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第65話 秘密の捜索

 ルイトポルトは、ゲルデルン公爵令嬢との縁談が不快で仕方なかった。パトリツィアの実父が処刑されて彼女が姿を消した今でも、ルイトポルトにとっては彼女だけが愛する妻だ。


 アントンに任せたパトリツィアの捜索が遅々として進んでいないのは、この縁談を進めるためにわざではないかとルイトポルトは疑いたくなった。アントンがいくらパトリツィアをルイトポルトから引き離したがっていても、子供の頃から信頼して頼ってきたアントンがそこまでするとは思いたくなかった。


 ルイトポルトだって政権の危うい現状を分かっているから、パトリツィアさえ見つかれば、愛し合う夫婦として幸せに暮らしていけると思う程、楽観的ではない。彼女を公に妃として復帰させるのは難しいだろう。それはルイトポルトも分かっている。


 でもとにかく箱入り娘のパトリツィアが厳しい逃亡生活に耐えられるのか、ルイトポルトは心配でたまらない。彼女さえ見つかれば、後は何とでも匿える。ルイトポルトはその一心だった。


 だからルイトポルトはパトリツィアを少しでも早く見つけたくて、アントンに内密で独自に彼女を捜索しようと決意した。


 捜索には王家の影を使うのが最も効率的である。以前なら、アントンにすぐにばれて苦言を呈されただろうが、今はルイトポルトがアントンに内密でパトリツィアの捜索を影に指示するのも可能だ。


 ルイトポルトは即位後、王家の影を直接支配下に置いた。王家の影を代々統括してきたアントンのマンダーシャイド伯爵家はクーデター後に取り潰しになり、アントンはペトラやヨルクのような子飼いの影を手放した。


 クーデター後もアントンは、王家の影の統括役をなし崩し的に続けているが、普段は直属の有能な部下に任せきりだ。宰相になって以来アントンは多忙な上に、妻リーゼロッテとの時間も取るため、以前のように王家の影に多くの時間を割けられない。


 宰相達の断罪前、アントンは王宮の自分の執務室にほとんど住んでいるような生活をしていた。その頃は、アントンが王宮にいないと思ってもいつ戻って来るか分からない上に、彼の子飼いの影も王宮のどこかに常駐していたので、ルイトポルトが王家の影と接触すればアントンにすぐにばれてしまった。


 でも今やアントン子飼いの影はおらず、彼自身もにわか愛妻家になって以来、どんなに忙しくても毎日帰宅し、王宮にとんぼ返りすることもない。それも以前のように娼館に寄ったりせずにまっすぐ帰宅している。


 ゲルデルン家から奏上書が届いたその日、ルイトポルトはアントンの帰宅を手ぐすねを引いて待った。彼の姿が見えなくなってすかさずルイトポルトは、王家の影に所属するアンケを執務室に呼んだ。


 アンケは裏では王家の影として活動しているが、表の顔は神出鬼没の占い婆さんである。よく当たる占い師として市井で人気を博しており、貧民街の子供達からは『おばあ』としても親しまれている。


 クーデター前、アンケと職業斡旋所の経営者アレックスはアントン子飼いの影として主に情報収集を担当してきた。今の2人は、王家の影となって以前同様の諜報活動を担っている。


 正式な影の長官でないアントンは、彼らにとって仮の上司に過ぎないが、彼らは今もアントンをボスと呼んでいる。ただし、仕事はきっちりと線引きしていてアンケもアレックスもアントンの個人的な依頼があったとしても受けないし、アントンの方も弁えていてそんな仕事の依頼はしない。


 パトリツィアの捜索は、アレックスに任せることも理論上は可能だが、今は物理的に不可能だ。クーデターで仕えていた家が取り潰しになったせいで仕事を失った使用人が市井にあふれており、ルイトポルトがアレックスにその対応を任せているので、彼はてんてこ舞いだ。


 ルイトポルトの執務室に通されたアンケには占い婆さんの面影は全くなかった。占い師としての彼女は白髪頭にフードを深く被って腰が曲がった老婆だが、ルイトポルトの目の前の彼女の腰は曲がっておらず、頭はまだ白くない。白髪は、こめかみのあたりにちらほらと焦げ茶色の髪の毛の中に混ざっているぐらいだ。


 アンケはルイトポルトに勧められてもいないのに、どっしりとした木製の書斎机の前に鎮座するソファにドカッと腰を下ろし、すぐに怒涛の如くしゃべりだした。だがルイトポルトはそれに慣れているようで怒ったり、驚いたりすることもなく、気安く受け答えしている。


「最近、私をこき使い過ぎ! 腰が曲がった振りをずっとしているのも大変なんだよ。声だっていつもしわがれ声を出してたら、喉が痛くなっちゃう。妙齢の女性に酷い仕打ちだよ!」

「妙齢ねぇ……」

「そうだよ。妙齢なんだよ。いつもあんな恰好をしていたら、いい男を捉まえられないじゃないか」

「ハイハイ、それより今日はアントンに内緒で頼みたいことがあるんだよ」


 アンケは息子みたいな年齢のレオポルトに軽くあしらわれて抗議したが、どこまで本気だったのかは傍から見ても分からない。ルイトポルトが人払いをしてパトリツィア達の捜索の話を始めると、アンケは途端に真剣な表情に変わった。


 アンケを使ってパトリツィア達を捜索すれば、アントンにばれるのは時間の問題である。でもアンケが占い婆さんとして情報収集をしている体を装えば、妻に色ボケしたアントンをしばらくの間は誤魔化せるかもしれない。だからルイトポルトは、アンケに捜索中ずっと占い婆さんの扮装でいて欲しかったのだが、すげなく断られた。


「ずっと占い婆さんの恰好で捜索しろって?! 嫌なこった! 疲れるし、何よりあの恰好のままじゃ、そんなに長距離移動できないし、何か起こっても咄嗟に自衛だってできやしない。それにそんな小細工してもどうせボスアントンにはすぐにばれるよ」


 アンケが神出鬼没だったのは、腰を曲げた老婆の扮装を長時間するのが無理だったからだ。貧民街の占い婆さんの「家」にいる時だって、誰も訪問してこない時は腰を伸ばしていた。相手に油断させるために老婆の姿を取り始めた時は、こんなに長期間占い婆さんを演じるとはアンケも思っていなかった。


 結局折衷案を取って捜査活動中もアンケは時々占い婆さんの姿で占いをすることになった。


 この翌日、アンケはさっそくパトリツィア捜索に出発していった。

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