騎士達が王宮に戻った地点からは、北の修道院まで馬車でまだ3日はかかる。修道院に到着するまで監視されないのをヨアヒムは訝しんだ。だが、北の修道院まで行くつもりはないので、都合がよい。
ヨアヒムは用心のため、荷馬車をそのまま1時間程走らせてから停車し、荷馬車の後ろに回った。
「カロリーネ、ガブリエレ、ここまで来たら騎士は戻って来ないだろう。今から縄を切るよ。辛かったね」
フードを取ったヨアヒムの顔を見てガブリエレは驚愕の声を上げた。
「おじ様なの?!」
「ああ、そうだよ。これからはどこかで静かに3人で暮らそう」
「じゃあ、北の修道院に行かなくて済むのね?」
「もちろんそうだよ。そのために御者に成りすましたんだから」
「ああ、おじ様ありがとう!」
「ヨアヒム、ありがとう!」
3人は逃避行の最中という事も忘れてしばしの間抱き合って泣いた。
「もうそろそろ出発しよう。ここはまだ北の修道院に向かう道だから、あまり長い間留まっていたら危ない」
「そうね。でもどこへ向かうの?」
「東の辺境の首都に行ってみようと思うよ」
最近の政情不安で中央政府は辺境まで目が行き届いていない。あまり小さな村だとよそ者は目を惹くだろうが、辺境の首都ぐらいになれば住民に紛れる事もできるとヨアヒムは読んでいた。
ヨアヒムはしばらく荷馬車を北へ進めた後、東へ反れる道へ入るつもりだった。だがその手前で異変が起こった。
「ヨアヒム!」
突然、カロリーネの悲痛な叫び声が聞こえた。ヨアヒムは本能的に馬に鞭を打って荷馬車のスピードを上げた。
「どうした?!」
「様子のおかしい人達がすごい勢いで近づいてくるわ!」
「盗賊か?! 俺は御者台を離れられない! 2人とも御者台に来てくれ!」
荷馬車は幌付きであったが、幌は御者台と荷台を隔てていない。ガタガタ揺れる荷台から御者台に移るのをガブリエレは怖がったが、そんな事を言っていられないので、ヨアヒムは手綱に気を付けながら彼女を引っ張り上げた。
「カロリーネ、手綱を持っていてくれ! 俺は防御に専念する!」
盗賊のような成りをした男達が馬に乗って御者台のすぐ後ろまで迫っていた。だが荷台を見れば何も品物を載せていないのは一見して分かるはずだ。なのに彼らはヨアヒム達を攻撃する気満々で剣を鞘から抜いていた。
ここまで来てやっとヨアヒムは、騎士達が昼に王宮へ戻って行ったのは罠だったと自覚した。だが、何もかも遅い。ヨアヒムは決死の覚悟で本来の御者から得た粗末な短剣を抜いた。それを見た男はヨアヒムを馬鹿にした。
「ハッ! そんな短剣で身を守れると思うのか?!」
「やってみなきゃ分からないさ!」
だが短剣で長剣での攻撃を防ぐのは無理があった。ヨアヒムはすぐ利き腕に深手を負ってしまった。
「ウウッ!」
「ヨアヒム! 大丈夫?!」
「俺は大丈夫だ! ガブリエレと馬を頼む!」
だが非情にもガブリエレのすぐ横に別の男が剣を構えて近づいてきた。カロリーネは娘を守ろうとして手綱を握りながら反対側の手でガブリエレを抱き寄せた。ガブリエレは涙と鼻水で顔をくしゃくしゃにして震えながら母親に抱き着いた。
「ガブリエレ!」
「お母様! こ、怖い!」
男はカロリーネにしがみつくガブリエレの背中に剣を向けたが、まるで獲物をいたぶるかのように浅く切りつけただけだった。
「ギャーッ! 痛い、痛いっ!」
「ああっ! ガブリエレ! 大丈夫?!」
カロリーネはガブリエレの血が手に付くのも厭わず、さらに抱き寄せた。ヨアヒムは何度も切りつけられ、防御に必死でカロリーネとガブリエレの方に振り向く余裕を失っていた。
「お遊びはこのぐらいにしておくか」
その言葉を合図にヨアヒムを攻撃していた男が彼の胸を貫いた。同時に別の男にカロリーネとガブリエレも胸を一突きされた。3人の傷は深く、身体に力が入らなくなり、御者台から滑り落ちた。男達はそれを見届けると、馬の尻を叩いた。御者を失った荷馬車はそのまま走り去っていった。
ヨアヒムは最期の力を振り絞って地面に倒れたままのカロリーネとガブリエレに這いずりながら近づいた。
「カ、カロ……リーネ……私のつ、妻……ガブ……リエレ……私の……娘……あ、愛……し……」
「お……じ、さ、ま……?」
「往生際の悪い奴らめ」
ヨアヒムの胸を貫いた男はそう毒づくと、ヨアヒムの首に剣を突き立てた。断末魔を上げたヨアヒムの動きが止まり、男が首から剣を抜くと、血が噴き出て自分にかかりそうになって慌てて後退した。
「おーっと、服が汚れるとこだったぜ。手間かけさせやがって。おい、女どものとどめも刺せ」
別の男がカロリーネとガブリエレにとどめを刺した後、用心のために脈を確認した。3人が死んだと分かると、男達はヨアヒムの服をまさぐった。
「お、こんな物をまだ隠していやがった」
男の手にはヨアヒムのダイヤモンドの指輪が握られていた。