婚約が成立しても、アントニアが結婚式の前にアルブレヒトに会うことはなかった。アルブレヒトとアントニアの結婚式は、婚約成立から僅か3ヶ月後に辺境伯領の都で執り行われることになったが、アントニアが領地入りできたのは結婚式の2日前の夕方。準備は任せてもらえればいい、
アルブレヒトに身一つで来てほしいと言われ、両親はそれを真に受けて嫁入り道具も衣裳もほとんどアントニアに用意してくれなかった。実家から侍女と護衛は同行したが、アントニアが辺境伯の屋敷に到着してから彼らはアントニアに仕えることは許されず、アントニアの家族が結婚式の後に帰る時に一緒に伯爵家へ帰ることになった。
アントニアは前日になってもどんなウェディングドレスを着るのか全く教えてもらえず心配で、アントニア付きになった辺境伯家の侍女に恐る恐る聞いてみた。
「明日が結婚式よね。私はどのドレスを着ればいいのかしら?」
「まあ、お嬢様は旦那様のことよりもドレスの方が気になるのですね」
「い、いえ、そんなことはないわ。でも国王陛下の名代もいらっしゃいますし……身なりはきちんとしなければ……と」
「あらまあ、辺境伯家がそんな準備もできないとでもおっしゃりたいのですか?」
「いえ、そんなつもりは……」
辺境伯家のほとんどの使用人がアントニアに
結局、アントニアはそれ以上、ウェディングドレスのことを聞けず、ドレスを見たのは結婚式当日だった。ドレスはビーズの刺繍がそこかしこに施されていてレースもふんだんに使われており、確かに高級品らしい。でも既製品で寸法直しの時間もなく、小柄で痩身のアントニアに全く合わない。胸もウエストもブカブカ、肩も落ちるし、長袖の袖は長すぎるので内側に折る始末だった。ドレスの裾は前側すら長くてアントニアは裾を踏んで転ばないように終始気を付けなければならなかった。
両親と兄は、結婚式のためにはりきって遠路はるばる辺境伯の領地まで来た。3人はアントニアの不格好なドレスに一目で気が付いて一瞬顔をしかめたが、王命で格上の貴族との結婚式に何か言えるわけもなく、すぐに表情を繕った。
王命での結婚、しかも国王の名代も来る辺境伯の結婚ということで、それなりに豪勢な結婚式で招待客も多かった。
結婚式の会場となった領都の教会の祭壇の前で待つアルブレヒトは、神々しいほど美丈夫だったが、結婚式にそぐわない不機嫌な表情を隠さなかった。アントニアが父の腕を離れて夫の隣に歩み寄る時に長すぎるドレスの裾を踏んで転びそうになっても、アルブレヒトは、忌々しそうに眉間に皺を寄せただけでアントニアを支えようともしなかった。
誓いのキスのために顔がアルブレヒトに近づいた時、アントニアは後ろの方から不穏な雰囲気を感じた。アルブレヒトは眉間に皺を寄せたままで不快そうな表情を隠しもせず、アントニアの唇の横に口を近づけてキスをした振りをしてすぐに身体を離した。
誓いの言葉とキスが終わって婚姻届にサインをした時、アントニアはアルブレヒトが婚姻届を凝視しているのに気付き、そんなに不快なのかと嘆息しそうになった。
それでもアルブレヒトは体面を保つためにアントニアを一応エスコートして結婚式の会場となった教会を出て行く。アントニアはこの時、とげとげしい視線が教会の入口近くに控えている侍女達の中から投げかけられたのに気が付いた。彼女を敵視した侍女は化粧が侍女にしては派手なだけでなく、身体つきも妖艶で、その場にいた侍女達の中で目立っていた。
その侍女はアントニアと目が合うと、憎しみと嫉妬の混じった目で彼女を凝視した。アントニアは狼狽して、ちらりと隣のアルブレヒトを見た。彼もその視線に気付いたようでその時ばかりは不快な表情よりも慌てふためいているように見えた。彼は慌ててその侍女に目で合図したようだったが、侍女の鋭い視線がアントニアから外れることはなかった。