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第2話 仄かな正義を照らして……

 コキュートスの冬はひどく寒い。用がなければ出歩きたくないと思うのが人情であるはずだが、首都ジュデッカの街には多くの人で溢れていた。そのほとんどは外見にまで気を遣っているのが分かる。



 ソウルが暮らしているカイーナではこれほどの人を見ることは無いし、みな飾り気の無い農民ばかりだ。香水の匂いに辟易へきえきとしながら、騎士舎へ向かう。慣れぬ人混みにまぎれながらも彼の足は軽やかだ。



 ソウルが騎士見習いになり、ひと月ほど経過していた。副団長であるエリスの側付きとして様々な雑用をこなし、それが終わったあとは彼女と共に鍛錬をする充実した日々を送っている。



 所詮は見習いであるため、いまだ騎士らしいことはしていない。それでも堂々と帯剣たいけんし、ジュデッカを歩いている自分をソウルは誇らしく思っていた。剣を汚れた包装紙で隠し、戦地である辺境にコソコソと出かける傭兵であった頃とはまるで違う。



(オレは騎士だ。この国を、ここに暮らす人々を守る、|真《まこと》の騎士にもうすぐなれるのだ。父上もきっと褒めてくださる)



 時刻通りに騎士舎に着いた。その横にある畑に植えられた色とりどりの花からは水が滴っている。エリスが花の世話を既に終えたという証だ。これは珍しいことだ。彼女はいつもソウルが来てから水遣りを始める。それなりに広い花畑の世話をひとりでするのは大変であるからだ。



 歴史のある廊下を歩き、団長室の扉を開けると執務用のデスクの向こうに茶色い髪をした髭面の武人が座っている。清廉白滅騎士団の団長、マルコ・デュマ・ベルフェゴールだ。彼は報告書を読みつつ、その精悍な顔を歪ませている。



「失礼します。騎士見習い、ソウル・ティカ・ルシフェルが着陣致しました。おはようございます」


「おう、おはよう。ん、んー、この件はおまえが適任かもな。少数精鋭がマストだしな」



 と呟いたマルコの言葉の先を聞こうとしたソウルは団長室の端の方で窓の外をぼんやりと見つめている上司に気がついた。エリス・ウィル・ジャッカロープ。朱色あけいろのドレススカートの上に磨き抜かれた漆黒の軽鎧を身に付けているいつもの格好であった。不機嫌そうな顔付きにくすんだ銀髪がよく映えている。



「よし、ソウル。おまえに大仕事を任す。去年の夏辺りから各地を荒らし回る盗賊団の討伐だ。本来ならこいつらを放っておかねーはずの挺身黒討ていしんこくとう騎士団の動きが妙に悪い。やきもきしてたんだが、盗賊の一味がジュデッカの孤児院を襲って子供たちを誘拐した。これで、ようやく俺たちにも大義名分が出来たってわけだ」



 コキュートスには3つの騎士団がある。



 首都防衛のための戦力であり、ジュデッカの治安維持を担当する清廉白滅騎士団。その性質上、ジュデッカの外へ行くのは稀である。



 コキュートス全土を縄張りとし、悪人を取り締まる挺身黒討騎士団。この国で通常、“騎士”として民衆に認知されているのは彼らである。ソウルの父と叔父と祖父もここに属しており、カイーナの統治を任されていた。盗賊の退治は彼らの最も得意とする仕事のはずだ。



 そして執行灰燼騎士団。女王アリアの直属の騎士団であり、主な任務は他国との戦争、調略、偵察だ。天国戦争のときのような大規模な戦いの際には他の騎士団に属す者たちも一時的にここの傘下に入る。ソウルも傭兵として執行灰燼騎士団に雇用された身だった。



「コキュートスを賑わせる悪賊の討伐、そして囚われた人質の救出。やつらのアジトは既に割れている。ソウルはエリスの副官として、現地に急行せよ。騎士舎の馬なら、どいつを使っても良い。おまえにとっちゃ、初めての大仕事だ。期待してるぜ」


「は。了解しました。期待に応えられるよう、奮闘致します。必ずや良い成果を持ち帰ってみせましょう」



(これは大任だ。ひとつ行動を誤れば子供が殺されるかもしれない。盗賊をひとりでも逃がせば失敗のようなものだ。しくじれない。だが、オレはやってみせる。エリスさんや他の騎士の方の手足となって正義を成すのだ)



