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第51話 息子の気持ち、母知らず

 前王妃マレーネ達の捕らわれている王宮の地下牢は、お世辞にもよい生活環境とは言えない。天井近くに設けられた小さな窓から日光がわずかに差すだけで、昼間でも薄暗く、じめじめしている。窓は、外側から見ると地面すれすれに設置されているが、脱獄対策で人間が通り抜けられないような幅と高さの窓で鉄格子がかかっており、窓のすぐ外側の区域には番犬が放たれていて一般人は外から窓に近づけられないようになっている。


 牢の中は、一応、掃除されているものの、高い天井までは行き届かず、長年の淀んだ空気とかび臭も取りようがない。天井には蜘蛛の巣が張り、牢はネズミの恰好の住みかとなっている。王宮の上階にもネズミの被害が及ぶこともあって、以前はネズミ駆除がしばしば行われていたが、ここ最近の政情不安でそれどころではなく、地下牢のネズミが増えてしまった。


 そんな所で寝起きするなど、考えてもみなかった貴族連中は、不満たらたらで自分はこんな場所に捕らわれているべき人間ではないと声高に主張する。特に夫人、令嬢達は天井からぶら下がる蜘蛛や牢の床を走り回るネズミにしょっちゅう悲鳴を上げ、牢番にうるさいと叱られている。


 断罪の3ヶ月後、地下牢に収容された人々の行く末が決まった。


 ルイトポルトの実母マレーネは、愛人達と共に横領を繰り返して歳費以上の金銭を湯水の様に浪費し、その放蕩振りが国民の間でも有名であった。したがって息子が即位しても彼女は王太后の称号は得ず、修道院に送られて生涯そこで暮らす事になった。


 マレーネは、王宮の地下牢でを声高に主張し続け、牢番達を悩ませた。


 ルイトポルトはマレーネに面会するつもりがないようなので、彼女の移送前日、アントンが引導を渡しに行った。


 マレーネは、鉄格子の前に立つアントンの姿を見てすぐに誰だか分かったようで自分の立場を主張し始めた。


「貴方、ルイトポルトの側近ね。私を早くここから出しなさい! ルイトポルトの実母で王太后になる立場なのよ! こんな不潔で粗末な場所にいるべきではないの! 不敬よ!」

「貴女が殿下の実母なのはあっていますが、王太后にはなりません。殿下は貴女を母とも思いたくないようですよ。実際、母親らしい事は何もしなかったですしね。生きて修道院に入れる事に感謝するように」

「修道院なんて私が生きる場所じゃないわよ!」

「あくまでそうおっしゃるなら、断頭台の露と消えていただくしかありませんね」

「なっ! 言うに事欠いて!」

「これは殿下と議員達の温情です。ああ、でも勘違いしないで下さいよ。彼らは貴女だから温情を与える訳じゃありません。血を流すのは腐敗政治の首謀者達だけでいいという意見で一致したのです」

「な、なら、私が修道院に行く理由はないでしょう?! お金をちょっと多く使っただけじゃないの!」


「貴女が浪費したお金でいったいどれだけの人間が生き残れたでしょうね。せっかく生まれた子供を殺したり、年頃の娘を女衒ぜげんに売るしかなかったりする程、困窮した人々がいたのですよ。その日に食べる物さえ困る人々が貧民街のバラック小屋や道端で寝起きするのを見たことすらないでしょう? それなのに国王夫妻は放蕩に耽って贅沢三昧、首相一族は予算から横領三昧。民衆は、腐敗政治に怒っています。貴女は確かに直接政治に関わってはいませんでした。でも貴女は腐っても王妃だった。なのに放蕩王を諫めもせず、自らも浪費して愛人達と情事に夢中になっていた。世間では前王妃が愛人達と爛れた生活に耽っていたと有名です。そんな貴女をお咎めなしにしては民衆の怒りが収まりません。今は政治の舵取りがとても難しい時期なのです……まあ、こんな事を言っても、贅沢と愛人達との情事にしか興味がない貴女の頭はからっぽ過ぎて理解できないでしょうけど」


「な、な、なっ! 無礼者!」

「貴女はもう王族ではないんです。それどころか犯罪者です。このぐらい言っても罰は当たりません。それだけの事を貴女はしたのです」


 そう言い捨ててアントンはマレーネの牢の前から去った。後に残されたマレーネは大声でアントンを罵り続けたが、しばらくすると声が枯れて黙る他なくなった。


 翌日早朝、王宮の裏口から粗末な馬車が修道院に向けて出発した。その背後には騎乗した騎士2人が人目を避けるように普段着でついていく。護衛というよりは、マレーネが御者を言いくるめて目的地を変えないように監視するためだ。


 ルイトポルトは一行を王宮のある部屋の窓からひっそりと見送った。


「最後まで本当の親子関係を築けませんでしたね……」


 今や父アルフレッドは亡く、母マレーネは生きているものの、もう2度と会う事はないだろう。ルイトポルトは、ごく幼少の頃、両親の愛を得ようとして必死だったことを思い出した。でも赤ん坊のパトリツィアと出会った頃には、そんな希望はとっくに捨てていた。


 マレーネの乗った馬車が視界から消える頃、彼は背後に気配を感じて振り返った。さっきの独り言を聞かれてしまっていないかとびくっとした。


「ここに殿下がいらっしゃるのは珍しいですね。直接見送りされればよかったのに」

「いや、いい。それにこれは見送りじゃなくて彼女が本当にきちんと出発するか確認したかっただけだ」


 そう言ってルイトポルトは馬車が消えた道をじっと見つめていた。


「それはそうとパティの捜索はどうなっている?」

「申し訳ありません。未だ成果がありません」

「本当か? お前の教育した影は優秀なのに?」

「ええ。でも優秀な影でも万能ではありません。ですが鋭意、努力いたします」

「頼むよ。パティ自身には全く罪はないんだ。王宮に住むのは無理でもどこかで保護したい」

「ですが、いずれ新しいお妃様をお迎えになる時に問題になります。最低でも正式に離縁して修道院に行っていただかないと」

「その話は時期尚早だ」

「でもこの困難を乗り越えるためにも、後ろ盾のある新しい妃殿下が必要です」

「そんな後ろ盾がなくても大丈夫なように私が頑張ればいいんだ」

「それだけで済まないのが政治なんですよ」

「分かってる! それより、ツェーリンゲン公爵家から解放された元使用人達の名簿にパティの護衛騎士と侍女の名がない。もしかしたらパティと行動を共にしているかもしれない。彼らの行方は知らないか?」


 アントンは、まだパトリツィアの捜索を始めておらず、パトリツィアの護衛騎士と侍女の名前もすぐに思い出せなかった。パトリツィアの捜索は宰相達の処分が決まってから始めるつもりだったので、ルイトポルトが気付く前にぼちぼち始めるかとようやく重い腰を上げた。

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