ルイトポルトが15歳で成人した頃から民主過激派が王都で散発的にテロを起こすようになり、1年前にはルイトポルトの大叔父に当たる王族がテロで大怪我を負った末に亡くなった。それからというものの、王室はルイトポルトの外出に神経をとがらせるようになった。彼は以前のようにお忍びで城下を視察したり、パトリツィアを訪ねて公爵家に行ったりする自由を失った。パトリツィアは週に3回、王妃教育で王宮に来ているので、ルイトポルトの都合がつけばその後に会っていたが、パトリツィアの義妹ガブリエレが一緒のことが多いし、王宮に連れてきている弟ラファエルもパトリツィアと一緒にいたがってルイトポルトと2人きりで話す機会はほとんどなくなってしまった。
だがある日、パトリツィアが久しぶりに2人きりでルイトポルトに話せる貴重な機会があった。それでもパトリツィアは、淑女教育の賜物で以前のように『ルイお兄様』と叫んで抱き着いたりはせず、優雅なカーテシーをして話しかける許可を待っていた。
「パティ、楽にして。どうしてそんなに堅苦しい真似をするの?」
「私は殿下の婚約者であっても、今は一介の公爵令嬢。礼儀は忘れてはならないのでございます。以前の野猿のような自分がお恥ずかしい限りでございます」
「パティ、私はパティが野猿でも淑女でも何であろうと大好きだよ。でも野猿のほうがかわいかったかな?」
「で、殿下っ! 野猿では、殿下の隣に立つ権利がございませんでしょう?」
「嬉しいね。そうまでしても私の隣に立ちたいんだね。でも2人きりの時はもうちょっと砕けて接してくれるといいな」
「た、態度を使い分けるのは難しいですけど……善処します。それで、あの、お渡ししたいものがあるんですけど……」
パトリツィアは、赤面したままおずおずとルイトポルトのために刺繍したハンカチを渡した。王家の紋章はまだ難しいので、ルイトポルトの名前を刺繍しただけだったが、この1年の努力のかいあって美しい書体で刺繍できていた。ルイトポルトはパトリツィアが自分を想って刺繍してくれたことがうれしくて破顔した。そして太腿をポンポンと叩いて膝の上に乗るようにパトリツィアに促した。
「殿下、レディはそんなはしたないことをしないのですよ」
「いいからおいで」
パトリツィアはおずおずとルイトポルトの膝の上に座った。アントンを始めとした、お付きの者達は会話が聞こえる範囲にはいないが、パトリツィアがルイトポルトの膝の上に乗ったのは見えたはずだ。だからどこからかカロリーネに伝わったら怖いと思ったが、ルイトポルトの膝の上に久しぶりに座れるという誘惑のほうが勝った。
「パティ、久しぶりに膝の上に抱っこしてみたら、大分おも……大きくなったね」
「殿下っ! 『重い』なんてレディに言うものではございません!」
「パティ、僕は『重い』なんて言ってないよ」
「言いかけたでしょう?」
「そんなことないよ。それより『殿下』なんて呼び方止めてね。パティと僕の仲じゃないか」
「でん……ルイ兄様と私の仲!」
パトリツィアはルイトポルトの膝の上でぽっと赤くなってしまった。こんな気軽な掛け合いは久しぶりでパトリツィアもルイトポルトも気分が高揚した。
その様子をアントンは複雑な心境で見つめていた。