♦︎♦︎♦︎


「え!? ふ、ふたり? オレとエリスさんだけで盗賊退治を……? そんな無茶な」



 しなやかな毛並みの黒い馬に乗ったところでソウルはエリスにとんでもないことを聞かされた。



(小規模な盗賊なのだろうか? しかし、マルコはこれを大仕事だと言っていたぞ)



「盗賊は何人くらいいるのでしょう」


「100人は超えている。報告書によれば、すべての構成員が上質な金属から造られた武具を装備しているとのことだ」


「……では、何故ふたりで? もっと多くの騎士を動員すべきなのではないでしょうか」


「足手纏いは不要だ。それに団長は早期解決を望まれている。騎士を10人20人とゾロゾロ連れ歩いたのでは賊に気取られるだろう」



 エリスは颯爽と白馬を走らせる。ソウルを置いていかんばかりのスピードで。慌てて手綱を操るが、彼の馬術では追いつくのが精一杯であった。とても会話など出来やしない。



 そもそも没落した貴族のソウルは満足な馬術など収めていない。清廉白滅騎士団に来てからその技術を教わった。教師役を務めていたのはエリスなので彼の腕前は熟知しているはずだ。質問に応えているようでどこかピントが外れているような返答はソウルに疑念を抱かせる。



(どういうつもりなのだ、この御仁は。見習い騎士であるオレに副団長のエリスさんの横に立つほどの実力があるとでも? いや、これはオレを認めてくださっているということなのだろうか? 深く考える意味は無いのかもしれぬ)



 ジュデッカを抜けてカイーナとは反対方向の郊外の町、トロメーアにやって来た。大きな川沿いに存在し、漁業が盛んなことで知られている。外から来た者は税を払う必要が無いという観光客に優しい町だ。規模は小さくとも、それなりに人で溢れ、賑やかなはずだ。それなのに。



「なんだこれは……」



 焼け焦げた店。道端に放り出された魚。破壊された荷車。生気を失ったかのように座り込む物乞い同然の姿をした人々。トロメーアのシンボルであるマカバイの古塔の上には毒々しい蜥蜴が描かれた旗が踊っている。



「……ここまでの事態になっているというのに挺身黒討騎士団は何をしている? やはり、あの天ツ国あまつくにかぶれは三大貴族の恥晒しだな……」



 エリスの平坦な声が静かな町に響く。するとその声で初めてこちらに気が付いたように人々がじっと見つめてくる。帯剣をした綺麗な身なりの人間が馬に乗っている、その姿はまさしく。



「騎士さまだ……。騎士さまが助けに来てくださった!」



 ボロ切れのような服を着ている男が縋り付くように近付いた。エリスは馬上から彼に話しかける。熱が篭っているような声で先ほどの呟きとはまるで声色が異なる。



「私たちは清廉白滅騎士団である。悪賊が跋扈ばっこしているという情報を聞きつけやって来た。その者、何があったか申せ」



 その言葉に周囲の人々も感謝したように神へ祈る文句を口にする。男もまた涙を浮かべ、喋り出す。



「ふた月ほど前のことでございます。ここを長年治めてくださったデカラビア公が病でお亡くなりに。新しい領主さまが来てくださるという話だったのですが、代わりに来たのが蜥蜴団なる盗賊でして。やつらは我らから金や商品を奪う。抵抗した女は犯され、男は殺される。しかも、我らの子供をすべて連れ去ってしまったのです! 近くの騎士さまに陳述しに行った者たちもことごとく帰ってこない。お願いいたします、騎士さま。我らをどうかお助けに」



「分かった。清廉白滅騎士団が必ず、蜥蜴団なる悪を誅殺する。ひとつだけ頼みがある。今回はあまり兵力を連れて来ていないのでな。救い出した人質はいったんこの町で保護してくれ」


「ありがとうございます……! あ、いや、しかし、騎士さまはおふたり、だけでしょうか? 蜥蜴団は150人を超える荒くれ者の集まりですぞ。しかも、そちらの方は」



 と男はソウルを訝しげに見つめる。今のソウルは立派な鎧など身に付けていない。鎖帷子くさりかたびらを着込み、帯剣をしているものの、見た目はそこらの町人と変わりはしない。エリスの美しさと比べ、そのみすぼらしさにソウルは恥ずかしさを覚えた。だが、エリスは自慢げに言い切る。



「問題無い。この者は天国戦争で活躍した英雄。“魔光の騎士”、ルシフェル卿だ。そこらの荒くれ者などまるで相手にならない。そして、私は三大貴族が一角、“花炎の騎士”、ジャッカロープ。我らふたりで騎士200人の働きをすると約束しよう」



