風が吹き抜けて鳥が羽ばたいていく。



「……ちょっとぐらいなら良いかな?」



 少し、そう少しだけ竹林を覗くぐらいなら。そんな誘惑にミズキは勝てず、周囲を見渡してから細い竹林の道を下った。



          ***



 見渡す限り竹。竹林の細い道には石段が続いている。周囲を見ながらやはり竹しかないのだなと、ミズキは見慣れぬ景色を堪能していた。不思議な世界に迷い込んだような、いやそんな世界にいるのだがそういった感覚があるのだ。


 竹林の奥を覗き込めば、ずっと先まで続いている。何処まで広いのだろうかとミズキが興味深げに眺めていれば、二つの人影がチラリと見えた。


 あれ、誰かいる。ミズキはその人影が気になり、竹林の方へと入る。そろりと近づき観察すると、そこにいたのは赤く短い癖っ毛の男の子と赤髪をおさげに結った女の子だった。見た目は人間で言うところの十歳前後ぐらいだろうか。何やら地面を掘っている。


 何をやっているのだろうか。二人の子供の様子を眺めていると女の子が振り返った。目と目が合い、あっと声を上げられてしまう。


 見つかってしまったとミズキは焦るが、ふと彼らの額から角が生えていることに気づいた。角ということは彼らは鬼なのかもしれない。


 鬼となると見つかったらどうなるだろうかと焦りながらも、なるべく冷静を装い彼らを見つめる。男の子はミズキを指差して「人間だ!」と叫んだ。その表情は興味津々といったふうで、危害を加えようとする瞳ではない。



「何をやってるのかな?」



 恐怖心はあったものの、彼らが気になったミズキは聞いてみた。男の子は「タケノコを掘っていた」と籠を見せる。中には立派なタケノコが幾つも入っていた。



「近くで見てもいい?」

「いいよ」



 ミズキは二人に近寄ると籠の中には立派なタケノコが入っている。「凄いね」と褒めれば、「そうだろう」と男の子は胸を張る。



「人間はどうして此処にいるんだ?」


「え? あー、嫁になって……」



 そう言いながら手の甲の刻印を見せると二人は途端に怯えた表情を見せた。



「こ、紅緑様の奥様……」


「えっと、どうしたの?」



 あまりにも様子がおかしいのでミズキは二人に問うと、男の子は「紅緑様は此処らじゃ凄い方だから」と答えた。


 話を聞くにこの辺一帯で彼に敵う妖かしいうのはそうそう居ないらしい。普段は何を考えているのかよく分からない方だけれど、怒ると怖いので恐怖の対象なのだとか。


 だから、紅緑様の前では粗相をしてはならない。怒らせては命がないときつく教えられていると男の子は話す。


(怒ると怖いのかー……)


 彼らの怯えようを見てミズキは怒らせないようにしないとなと思う。どれだけ怖いのかは分からないけれど、命がないとまで言われているのだ。ただの怒りとは違うのだろうということだけはわかる。


 まだ怯えている彼らにミズキは話題を変えようと別のことを質問した。



「私のような人間っているかな? 妖かしの妻になった人とか」


「え? あぁ、いるよ。おれらの村の長様が人間を嫁に」



 彼ら赤鬼の村の長は人間を嫁にするらしい。らしいというのはすでに人間は連れてきているけれど、婚儀をまだしていないからだった。


 どんな人だろうかとミズキが問えば、女の子が「怖がらない人間だよ」と答えた。



「奥様は表情が少なくて、常に落ち着いているって感じ。こっちに来てもあんまり驚いてなかったって聞いた」



 男の子の言葉にミズキは豪胆だなと驚いた。此処にきたら少なくとも何かしら感じると思うのだがと。


 ミズキは少しまだ恐怖があるし、この世界は不思議だなとも思う。目の前にいる子鬼だって本物の妖かしかと驚いている。けれど、鬼の嫁になったその人間は驚いてなかったというのだから、豪胆だと思うのは当然だろう。


 会ってみたいなとミズキは思った。自分と同じ経緯で来たのだろうか、それとも違うのか。どんな人なのかと興味が湧いた。



「ねぇ、その人間の奥さんに会えないかな?」


「うーん、どうだろう?」


「紅緑様と一緒に村に来れば会えるかもしれない」



 紅緑様と長様はご友人だからと男の子は答える、どうやら一人では難しいらしい。それもそうか、人間では相手にされないもんなとミズキは「会ってみたかったな」と息を吐いた。


 二人に視線を戻してミズキは目を瞬かせる、彼らの表情が変わったからだ。恐怖に震え、瞳にはじわりと涙が浮かんでいるその顔に嫌な汗が流れた。


 ゆっくりとゆっくりと後ろを振り返ると、そこには表情一つ無い紅緑が立っていた。


(あ、そうだった)


 そうだ、一人で出歩くなと言われていた。ほんの少しのつもりだったのだが、どうやら結構な時間が経っていたようだ。


 彼の赤い瞳がぎらりと揺れる。これは怒っているなと瞬時に察してミズキはそっと目を逸らした。怖くてとてもじゃないか見てられなかったのだ。


 側にいる子鬼たちは蛇に睨まれた蛙のように動けなくなっている。この子達は関係ない、それは言わなければと思った。


 静かに近づいてくる紅緑にミズキは笑みを作る。



「おかえりなさい」



 その言葉に驚いたのか、紅緑は目を瞬かせ立ち止まる。



「あ、その申し訳ありません。外に興味があったので少し竹林を散策していました。この子たちを見つけたので、私の話し相手になってもらっていたんです」


 この子達は私が話しかけたから、会話をしてくれたということを念押しながら言う。嘘をついているわけではない。外に興味はあったし、ほんの少しのつもりだった。この子達に話しかけて相手をしてもらったのも事実だ。


 紅緑はふむと少し考えるように目を細めて納得したふうに頷いた。表情一つ無かった顔が綻ぶ。



「二人とも怖がらせてごめんね! ほら、お行き!」



 ミズキは二人の肩を叩く。はっと我に帰った男の子は女の子の手を取り籠を背負うと走っていった。走る子鬼に紅緑は目を向けないので見逃されたのだろうと胸を撫で下ろす。


 どうなるかと思ったと、ミズキの胸はどきどきと鳴っている。彼らの言っていた怖いというのがなんとなくわかった。


 するりと滑るように液体のような触手がミズキの身体に纏わりつき、軽々と持ち上げられてしまう。さらりとなんでもないように紅緑の元まで運ばれて、抱き抱えられてしまった。


 彼は笑みを見せている。なんとなくだが、納得はしてくれたけれど怒ってはいるのだとミズキは察した。



「紅緑様、その……」


「あぁ、どうしてくれようかねぇ。ちゃんと言ったのだけれど」


「も、申し訳ありません……。その、逃げようとしたわけではなくて、外が気になって……」



 竹林から出るつもりはなく、少しそう少し見て回るだけだった。そう言ってみるのだけれど紅緑は笑みを見せるだけだ。



「ミズキが逃げるとは思っていないよ? でもねぇ、外は危険だから。何かあったら大変だろう?」


「そ、そうですね……申し訳ありません……」



 紅緑の言う通り、外で何があるか分からないのだ。無用心だったなとミズキは反省する。



「分かってくれたのならいいんだよ」



 優しく言うと紅緑はそっとミズキの額に口付けを落とした。





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