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第56話 エピローグ

 ゴットフリートとアントニアの結婚から8年後のある休日――


 ゴットフリートは、妻アントニア、5歳の一人息子ゴットロープと14歳になった養女ルドヴィカを連れて弟ラルフの養子先で伯父の家でもあるコーブルク公爵家を訪ねる事になっていた。


 ラルフとゾフィーにも、9歳の息子ミハエルと2歳の娘ツェツィーリエがいて子供達は仲が良い。特に年長の子供達は一番年下のツェツィーリエをとてもかわいがっている。


 この2家族はしょっちゅう家を行き来して交流しており、この日もコーブルク公爵家で一緒にランチをとることになっている。ちなみにゴットフリートとラルフの両親フランツとカタリナも一緒だ。


 ルドヴィカは2年前にゴットフリートと養子縁組し、ノスティツ子爵家でアントニア達と共に住んでいる。アントニアは律儀に離婚時の契約を守っていて周囲にはルドヴィカはアントニアの実子と思われている。真実は、ノスティツ家でもアントニアとルドヴィカ本人しかまだ知らない。


 ルドヴィカの実父アルブレヒトはこの養子縁組に難色を示したが、2年前にアルブレヒトが王命で隠居し、養子ガブリエルが18歳でシャウエンブルク辺境伯家の当主となった事で、養子縁組とノスティツ子爵家への引っ越しがとんとん拍子に実現した。


 カタリナとフランツは、賑やかな子供達を嫌い、ラルフ一家がノスティツ子爵家に来る時は外出しているか、顔を出さない。でもカタリナの実家コーブルク公爵家には、おねだりの成果とご馳走を期待して息子一家についていく。2人が隙あらば浪費するのは変わらないが、ゴットフリートとラルフが都度都度締め上げたので、以前よりはましになっている。


 ゴットフリート一家は馬車を持っていないので、コーブルク公爵家へ行く時は近くの辻馬車乗り場まで歩いて行く。カタリナとフランツはブーブー文句を言いつつも、乗り場までついてくる。以前、ゴットフリートは両親の主張に負けて辻馬車に乗ってから家に寄って2人を拾うようにしていた。だが遠回りになるので、その分料金上乗せになる。だから1度置いて行ったら、それに懲りて乗り場までついてくるようになった。


 その日もいつものことながら、カタリナが化粧だの、ドレスだのと言って準備に時間がかかり、ラルフとの約束の時間に遅れそうになり、ゴットフリート達は急いでいた。当然のことながら5歳のゴットロープはその速さについてこれないので、ゴットフリートがおんぶしている。運動不足のカタリナとフランツは、息も絶え絶えでフラフラしながらゴットフリートとアントニア、ルドヴィカを追う。


「ハァ、ハァ、ハァ……ちょ、ちょっと! ゴットフリート! 待ちなさいよ! そんなに、早く歩けないわよ!」


「母上のせいでまた遅れそうなんです。待てませんよ」

「ハァ、ハァ、ハァ……意地張らないで、お兄様の、馬車を、ハァ、ハァ……使わせて、もらえばいいのに……」

「ハァ、ハァ、ハァ……そ、そうだ……伯父と弟に、遠慮、ハァ、ハァ……しなくたって……ハァ、ハァ……」

「そんなにいつも伯父上と弟におんぶに抱っこは出来ませんよ」

「ハァ、ハァ、ハァ……せ、せっかくの、化粧が……落ちるわ!」

「母上は化粧しなくても美しいですから、大丈夫ですよ」

「そうよね……じゃなくて! ハァ、ハァ、ハァ……騙されないわよ!」


 暗黙の了解で雨天の時はラルフが馬車を差し向けてくれるが、ゴットフリートはそれ以外は自力でコーブルク公爵家へ行く事にしており、その日は晴天だった。


 ゴットフリートはやや後ろを速足で歩くアントニアとルドヴィカを振り返った。


「アントニア、ルドヴィカ、大丈夫?」

「お父様、私は大丈夫です」

「ええ、私も大丈夫。ゴットロープを背負わせてしまってごめんなさい」

「そんなことないよ。この中じゃ私が一番力持ちだからね」

「ハァ、ハァ、ハァ……ちょっと! 嫁と義娘の……ハァ、ハァ……心配、する、より、大事な、母親の……ハァ、ハァ、ハァ……心配、しなさいよ!」

「それだけ元気なら大丈夫ですよ、母上。さあ、急ぎましょう」

「ハァ、ハァ、ハァ……な、何なのよっ! ハァ、ハァ、ハァ……あんた、結婚してから、私の、ハァ、ハァ、ハァ……言う事、聞かなく……なったわ!」

「違いますよ。目が覚めただけです」


 ルドヴィカは、キーキー文句を言い続ける義祖父母に少しあきれてしまった。でもなんだかんだ言って賑やかなノスティツ子爵家をルドヴィカは好きだ。シャウエンブルク辺境伯家では、実姉に敵視されて両親に腫れ物に触るように扱われ、居心地が悪かったし、何よりあの家には母と慕うアントニアがいなかった。