 炎の如き灼瞳しゃくどうと舞い上がる灰の如き銀髪の美しき麗人がそんなことを言うのだ。その威容に人々は「おお」「ありがたや」と拝み始めるほどであった。そして、ソウルもまた、人目が無ければ泣き出してしまいそうになるくらい嬉しかった。



(間違いなくエリスさんはオレを認めてくださっている! ここまで言われて盗賊の100や200に怖気付くなど騎士の名折れだ)



 ふたりはトロメーアの近くにある廃棄された砦が見える位置まで来た辺りで馬から降りた。閑散とした町とは対照的に盗賊どもは騒ぎ散らしているようだ。酒宴でも開いているのかもしれぬ。



「賊どもを正面から叩く。私がまず、向こうに姿を見せ、炎で攻撃する。最初は自分たちの数に慢心してろくに対処などしないだろう。だが、劣勢になれば、向こうは必ず卑劣な手を取るに違いない」


「人質を盾にする、とかですか」


「その通り。今回の任務では盗賊の殲滅だけではなく、攫われた子供たちも救出しなくてはならない。彼らが傷つく事態は避けたい。そこで貴公の出番だ。私が向こうの目を引きつけているうちに砦の陰に隠れて接近せよ。人質を発見し、守れ。ここで貴公は無理をする必要は無い。あとは貴公らを避けて私が砦の中を炎で埋め尽くせば良いだけだ」


「人質が分散している場合はどうしますか」


「その場のモノを略奪しているのとは訳が違う。おそらく、盗賊どもにとって子供たちは商品だ。逃げ出す可能性のある商品は同じところで管理した方が合理的だろう」



 人身売買。盗賊の所業に怒りを隠せないソウルであったが、冷静にならなければ作戦は成功しない。感情を呑み込み、エリスの顔を見る。



「分かりました。子供たちを発見したら、オレは空に向かって光を放ちます。それを合図としましょう」


「了解。頼むぞ、“魔光の騎士”」


「はい!」



♦︎♦︎♦︎


 砦の正面。大きな木製の扉が一瞬で焼き尽くされ、盗賊たちが目を丸くする。灰と共に現れたのは流麗な細剣を構える美女。鎧こそ身に付けているものの、その華美な服装に仲間が買った娼婦かと勘違いする者までいた。



 そこらの建物の三階ほどの高さがある壁に剣を突き刺し、ソウルはそこを昇ってゆく。陰になって盗賊たちからは見えない。だが、壁を乗り越え、そこを降りていくとなると見えてしまう恐れがあった。エリスは悠然と前へ進む。



「我こそは清廉白滅騎士団副団長のエリス・ウィル・ジャッカロープである!! 悪賊どもよ、この劫火に呑まれ消え去るが良い!」



 炎劫華えんごうか。巨大な炎の塊が発せられ、物珍しそうな目を向けて来た盗賊たちを灰燼に帰す。悲鳴と共にガチャガチャと武器を取る音が響いた。彼らが手元に目を向ける瞬間でもあり、その注意は炎に向いている。


 ソウルは勢いよく壁を乗り越え、砦の中に入る。が、その中はかなり広い。子供を探すのは骨が折れそうだ。



「所詮は女がひとりだ! 囲んで殺せ!」



 誰もソウルの接近には気付いていない。ソウルは魔力を地面に薄く伸ばした。



 盗賊たちの中で水の魔力を持つ者たちが炎を消さんとする。ジャッカロープ家の血を受け継ぐエリスの大炎を掻き消すほどの威力は出ないが、それでも勢いを減衰させる程度の効果は出た。すると、エリスは炎を凝縮し、自らの剣に纏わせる。細剣を振るうと炎の鞭が空を走り、前に出ていた盗賊たちを薙ぎ払ってゆく。炎篇枝えんへんし



 ソウルは盗賊に見つからないように場所を移動しつつ耳を潜める。



 ところで、コキュートスには五大属性と冠せられる魔術のカテゴリが存在する。炎・水・風・雷・土。魔力はすべての人間に流れているが、その強さは才能に依るところが大きい。尊き血を受け継ぐ貴族出身であっても、エリスのように強大な力を持っている者は稀である。



 そして、ソウルは五大属性から外れた光の魔力を有している。その能力は他者の魔力を打ち消す破魔の力、光を肉体に流し身体能力や回復力を上げる治癒の力、物理的に光を生み出す光熱の力。これらを使うことが出来る。



