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第14話 アントンの見合い

 アントンは28歳になったが、両親の再三の結婚催促にもかかわらず、未だに独身である。数年前に婚約寸前までいったが、結局土壇場で止めてしまった。アントンは、両親や国王夫妻の夫婦の在り方を見て結婚する気になれないのもあるが、何より家族を持つのはルイトポルトと協力するクーデター計画にとってリスクになりかねない。ただ、宰相ベネディクトの腰巾着の父親パスカルのルートを使って二重スパイをするためにも、騙された振りをして何度かお見合いの席についただけで、いつも婚約を成立させなかった。


 パスカルに再び見合いをセッティングされ、その日も断るつもりでアントンは、見合いの席が設けられた高級レストランに父と共に出掛けた。


 アントン達がレストランの個室に通されると、そこには既に相手の令嬢リーゼロッテと彼女の父親エーリヒが待っていた。彼女の年齢は令嬢としては嫁き遅れと言える22歳。エーリヒは、アントンの父親と同じく宰相のツェーリンゲン公爵家の一門ファベック伯爵家当主である。アントンは事前に釣書と写真を見せられていたはずだが、リーゼロッテの写真を見たかどうか思い出せなかった。


 リーゼロッテは痩せていて気の弱そうな地味な令嬢だった。自己紹介する時も蚊の鳴くような声で俯き加減だったが、エーリヒに叱咤され、顔を上げてアントンと視線が合うと、頬を染めた。アントンは令嬢達にもてはやされるのに慣れており、その時はリーゼロッテの反応にもまたかと思っただけだった。


 見合いの席では、エーリヒが娘そっちのけで終始ベラベラ話していた。そのくせ、エーリヒはリーゼロッテがアントンに話しかけないと叱り、彼女はビクビクしていた。


 それまでにアントンが見合いで会った令嬢達は、それなりに美しかったが、皆、自分の美貌や家柄を鼻にかけて気が強そうな女性ばかりだった。アントンが肉体関係を持っている配下の影の女性達も、部下であってもアントンにただ言いなりではなく、アントンの指示が上手くいかないと思えば反論するぐらいの気骨はある。


 彼女達と全く違い、リーゼロッテがひたすら父親の顔色をうかがって唯唯諾諾と従う様子を見て、アントンは彼女が自分の妻になっても自分の言いなりなんだろうなと思った。彼女を従わせたらどんな気持ちになるだろうか。妻として夫に従う彼女は夫だけにどんな表情を見せるのか。めちゃめちゃにしてやったら、どんな顔をするんだろうか。ふとそんな昏い思いに耽ってしまい、父親が呼んでいるのに気付くのが遅れてしまった。


 レストランには庭園があり、デザートの後、父親達は『若い者同士で庭でも見て着たらどうか』と勧めてきた。ここでどちらか一方が散策を断って父親と一緒に帰宅したら、この縁談を進めないのが暗黙の了解である。アントンはこれまでの見合いのほとんどで仕事を理由に見合い相手との2人きりの時間を回避してきた。もっとも2人きりと言っても護衛や侍女は残していくので、完全なる2人きりではない。


 アントンがリーゼロッテとの散策を了承すると、アントンの父パスカルは目を丸くしたが、息子がやっと結婚する気になったかもしれないとあからさまに安堵した様子が伺えた。


 アントンがリーゼロッテをエスコートしようと腕を出すと、彼女はドレスの裾に躓いて転びそうになった。その様子を見てエーリヒは、『無様な姿を見せて申し訳ありません』とひたすら謝ってきた。リーゼロッテはそんな父親を見てまたおどおどしていた。


 庭園を少し歩いて回ってから、ガゼボで向かい合わせに座ると、すぐにウェイターがやって来たので、アントンはリーゼロッテに飲み物の注文を聞いた。


「……マンダーシャイド伯爵令息様と同じもので……」

「それでは、コーヒーはお好きですか? 最近、王都のカフェで流行っているのですよ」

「コーヒーは……飲んだことはありませんので、分かりません」

「それでは試しに飲んでみてはいかがでしょうか? 初めてだと苦いかもしれませんから、ミルクと砂糖をたっぷり入れるといいですよ」


 リーゼロッテが了承したので、アントンはコーヒーを注文した。コーヒーが届くと、それまで無表情だったリーゼロッテの目が少し輝き、香りを吸い込んで微かに微笑んだ。


「いい香りですね」

「そうでしょう?」


 リーゼロッテはコーヒーに何も入れないまま、カップに口をつけた。


「……熱っ!」


 初めて飲んだコーヒーの苦さと熱さに驚いてリーゼロッテはカップを手から落としてしまい、手袋が濡れた。


「も、申し訳ありません!」

「火傷しませんでしたか? 早く手袋を脱いだ方がいいですよ」

「い、いえ、大丈夫です。こんな失態をしてしまって……申し訳ありません」


 彼女の微かな笑顔はすっかり影を潜めて再びおどおどした態度に逆戻りしてしまった。その態度にアントンは何だか苛々してきた。


「だから言ったじゃないですか、苦いって。なのにどうしてミルクも砂糖も入れずに飲んだんですか」

「も、も、申し訳ありません……そ、そのままだと……どんな味がするのかと思って……」

「気に入ったらもう1杯注文してブラックで飲んでみればいいんですよ。それともそれ程度も私が払えないとでも?」

「い、いえ……そ、そ、そ、そんな……め、滅相も、ありません」

「まあいいですよ。もう1杯注文しましょう。その前に濡れた手袋を脱いで下さい」

「い、いえ……これは……」

「そんな無様に染みがついた手袋をしているとみっともないですよ」


 アントンは半ば無理矢理手袋をむしり取ったが、リーゼロッテは手を見せたくなかったようでさっと後ろに隠した。だが、アントンの目は素早く彼女の手の状態を捉えていた。リーゼロッテの手はささくれて荒れており、とても貴族令嬢のものとは思えなかった。


「手を出して下さい」

「い、いえ、お見せするようなものでは……」

「何も非難するつもりではないんです。働き者の手をよく見せて欲しいんです」


 アントンの口調が優しくなると、リーゼロッテはおずおずと両手を差し出してきた。アントンは彼女の手を取って甲に唇を寄せた後、両手でそっと包んだ。するとリーゼロッテは真っ赤になって俯いて小さな声で呟いた。


「は、恥ずかしいです……」

「恥ずかしがることはないですよ。の手にキスするぐらい、当たり前です」

「で、でも……お見せできるような手ではありませんので……」

「そんな事ないですよ。働き者の手は尊いですよ。でも下さった暁には、指がひび割れて痛くなるような事はさせませんから安心して下さい」


 リーゼロッテは目を瞠り、アントンを見て頬を染めた。感情をあまり露わにしないリーゼロッテの表情を崩す事ができてアントンは何だか誇らしかったが、この気持ちが何なのか自分でも分からなかった。

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