ルイトポルトとアントンが派兵の件で密談をしている途中、人払いをしていたはずなのに執務室の扉にノックの音が響いた。
アントンが扉を薄く開けると、アントン達から叱られるのを覚悟しておどおどしている侍従がいた。
「なんだ? 今、陛下と重要な話をしているんだ。後にしろ」
「ですが……ゲルデルン公爵家から速達で奏書が来ております」
「はぁ……仕方ない。陛下にお渡しするから寄こしなさい」
アントンはゲルデルン公爵家の名を聞くと、顔を
ルイトポルトは、ゲルデルン公爵家からの奏書を読み進めるうちに、どんどん眉間の皺が深くなっていき、最後には奏書を机の上に叩きつけて叫んだ。
「なんだ、この提案は! アントン、君も読んでくれ」
「ふーん……これは教会が配偶者失踪5年後に無条件で婚姻を無効にできる事を見据えた奏上でしょうね。独立運動を放置してたのはそういう事だったのか? でもまぁ、これでクレーベ王国と旧ゲルデルン公国の縁ができれば、独立運動は下火になるか、逆に燃え上がるか……賭けですね」
「冗談じゃない! 私の妃はパティだけだ! お前だって最近は、愛し合う夫婦はいいものだと言っているじゃないか。なのにまた僕に再婚を勧めるのか?」
「ええ、平民の私達と陛下の事情は違います。私達は愛さえあれば幸せで誰にも迷惑はかけませんが、陛下の結婚には国の未来がかかってくるのです」
ルイトポルトは頭を抱えて声を絞り出した。
「……僕の結婚にも愛は必要だ」
「愛のない結婚でも受け入れなくてはならないのは、立太子されて以来、ご存知のはずですよね」
「止めてくれ! 僕はパティと幸せになりたいだけなんだ!」
「じゃあ、何もかも放り出してパトリツィア様を探しますか? でもそんな事をすれば、この国はすぐに崩壊しますよ。宰相がいた頃よりももっと酷くなること請け合いですね。権力の空白を狙う諸外国に領土も国民も蹂躙されるのが早いか、国内の有力者達が我先に次の権力者になろうと内戦状態になるのが早いか。どっちにしても我が国は滅茶苦茶になりますね。そんな事は簡単にお分かりになるでしょう? それなのに今のこの状況で責任を放棄するのですか? 無責任ですね」
「もう止めてくれ!」
ルイトポルトは頭を掻きむしり、ほとんど泣きそうになって叫んだ。そんな情けない
「全くもう……今は、テック王国が東の国境地帯に兵を集結させている上に、ゲルデルン地方の独立運動が激化していて、他の事を悩む余裕はないんですよ!」
「アントン、済まない……でも僕にはパティを諦めるなんてできない」
「はぁ……本当にもうどうしようもないお方ですね」
アントンの考えとしては、東の国境地帯により多くの兵を割くためにはゲルデルン公爵家と手を組むほうがよい。つまり、教会がパトリツィア失踪から5年後に彼女とルイトポルトの婚姻無効を宣言する事を前提に、ゲルデルン公爵令嬢と内々の婚約関係をルイトポルトに結ばせたいのだ。
「そんなの嫌だ! 僕の妻はパティだ。5年後に婚姻無効と言われたって彼女がずっと僕の妻だ」
「やれやれ……どうしてもって言うなら、パトリツィア様を側に置いておける方法がなくはないですよ」
「本当か?!」
悲壮な顔をしていたルイトポルトはガラッと表情を明るくさせて身を乗り出した。
「ただし、ゲルデルン公爵令嬢とは結婚してもらいます。その上でパトリツィア様を別人に仕立てて秘密の愛人にするんです」
「パティを日陰の存在になんてできるわけないだろう! それにパティのことがゲルデルン公爵家にばれたらどうなるんだ」
「その時はその時ですよ」
「そんないい加減な! それじゃあ、パティの身が危険じゃないか!」
ルイトポルトの希望はすぐに砕かれ、悲壮感を通り越して憤懣やるかたない表情を露わにした。
「でも絶好のチャンスなんですよ」
それまでアントンが影を使ってどんなに探ってもゲルデルン家と独立運動が繋がっている確実な証拠は掴めなかった。以前ほど自由自在に影を使えなくなった今のアントンには、ましてや見つけられるはずもない。だが向こうから接触してきているのなら、話は違ってくる。アントンの顔は知らず知らずのうちに綻んでいた。
「アントン、何ニヤニヤしているんだ。笑い事じゃないんだぞ!」
「笑ってなどいませんよ。ただ、ゲルデルン家の尻尾を掴めるかもしれない絶好のチャンスが嬉しいだけです」
「冗談じゃない!」
ルイトポルトはゲルデルン家の謀反の証拠を見つけられる可能性に喜ぶよりも、独立運動の抑止と再婚話を結び付けられたのが不快でたまらなかった。