ルイトポルトは貧民街へのお忍びの時、カバンの中にクッキーの包みをいくつか忍ばせていてその1つを貧民街で出会った少女にあげた。だがアントンに言わせれば、それは危機感が欠如している行動だった。
「なぜあの少女にクッキーを渡したのですか?」
「お腹がすいてそうだったから……それに物をあげてはいけないと言わなかっただろう?」
「殿下があの包みを渡した時、たまたま誰も住民が見てなかったからよかったですが、もし見ていたら自分にもくれと殺到して大変なことになったかもしれないのですよ」
「誰も見ていない隙に渡したんだ」
「だとしても、クッキーを少しあげただけでは只の自己満足です。小腹を満たすことはできても毎日の食事の足しにはなりません」
「それはわかっている。その答えを探すのが今回のお忍びの目的だろう? あのクッキーは小腹を満たすためだけじゃない。君を助ける人はいるっていうシグナルだよ」
「そうだとしても危険でした。この次からは気を付けて下さい」
アントンは、これ以上議論してもルイトポルトが折れないとわかっていたので、矛を収めた。
「アントン、それよりも貧民街視察の答え合わせをしよう。あそこの住民はどうやって生活しているんだ?」
「あの少女のように泥棒したり、ごみの山の中から使える物を拾って売ったり、年頃の女性や見目麗しい若い男性だったら身体を売ったり、ですかね」
「どこかで働けないのか?」
「身元確認で貧民街居住と分かれば、雇う者はおりません。それに今日ご覧になった通り、身体をいつも清潔に保てるという環境でもありませんから、一見で断られることでしょう」
「水はどこから調達しているのだ?」
「それが今日の答え合わせの1つです。貧民街の井戸、浴場、トイレを整備するために国庫から補助金が出ています。しかし、10年経っても整備されておりません」
「また『中抜き』か」
「左様でございます。これも宰相の一門が管轄している事業です」
「またか……!」
「ですが、補助金が毎年浴場や井戸の用地買収費や資材に消えたり、コンサルタント料金に消えたり……はっきりと横領の証拠は掴めておりません」
「それで水はどうしているんだ? 人間、水がないと生きていけないだろう」
「殿下もご存知の通り、貧民街を流れている用水路がございます。住民はそこを使っていますが、なにせ飲み水と洗濯などの生活用水と共用になっていますので、綺麗と言える水ではありません。それで病気になるのは日常茶飯事で、疫病が発生したらあっという間に広まってしまいます。栄養状態が悪く体力がない者が多いので、腹を下しただけで命を落とすこともあり、貧民街の住民の寿命は他の街の住民より短いです」
「そうか……火急の改善が必要だな」
「しかし、公式に貧民街の環境改善に割り当てられている予算があるわけですから、表立って他の予算を使うのは宰相を刺激するでしょう」
ルイトポルトは、孤児院と貧民街の視察から今の政治体制は国民のためになっていないと痛感した。だがそれを倒すということになれば、宰相ばかりかその娘である婚約者のパトリツィアも宰相の傀儡である両親も切り捨てる事になる。その覚悟ができるのか、ルイトポルトに決断が迫られていた。