その日、アントンがルイトポルトの執務室に入ると、ルイトポルトは憔悴している上に最高に機嫌が悪かった。ルイトポルトの目は赤く、目の下はくすんで髪の毛はボサボサで、せっかくの美男子も10歳以上年を取ったように見えた。
「アントン! 北の修道院に移送されるはずだったパティの継母と義妹が、叔父上と一緒に殺されているのが見つかった!」
「そうですか。盗賊にでもやられたんでしょうかね」
「ふざけるな! 叔父上は地下牢に捕らわれていたはずだ!」
まるで世間話をするかの如く、軽く答えたアントンにルイトポルトは苛ついて目の前の机を拳で叩いた。
「ヨアヒムが生きていたら、いくら
「だからと言ってパティの継母と義妹まで一緒に殺す事はないだろう!」
「彼女達は殿下愛しのパトリツィア様を虐めていたのですよ。そんな人達が死んでも殿下には露程も痛くないでしょう?」
「それとこれとは別だ! 僕はどんな人でもあんな形で殺されるのを望んでいない!」
「殿下はまだまだ甘いですね。後顧の憂いは取るに限ります。どうせ私達の手は血濡れているんですよ。3人多く血を流したからってたいして変わりません」
「……狂ってる!」
「内乱になって多くの人の血が流れるよりはいいでしょう。何事にも多少の犠牲は付き物です」
「叔父上は反体制派の旗印になる危険があったとしても、継母と義妹まで殺す必要はなかったんじゃないか?!」
「あの義妹は、ヨアヒムの娘です。ヨアヒム亡き後、彼女が代わって旗印になった可能性があります。父を殺されたかわいそうな庶子ですよ。その母だって、いとこ婚を禁止する法律のせいで愛する男性と結婚できなかった悲劇の女性。近隣諸国では禁止されていないから、民衆の間でもいとこ同士の関係に忌避感はありません。同情される事、間違いなしです。そんな危険は取り去るに限ります」
「……そうか。やはり彼女は叔父上の……」
ルイトポルトは、机を再び叩こうとした拳を力なく下げ、ヨロヨロと椅子に腰を落とした。
前王弟ヨアヒムが元宰相と手を組んでレオポルトを廃して次代の王になろうとしていた罪は重い。だから議会では処刑という意見も多かったが、結局彼の王族としての地位が考慮されて去勢の上、修道院に生涯幽閉という処遇に決まったはずだった。
「……分かったよ……今更お前を責めてももう叔父上は生き返らない。毒を食らわば皿までだ……でもパティは毒から守る! どうして彼女はまだ見つからないんだ? 本当に探しているのか?」
「ええ、でも処刑と移送がやっと終わりましたから、これでもっと人を割けるかと思います」
「……そんな事を言ってどうせお前の事だから、まだ碌に探していないんだろう?」
「さあ? 殿下は――ああ、もうすぐ陛下ですね――私の事をよくご存知のはずです」
「ふざけている場合じゃない! パティの幼い弟も見つからないんだぞ! 世間知らずのか弱い娘と男の子がこの乱世で生き延びられるか、僕は心配しているんだ!」
「大丈夫ですよ。あの護衛達が付いています。彼らは元ツェーリンゲン公爵家の影です。足手まといの娘と男の子がいても何とか生き延びられます」
「そうなのか?! でもパティには何とか生き延びられるんじゃなくて幸せになってもらいたいんだ」
「それが殿下の側にいる事だとでも?」
「あ、ああ……」
「それは彼女の幸せではなくて殿下の願望ですよね? 逆賊の娘が王妃に返り咲くのは無理です。なのにこっそり妾として囲って別の女性が隣に立つ姿を見せつけるのですか? 彼女はもう2度と殿下の隣で表舞台に立てないのに?」
「パティはまだ僕の妻だ! 彼女以外の妻はいらない!」
ルイトポルトは再び立ち上がって机を叩いた。
「パトリツィア様を殿下の妃のままにはしておけません。国の将来の為にそれは納得していただいたのではありませんか?」
「そ、それは……で、でも、そうだとしても僕は再婚なんてしない!」
「新国王が妃を持たない訳にはいきませんよ」
「後継ぎだったら、養子をもらえばいい!」
「王家の遠縁から養子をもらうにしても、血が遠すぎてどの家からもらっても争いの元になります。選ばれなかった家門は不満を溜め込むでしょう」
「それでは……お前は……俺に種馬をしろって言うのか?!」
「仕方がありません。次期国王として生まれた以上、幸せな結婚よりも国の安定です。個人の幸せは諦めていただかなければなりません」
「それじゃあ、お前も新国王の側近として逆賊の家門出身の奥方とは離縁するしかないな!」
「ええ、やっと元宰相派の処分が終わったので、個人的な問題を片付ける時間ができました。すぐに離縁を申し出るつもりです」
ルイトポルトには、アントンが妻を蔑ろにしながらも執着しているように見えたので、アントンがあっさりと計画通り離縁するつもりでいて驚いた。
「……いいのか?」
「いいも悪いもありませんよ。私は殿下を支えて王国の未来をよくしたいのです。そのためにはこの結婚はもう必要ないというだけです。それに表向き去勢されるなら、結婚生活を続ける訳にはいきません」
「そんな……クーデターに貢献した褒美として奥方に恩赦を与えようか?」
「駄目です。例外を作れば不満が地下でくすぶり続けていずれ大きくなります」
「じゃあ、平民になるというのも……? 改革への貢献の褒賞として爵位はそのままにしてもいいのに」
「私の父は逆賊でしたから、他の家と同じように処分されなければなりません。それよりも気になるのは私の部下達です。我が家は代々王家の影を統率していましたが、王家の影とは別に私個人の部下として影を何人か雇っています。でも平民の給料では雇い続けられないので、本人達の希望次第ですが、王家の影に引き取っていただけるでしょうか?」
「ああ、それは問題ないが、お前の給料は今と同じだけ払うぞ? それなら彼らにも払えるだろう?」
「そんな例外はいけません。
アントンが表向きには去勢された事になったら、媚薬の副作用の発情発作が起きても、今までのように大っぴらに発作が出たのを見せられないし、所かまわず女を抱く訳にはいかなくなる。でも娼館に行くのは問題ない。陰嚢がなくて勃起しなくても、舐め合ったり愛撫し合ったりはできるから、娼館通いがばれても大丈夫なのだ。
だが問題は別の所にある。こっそり娼婦と性交しようとしたら、相手にはアントンにまだ陰嚢があるのがもちろんばれてしまう。いくらその娼婦の口が堅くても、その事実を知られている時点で弱点になる。
それにトラウザーズの前のもっこりが見えないようにきつい下着を一生履き続けなければならず、不快感は相当なものになるだろう。陰嚢と陰茎を常時きつく締め付けていて健康被害はないのか、アントンはそれも少し心配していた。何かあっても、
一生、右手が恋人になるのかと思うと、個人の幸せより国民の幸せのために行動せよとルイトポルトに言った舌の根も乾かぬうちから、アントンは決心が揺らぎそうになった。今のうちに毎日女を抱くしかないなと思うと、仕事中にもかかわらず、股間に熱が集まってきた。
「おい、アントン、僕の前でおっ勃てるのは止めろ! 僕にはそういう趣味はないんだ!」
「新国王陛下がそんな下品な言葉を使ってはいけませんよ」
「だったら、それを何とかしろ!」
「ええ、何とかしてきます。すぐに戻ります」
そう言うと、アントンは股間を大きくしたまま、執務室から出て行った。