アンテノーラ教会の一室。立派な椅子にヴィヴィアンが座っている。その向かいに座るのは栗色の髪をした青年。本心を隠すためだろうか、黒い丸眼鏡をしている。腰に差した名刀は彼が
「いやあ、戦の後の後始末ほど面倒いことはあらへんな。でも、勝利の報告を聞いたときはめちゃくちゃ疲れも取れましたわ。連中、自分たちが騙す方やーゆうて油断していたんやね」
青年は訛りの強い天ツ国弁を話す。胡散臭い見た目と合致しており、知らぬ者が見れば、
「ディーテの
すべては天ツ国の企みだった。女王アリアを弑し、すべての騎士団を無力化し、ユグドラシルに情報を送って大軍をコキュートスに差し向けさせた。意気揚々とディーテの市を襲った彼らに待ち受けていたのは既にユグドラシルの首都を落としたあとにやって来た天ツ国の精鋭たちであった。
「せやねぇ。アンテノーラ教会のおかげや。プルソンのおっさんも驚いてたでー。一足早く到着していたボクに斬られたとき、ようやく悟ったみたいやけどな。あんな死に方はゴメンや」
心にも無いことを青年は語る。ヴィヴィアンに隙を見せるためか。
「まあ! 天ツ国が誇る将軍、
それをさらりと躱すヴィヴィアン。彼女と詩守はこれが初対面である。互いに真意を隠している者同士、けして油断することはない。
「おおー、嬉しいことゆうてくれるね。でも、その評価はあんさん自身にも返ってくるんとちゃう? あんさんに勝てる騎士なんて、この世にはおらんやろ。良いとこまで行ったっていう……何やったけ、そうそう、“人喰い騎士”、も死んでもうたんやろ?」
「そうですね」
「残念やわ。一度戦ってみたかったんやけど」
「それより詩守さま、セリ婆が故郷に帰りたいと言っているのですがどうでしょう?」
突然の話題転換は致命的な隙であったのかもしれない。けれど、“人喰い騎士”は完全に死した者だと詩守は捉えている。死者を籠絡することは出来ぬ。彼はその情報をどうでもいいものだと思い、ヴィヴィアンの言葉に従う。
「宮永芹さんな。天ツ国が彼女を派遣して60年。まさか、諜報期間のトップになるとは思てへんかったな。もちろん、許可する。そのあと、教会を引き継ぐのはあんさんでっしゃろ」
「ええ。微才の身ですが」
「よー言うわ。あんさん、“聖氷の魔女”やゆうて噂されてたで。インパクトもあるし、美少女やし、強いし、頭もええ。この【邪宗国家】コキュートスをこれから収めてゆく者としては申し分無しやな。まぁ、天ツ国からの承認を得てって建前やけどな」
今回の件でコキュートスは天ツ国に救ってもらった形だ。その恩は計り知れない。王族がいなくなったいま、この国はもはや属国に等しい。詩守としてはこれから人々を率いることになるヴィヴィアンから、再び開戦するだけのキッカケを引き出したかったのだが、諦めたようだ。聡明な彼女の行動を操るのは難しい。
「“聖氷の魔女”なんてどうでもいい。アタシは“人喰い騎士”を“魔光の騎士”として伝え続けていきます。それが彼への供養となる」
いま、彼がやるべきなのは布石を置くこと、あるいは敵の内部事情を知ること。“人喰い騎士”などに構っている暇は無かった。
「ふーん。死者に拘っても意味あらへんと思うけど。まぁ、ええわ。それより、ボク聞きたいことがあってん。きみはアンテノーラ教会の副長や。でも、所詮は副長や。作戦を指揮する立場を任せられるなんて、よっぽど優秀やったんか?」
「そもそも国家転覆計画の主導者はプルソンさまとデカラビア公でした。アンテノーラ教会からはセリ婆がその統括を任されていた。しかし、デカラビア公はまさかの病死。アタシはその穴埋めとして幹部へ昇進したんです」
「そうかぁ、デカラビア公か。話には聞いとるで。客人からは金取らへん善人っちゅう話やったけど、そうでもないみたいやな?」
「トロメーアには何故、財力が集まっていたのか? それは客人の財産を奪って手に入れた仮初の経済状況でしかないのですよ」
「六部殺しみたいなもんか。あ、気にせんといて〜。これは天ツ国弁みたいなもんや」
ヴィヴィアンは静かに頷くのみ。
「そろそろ営業時間は終了です」
「お、もうそんな時間か。報告はほとんど済ませたし、ボクも天ツ国へ帰るわ」
「ありがとうございました」
秘密裏の会談は終わった。腹の探り合いなどヴィヴィアンは慣れている。けれど、そんなことはもはや瑣事さじ。彼女を縛り付けている者はいない。このような役目はもう放り出しても構いはしない。そこを見抜けていれば、詩守にとって有益な話し合いになったかもしれなかった。
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アンテノーラ教会には秘密の地下室がある。その中央に巨大な氷像があった。破魔の力が漏れ出ている。その姿は異形化したものではなく、いつも通りのソウルだった。
「それでこそ、ソウルだ。ごめんね、あなたの手を取れなくて。アタシは天ツ国のスパイなの。名声を利用してコキュートスを傀儡政権にするつもり。貴族なんていう馬鹿げた特権階級も破壊する。それが叶ったらいつでも死んでもいいと思っている。ねぇ、ソウル。アタシはあなたが大好きよ。愛している。いつか、アタシを裏切って。あなたに殺されるのならば本望」
氷像にキスをしようとして、それは我慢した。穢れた修道女たる自分が高潔な騎士たるソウルに触れて良いはずがない。彼女はそう思った。
それでも、未来への不安から氷像に縋り付いたその瞬間。ヴィヴィアンの腰にソウルの腕が絡み付く。氷は一瞬のうちに溶けていた。いたずらっぽい目をした彼と目が合う。
「え?」
「迎えに来たよ」
「……は、は、ははは……裏切られた。いつでも氷を溶かせたんだ。もう、あなたを拒めないじゃない。いいのよね? アタシ、幸せになってもいいのよね? ソウル、アタシ」
力強い抱擁が交わされる。さっきまで凍り付いていたとは思えぬ温もりを感じた。そして、唇を交わす。至近距離からソウルの顔を見てヴィヴィアンは照れていた。
「ヴィヴィアン、オレと生きよう」
「うん。ソウル。いつまでも一緒だよ」
“
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後世において、“魔光の騎士”、ソウル・バフォメットは伝説となっている。その物語を知らぬ者は大陸中にはいないだろう。彼は妻であるヴィヴィアンと共に大陸各地を助けて回った。やがて、コキュートスでは騎士という制度が撤廃された。
しかし、“魔光の騎士”だけは語り継がれてゆくことになる。正義のために愛のために生きたソウルはヴィヴィアンと共に紙幣のデザインに選ばれている。ふたりの愛はこれからも永遠である。例え誰からも忘れ去られたとしても、ふたりが愛を紡いだというだけは変わらない。
ソウルは誰よりも愛に生きたのであった。