ラルフは、酔っぱらった父と不貞腐れたままの母をコーブルク公爵家に泊まらせようとゴットフリートに提案したが、ゴットフリートはラルフや伯父のコーブルク公爵に迷惑がかかりそうだと遠慮して両親と一緒に帰ることにした。ラルフはせめて別の馬車に両親を乗せようとしたが、ゴットフリートはそれも遠慮した。
帰りの馬車の中は、父フランツの酒臭い息で臭くなってしまい、母カタリナの機嫌はもっと悪くなった。
「フランツ! 貴方がそんなに酒臭いから、お兄様に泊めてもらえなかったじゃないの! 歩いて帰りなさいよ!」
「い、一家の主に、何て、ぐ、口のぎ……聞き方だっ……うぃっ! ヒック! ガーッ、ペッ!」
真っ赤な顔をしたフランツがしゃっくりし、元侯爵と思えない下品さで唾を前に飛ばした。
「ちょ、ちょっと! きったないわね! 唾飛ばさないで! だいたいね、アンタは一家の主じゃないの!」
「は、母上……今日はそのくらいにしておいて下さい。今夜、母上達が伯父上の家に泊まらなかったのは、父上のせいではありません。伯父上もラルフも泊めて下さるって言うのを遠慮したのは私ですから……」
「なんで遠慮なんてしたのよ!」
「そ、そうだ、そうだ! お、俺達がいない方が、ヒック……え、遠慮なくっ、ヒック……アントニアにヒンヒン……ヒヒヒッ……言わせて、抱き潰せるだろう?」
「なっ! 止めて下さい!」
「ヒヒヒヒ……俺達に、ヒック……覗いてもらいたいのかぁ? じゃあ、寝室の鍵を開けておけよぉ。その方が興奮するだろ? ヒッヒッヒッヒ……」
「もう黙っていて下さい!」
「あー、そんなに一生懸命になって……ヒーヒッヒッヒッ……」
フランツは時々しゃっくりをしながら下品に笑い続けた。下種な言葉を繰り出す義父の斜め向かいに座るアントニアは、拳を膝の上に乗せてじっと下を向いていた。ゴットフリートには新妻が涙を抑えているように思えて我慢の限界が来た。
ゴットフリートは、揺れる馬車の中で向かいに座るフランツの隣の座席の隙間に無理矢理、尻をねじ込んだ。必然的にフランツの隣に座るカタリナは、馬車の壁に押しやられる事になった。
「ちょっと! ゴットフリート! 狭いじゃないの! アントニアさんの隣に戻りなさいよ!」
ゴットフリートはギャーギャー抗議する母を無視し、ハンカチをポケットから取り出してクラバットを外した。そしておもむろにハンカチをフランツの口に突っ込んでクラバットで手首を縛った。フランツは暴れて手首の縛めを外そうとしたが、ゴットフリートが押さえて叶わなかった。それを見てカタリナの機嫌は少し持ち直した。
「んんんっ! んんんん、んんんんっ!」
「フフフ! ゴットフリート、貴方もたまには勇気出すのね。酔っ払いジジイには、いい気味よ!」
「母上、無駄口叩くのはそのぐらいにしてアントニアの隣に座って下さい」
「嫌よ、危ないじゃないの」
「ちょっと馬車を停まらせますから、お願いします」
「……仕方ないわね、わかったわよ」
ゴットフリートは、御者台と室内を隔てる壁をコツコツと叩いて合図をした。しばらくして馬車が停まり、カタリナはアントニアの隣に移った。ゴットフリートがもう1度壁を叩くと、馬車は再び走り出した。
「アントニア、せっかくの日にこんな騒ぎになり、申し訳ありません」
「い、いえ……大丈夫です」
ゴットフリートは、両親が最近少し大人しくなっていただけに大事な結婚式の日にこんな態度を取られるとは思っていなかった。両親が息子の結婚すらまともに祝ってくれない事に絶望し、アントニアに心底申し訳なく思った。
その後、フランツは相変わらずハンカチ越しにくぐもった声で叫んだり、暴れようとしたりしていたが、他の3人は皆何も話さず、重苦しい雰囲気のまま、馬車は王都郊外のノスティツ家に向かって走っていった。
馬車がノスティツ家に着くと、ゴットフリートは馬車をコーブルク公爵家に帰した。フランツはまだ酔っぱらっていて息子夫婦の初夜を覗くと騒いでいたが、ゴットフリートはフランツを彼の寝室に押し込めて外から鍵をかけた。しばらくバンバン扉を叩いて抗議する叫び声が聞こえたが、そのうちに疲れて寝落ちしたようで静かになった。一方、カタリナは随分前から夫と別の部屋を使っており、今日は大人しく自室へ入ってくれてゴットフリートにはそれだけでも助かった。