エーデルシュタイン伯爵令嬢アントニアは、2歳年上の幼馴染でノスティツ侯爵嫡男ゴットフリートと8歳の時に婚約を結んだ。彼らの婚約は親同士の関係で結ばれたけど、アントニアは穏やかなゴットフリートが大好きで、ゴットフリートも婚約者のことを好いていた。
彼の弟ラルフはアントニアと同い年で、アントニアがゴットフリートと婚約する少し前に1歳年下のバルトブルク伯爵令嬢レアと婚約していた。そうでなかったら、アントニアはラルフと婚約していたかもしれない――両親がそんな話をしていたのをアントニアは偶然耳にしてしまった。
アントニアは運がよかったと神に感謝した。アントニアはお人好しで親切なラルフだって好きだから、ラルフと婚約することになったとしてもゴットフリートと知り合う前だったら嫌ではなかったと思う。でもラルフには幼馴染以上の感情を持っていないし、アントニアはもうゴットフリートを好きになってしまった。アントニアはラルフを見ても胸がドキドキすることはないけど、ゴットフリートを見るだけで心臓が早鐘を打って顔が火照ってしまう。
アントニアと同じく、ゴットフリート達もレアも王都のタウンハウスに住んでいたから、子供の頃の4人は顔を合わせる機会が割とあって、会えば仲良く遊んだ。遊びをけん引したのは、明るくて活発なレア。穏やかな兄弟は彼女の提案を拒否しないし、アントニアも大人しい女の子なので、レアと喧嘩してまで自我を通そうとは思わなかった。
ゴットフリートが12歳で寄宿学校に入学した後、残りの3人の関係は変わった。3人で会った時にアントニアがラルフと話すと、レアがとげとげしくアントニアに当たる。最初は気のせいかと思った。
決定的になったのは、アントニアの11歳の誕生日だった。ゴットフリートは寄宿学校から帰省できず、アントニアの誕生日パーティに出席できなかった。寄宿学校は、王都からそれほど遠くない街にあるので、論理的に帰省は可能だったが、寮の門限までに間に合わなかったり、宿泊を伴ったりする外出は年2回のホリデーシーズン以外、滅多に許可が下りない。だからゴットフリートは、誕生日プレゼントをラルフから渡してもらう手はずを整えていた。ゴットフリートは両親を信用できず、領地に住んでいる祖父にプレゼント品の入手を頼んだのだが、王都の方が品揃えがよいので、祖父はタウンハウスの家令を通してラルフに買ってくるように伝えた。
アントニアがゴットフリートからのプレゼントの包みを開けると、そこには美しいガラスペンが入っていた。軸にピンク色の花びらが散っているかのような模様が付いていてとても美しい。アントニアはゴットフリートに会えなかったのは残念だったけどとても嬉しくて、この時のプレゼントを大人になった今でも大事に持っている。
「わぁ、すごく綺麗!ゴットフリートにお礼の手紙書くね!」
「気に入ってくれてよかった。兄上も喜ぶと思う。色は兄上の指定だけど、模様は僕も選んだんだ」
実際にはラルフがペンを選んだと聞いてアントニアは一瞬残念に思ったが、手配してくれたゴットフリートの気持ちは嬉しかった。この時、レアがアントニアを睨んでいたのだが、プレゼントに夢中になっていたアントニアは気が付かなかった。
「これ、僕からのプレゼント。ペンに合わせた色にしたんだ。兄上にお礼書く時に使って」
「レターセットも素敵!ありがとう!」
ラルフは兄からのプレゼントに合わせてピンク色の地に花柄模様が付いたレターセットを贈ってくれた。レアは造花のブローチと髪飾りのセットを贈ってくれたが、パーティの間、終始不機嫌そうだった。
それ以来、アントニアがレアの前でラルフと話したりすると、あからさまに焼きもちを焼くようになった。それでゴットフリートの年に2回の帰省時以外、アントニアは彼の実家ノスティツ家から足が遠のくようになったが、ゴットフリートがこのことを知ったのはずっと後のことだった。このことで後にレアは、アントニアとゴットフリートに罪悪感を覚え、2人の再会と復縁に尽力することになる。
悲劇が起きたのは、アントニアが16歳、ゴットフリートが18歳目前の時。後2年経てばアントニアが18歳になり、2人が結婚できるという時だった。
アントニアももう小さな子供じゃなかったから、ゴットフリートの家が祖父の先代侯爵の死後、経済的にまずい状態になりつつあるらしいのは聞き知っていた。でもまさか借金で領地を売らなくてはならなくなるほどとは思わなかった。領地を売った罰としてノスティツ侯爵は子爵に降爵した上で引退し、長男のゴットフリートに爵位を譲らなければならなくなった。
ノスティツ家はゴットフリートとラルフ兄弟の寄宿学校の学費も払えなくなり、2人は退学を余儀なくされた。借金問題が表面化する1年前からノスティツ家は既に寄宿学校の学費を払っておらず、学校にはそれ以上の猶予をもらえなかった。でもその1年間、兄弟が学校で支払いのことで肩身の狭い思いをしないように学校が配慮してくれただけでもありがたいと思わなければならないだろう。
ゴットフリート達の伯父コーブルク公爵アルベルトだったら、学費ぐらいは払ってくれたかもしれないが、彼は2人が退学するまで滞納の事実を知らなかった。ゴットフリート達の父は学費のために仲の悪い義兄のコーブルク公爵に頭を下げるつもりはさらさらなかった。その上、公爵の妹で彼らの母カタリナが公爵にしょっちゅうたかろうとしていたので、ゴットフリート達は伯父に相談しづらかったようだし、公爵も妹一家を避けていた。
ゴットフリートの家がこんなことになり、アントニアの両親は婚約のメリットがないと言って婚約破棄させた。アントニアは泣いて婚約破棄は嫌だと両親に頼んだが、聞き入れてもらえなかった。レアも同じような経緯でラルフとの婚約を破棄した。
ゴットフリートも本心では嫌だったが、今の経済状況では婚約破棄をされても仕方がないし、止める手段もなかった。ラルフも多分嫌だったろうが、彼は兄には何も愚痴を言わなかった。それどころか、すぐに気持ちを切り替えて王宮の下級官吏の試験を受けて合格し、勤め始めた。
ゴットフリートは、おとなしい性格なのに意外にも騎士になりたくて寄宿学校の最初の3年の基礎課程を修了した後、騎士課程に進んだ。それなのに卒業を目前にして退学しなくてはならなくなった。騎士課程の卒業資格なしに騎士になりたければ、従騎士から始めなければならないが、侯爵子息だったゴットフリートに従騎士の訓練環境は厳しい上に、年齢的にも従騎士から始めるのは遅かった。
ゴットフリートが絶望して閉じこもる中、頼りにならない名ばかり当主の兄と放蕩者の両親に代わってラルフが家の一切を切り盛りするようになり、ゴットフリートはますます卑屈になって殻に閉じこもっていった。
婚約破棄後、4人が会うことはなく、このまま何事もなければ2度と会うことはないと思われた。風の便りでラルフが王宮の下級官吏試験に合格して働きだしたとアントニアは耳にしたが、ゴットフリートが子爵になった後、具体的に何をしているのか聞こえてこなかった。
レアは婚約破棄の後すぐに別の伯爵令息と婚約し、彼女が18歳になった年に結婚してすぐに子供にも恵まれた。そのことを人伝えでアントニアは聞き、心の中でかつて義妹になるはずだったレアの幸せを願った。