 地面に光を薄く伸ばして他者の魔力を感知する。これは破魔の力の応用であった。また、身体能力……ここでは聴力を向上させ、子供の声あるいは鎖に繋がれているような音。それを探しているのだ。



 けして万能の力ではない。戦闘音が轟き、多くの魔力が飛び交う戦場で、それらを掻き分けて特定の者たちを探すのは容易なことではない。だが、ソウルは諦めない。自分が一度“出来る”と認めたのだ。上司に導かれ、頼られた。盗賊の被害に遭った人々の無念を晴らさねばならない。功績を立てて、騎士にならねばならない。



(そうでなければ……オレは誉れあるルシフェル家の看板に泥を塗ることになるのだ)



 瞬間。それは訪れた。破魔の力が何かを捉えた。聴力を集中し、ソウルは確かに子供の声を聞いた。そこへ全速力で駆け抜ける。壁を砕いて窓を壊して扉を蹴破り、一直線に走り抜ける。ひときわ分厚い壁を光熱の剣で斬り裂くと広めの空間に出た。そこには子供たちがおり、予想通り鎖に繋がれて一様に不安そうな目をしていた。



「っ! なんだテメェ!?」



 当然、ここを守っていた盗賊たちが5人がいたが、エリスが言ったようにソウルにとっては物の数ではなかった。そのあまりの歯応えの無さに彼は罠を警戒したほどであった。



 清廉白滅騎士団へ入る前から、ソウルは歴戦のつわものだ。傭兵として長らく戦争を友としてきた。彼が自負を失ったのはひとえに、騎士になってからの鍛錬の相手がマルコやエリスのようなコキュートスでも上澄みの部類であったからに他ならない。



「お、おにいちゃん、だれ?」



 繋がれた子供たちはおよそ40人。その中でも年長だと思われる少年がソウルに話しかけて来た。ソウルは子供と触れ合った経験は無い。だが、今の彼には誇らしい名前があった。



「オレは清廉白滅騎士団に属す“魔光の騎士”、ソウル・ティカ・ルシフェルだ。きみたちを助けに来た」



 子供たちが歓声を上げる。すぐさま鎖を断ち切ってやりたいが、ここはエリスへの合図を優先させるべきであった。



 天剣。光をやじりとし、剣先から高熱を放つ技だ。天井を軽々と貫いた光は空に瞬く。エリスのアドバイスで技に名前を付けたばかりだ。名前があれば、それはひとつの型になる。名前を込めたモノには魔力が宿る……というのは俗信だが、ソウルは確かにその力を感じていた。



「わ、わぁっー!! に、逃げ……」



 盗賊たちの阿鼻叫喚が聞こえて来たが、圧倒的な炎の奔流が彼らを包み込み、一瞬のうちに蒸発させていた。念のために子供たちを庇うようにソウルは立っていたが、その必要は無かった。あまりの熱に耐え切れず、壁は溶けてしまったが、その中にいる者は熱さを感じる暇も無かった。



 砦のほとんどは焦げて灰となるばかり。燃え立つ地面の炎を抑え、エリスはスカートの裾を持ち上げながらソウルたちの元へ歩いて来た。その姿は優雅の一言。



(なんというお方だ。確かにこれほどの火力と精度があれば、供を連れる必要など無い)



 戦場でもお目にかかったことが無いほどの隔絶した力がそこにはあった。エリスは銀髪を悠然と揺らしながら歩を進める。子供たちを見てと目を細めた彼女はソウルの頭に手を伸ばした。



「よくやった。さすがはルシフェル家の騎士。貴公の活躍で彼らの命は繋がれた。誇りに思うがいい。その武名は先代にも恥じぬであろう」



 彼女はソウルの頭を撫でる。そして、子供たちに優しく笑いかけた。その表情を見てソウルは衝撃を受ける。伏せられた赤い瞳と燻んだ銀髪と整った顔立ちには笑顔がよく似合う。



(エリスさんが笑っているところを初めて見た。まるで女神の如き美しさ……)



 ソウルの胸にはこれまで訪れたことのないような温かさがあった。騎士としての誉れ。それだけではない。エリスにかけられた言葉が浮かぶ。彼は悪しき盗賊たちから、幼い命を救った。



(父上、オレは|真《まこと》の騎士になれたのでしょうか)



 騎士見習いが、己の正義を成し、“魔光の騎士”と謳われる伝説がここに始まったのである。




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