 その後、一家はカタリナとフランツの愚痴を無視して、辻馬車乗り場までひたすら足を進め、辻馬車を拾って何とか時間通りにコーブルク公爵家に到着できた。玄関に通されると、ラルフ一家に加えてカタリナの兄で現コーブルク公爵アルベルトとその妻アンゲリカもにこやかに迎えてくれた。


 アルベルトは屈んでゴットロープを抱き上げ、その成長に驚いた。ラルフがノスティツ家に行く時はついていかないので、2ヶ月ぶりだ。


「ゴットロープ、大きくなったね。おお、重いな! もうおじいさんには抱っこは厳しいな」


「伯父上、たった2ヶ月でそんなに変わりませんよ」


 アルベルトに抱っこされているゴットロープを見てツェツィーリエも祖父に抱っこをせがんだ。


「だっこ! だっこ!」

「私には2人同時に抱っこは無理だな。――フランツ、ゴットロープを抱っこしてやってくれないか」


 義兄に言われてフランツがいやいやゴットロープを抱っこしようとしたら、フランツに懐いていないゴットロープは顔を背けてしまった。


「アルおじいさまに抱っこしてもらったもん。もういい」

「ケッ、かわいくない坊主だ!」

「おい、フランツ! 実の孫にそんな言い方はないだろう」

「お兄様、そんな事よりこの間頼んでおいた宝石は注文してくれたの?」

「そんな訳ないだろう!」


 義兄の矛先がカタリナに移った隙にフランツは、勝手知ったるコーブルク公爵家の食堂へさっさと移動した。


「ゴットロープ、姉様と手を繋ぎましょう」

「うん!」


 結局アルベルトがツェツィーリエを抱き、ルドヴィカがゴットロープの手を引いて、他の人達も一緒に食堂へ向かった。全員が食堂に揃うと、前菜のスープが運ばれてきて食前のお祈りの後、食事が始まった。


 前菜として出されたスープFrittatensuppeには、ビーフブイヨンベースで透き通っていて細切りの薄いパンケーキが入っており、彩りに小葱を散らしてある。ラルフとゴットフリート兄弟、ゴットロープはこのシンプルなスープが好きなのだが、カタリナは貧乏くさいと嫌っている。


「またなの、この貧乏くさいスープ!」

「母上、伯父上に失礼ですよ! ゴットロープが好きだから出して下さったんですよ」


 ゴットフリートが慌てて母を窘めたが、アルベルトは妹の言動には慣れたもので動揺しなかった。アルベルトの妻アンゲリカにとっては、義妹カタリナの言動は予想範囲内なものの、色々強請られて散々煮え湯を飲まされてきたので苦々しく思ってしまうが、そこは高位貴族のポーカーフェイスの仮面を被ってノーリアクションとした。


「おばあさま、このスープ、おいしいよ」

「ゴットロープ! カタリナさんと呼びなさい!」

「カばあちゃま、おいちいよ」

「ツェツィーリエまで! もうっ! あんた達が変な呼び方を許すから!」

「ゴットロープから見たら母上が『おばあ様』なのは正しいですよ。ツェツィーリエにとっては、母上は大叔母ですけど、まだこの年齢には難しいから『おばあ様』でいいじゃないですか」


 カタリナは『おばあ様』呼ばわりされるのを嫌っていて子供達に『カタリナさん』と呼べと強制しているが、まだ小さなゴットロープとツェツィーリエは時々間違ってしまう。


 賑やかな雰囲気が微笑ましくてルドヴィカは隣に座るアントニアに話しかけた。


「お母様、賑やかで楽しいですね」

「ええ。うちの実家もそんな和気あいあいな雰囲気ではなかったから、幸せね。お義母様とお義父様には困ったものだけど……」

「ちょっと! 聞き捨てならない言葉が聞こえたけど?!」

「あら、お義母様。どうされたのですか?」

「知らんぷりしたって私の地獄耳には聞こえるのよ!」

「あら、そうですか? 私には何も聞こえませんでしたわ」

「すまし顔して、このっ!」

「母上、落ち着いて下さい。」


 興奮気味のカタリナをゴットフリートが宥めたが、カタリナは鼻息荒くブスっとしたままだった。でもしばらくして好物のアーティチョークの前菜が出てきてやっと機嫌が直った。カタリナは子供達がうるさいと言っているが、自分自身が一番騒動を起こしているのに気付いていない。


 そんな感じでメインディッシュの鹿肉背ロースのベーコン巻きとデザートのチョコトルテを皆で賑やかに味わっていつもの2家族のランチは終わった。


 それから5年後、ルドヴィカは花嫁としてノスティツ子爵家を出た。その時に寂しくて号泣してしまったゴットロープが、ノスティツ家の爵位を継承してゴットフリートが引退するまでは更に10年を待つことになったが、高齢になってもカタリナのパワーは落ちることなく、ノスティツ家の面々は賑やかに暮らしたのだった。

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