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第1話 赤い深淵に神気を見出し……

 獄紀ごくき772年。コキュートスの秋に木枯らしが吹く。朝の冷たさに震えを押し殺しながら、ソウルは力強く剣を振るっていた。



 体を動かせば腹が減る。普段の彼であれば、ひもじい思いに駆られながら1日を耐え忍ぶだろう。しかし、ソウルには昨日得たばかりの金がある。料理人を雇うほどの散財は控えねばならないが、街へ行けば美味いものを食えるだろう。鍛錬のあとに褒美があると分かっているときの嬉しさたるや。



 汗を拭き、街へ行くための軽装に着替える。念のために剣を持って行きたいところはやまやまなのだが、騎士ではない者が街へ武器を持っていくとそれだけで厳罰の対象となる。



 ここはコキュートスの首都ジュデッカから程よく離れた郊外にあたる街、名をカイーナという。街には昼間から営業している飲食店が立ち並ぶ。ソウルは下戸だ。コキュートスでは16歳で成人となるのが決まりであり、試しに酒を飲んだこともあったのだが、二日酔いの辛さは筆舌に尽くし難いものだった。



 ソウルは気に入った店に入り、サイダーとチキンライスと川海老のサラダを頼んだ。米を食うのも久々である。テーブル席でゆっくり食事を摂る彼の耳に気になる情報が飛び込んできた。



「なぁ、知ってるか? 清廉白滅せいれんはくめつ騎士団が見習いを募集してるってよ。見習いでありながら、給金まで貰えるんだぜ」


「へぇ! そりゃあいいな。見習いってことはいずれは平民のおいらでも騎士に取り立ててくれるってことだよな!?」


「それに、コキュートスが戦乱に巻き込まれるような事態にはしばらくならない。命を賭けて戦うなんていうおっかない真似はしなくて済む。しかも、1日3食ついてて使用人までくれるらしい」



 普段のソウルならばあり得ないと切って捨てるところだ。だが、その魅力的な求人情報に聞き入ってしまった。清廉白滅騎士団はジュデッカを中心に活動している。仕事を終えたあと屋敷に戻ることが可能だし、使用人までくれるというのならば、屋敷の手入れも出来るはずだ。



 ダメで元々。急いで家に帰り、剣を腰に差す。士官の身とあれば、誤魔化しも効くだろう。



 清廉白滅騎士団の本部までやって来た。



 まず、ソウルの目に入ったのは丁寧に世話された色とりどりの花が花壇で咲き誇る様子であった。そばには錆び切った銀髪を肩までに揃えている美女がぼんやりと佇んでいた。彼女はそこらの男よりも身長は高いかもしれぬ。光でも背負っているかのような神々しさであった。



 彼女はこちらをチラリと見たが、ムスッとした顔を崩さない。その表情さからは正しく神気しんきが漏れ出ているような気迫があった。



 ソウルは美しい彼女を気にしつつも建物の扉を開いた。案内に従ってひときわ際立った防御の高さを誇る部屋を抜けると茶髪の武人が無骨な椅子に座っていた。顎髭が特徴の彼を見た途端、教本で覚えた礼儀作法などすぐ忘れ、立ち上がっていた。



「マルコ!?」


「あん? おまえはまさか、ソウルか!? これはこれは珍しい客人だ!」



 顎髭の武人はマルコ・デュマ・ベルフェゴール。剣術・槍術・弓術・馬術・魔術、いずれを取ってもコキュートス最強と謳われる騎士である。



 歳の離れた彼らではあったが、3年前に起きたヘルヘイム侵攻で互いに背中を預け合ってなんとか生き残ることが出来た。その彼が騎士団の団長にまで出世していたとは意外であった。



「なるほど。この好条件の士官に飛びついて来たってわけか。確かにここらでひとつ騎士になれば、傭兵よりかは安定した生活は送れるわな。よし。ソウル、おまえの騎士見習いの件は受諾しておこう。さっそく今日から仕事をしてもらうぞ」


「どんな仕事をするんだ?」


「野良魔浄兵の討伐だとか、犯罪者の確保だとか、イベントの警護なんかもするな。しばらくは副団長に付いて仕事のやり方を学べ。本来ならばここでどれくらい戦えるか試験も行うのだが、おまえには無意味だろう。そこは免除しておく」


「ありがたい」



 ソウルは強い。だが、昨日の怪我が少し後を引いているのは確かだ。騎士団にありがちな試験と言えば、騎士同士の一騎打ちだろう。負けた場合に採用されることはあまり無い。敗北を喫するなどとは微塵も考えていなかったソウルではあるが、自身を贔屓してくれたマルコには感謝の念が尽きなかった。



「なあに、気にするなよ。激戦だった天国戦争を僅かの傷で突破したやつがただの傭兵でいるのは勿体無い。よその騎士団に取られる前に優れた人材は確保しておかねーとな」



 マルコは顎髭をさすりながらにこやかに笑う。3年前のときよりも更に将器が増しているのを感じ、ソウルは胸の高鳴りを抑えられない。これからは最高の上官のもとで戦えるのだ。見習いから騎士へと昇格するのもけして夢物語ではないと、マルコの態度から窺える。



(オレは幸せ者だ。生きていて良かった)



「よし、じゃあさっそく任に就いてもらおーか。騎士舎の近くに花壇があっただろ。副団長はそこで花の世話をしているはずだ。見習いが来ることは話してあるから、そこへ行って指示を仰げ」


「了解致しました」



 騎士の礼を取り、退室する。よく見れば、廊下には多くの花が飾られており、華やかな印象だ。これも副団長が世話をしているのだろうか。



(もしかしなくとも、副団長とは花壇にいたあの美女か。首都を守る清廉白滅騎士団の第二席がお飾りであるはずはない。しかし、マルコに匹敵するほどの武術を収めているようには見えなかった。となると、魔術を得意とするのか)



 コキュートスでは騎士と言えば男であるのが普通だ。女は絶対的な筋肉量が男と比べれば落ちるのは当然として、月の障りによって体調が変化しやすいのはデメリットに変じる場合の方が多い。



 けれど、だからと言って女騎士が存在しないわけではない。高い魔力を有していれば、その程度のデメリットはお釣りになるような、そんな例もある。炎・水・風・雷・土を基本とする魔力による攻撃あるいは支援は戦場では当たり前のように飛び交う。



 力さえあれば、男であろうと女であろうと平等に評価される。それがコキュートスの気風であった。もっとも。



(それが“貴族”であるならば……だが)



 扉を開けたすぐ先に彼女はいた。朱色あけいろのドレススカートの上から漆黒の軽鎧を身に付けている美女。華美であることを意識したような装いに目が惹かれる。ジョウロを片手に持っているが、その腰にはレイピアが差してある。鞘の造りはシンプル。けれど、名剣であることが窺えた。



「失礼します。本日を以て騎士見習いとなりました、ソウル・ティカ・ルシフェルと申します。マルコ団長より、あなたの麾下きかに入るよう命じられました。よろしくお願い致します」



 そこで初めて彼女がこちらを振り返る。しかし、その目線は伏せられている。血潮の如き赤い瞳には何か凄みのようなものがあり、もし真っ直ぐソウルを射抜いていれば、気圧されていたかもしれぬ。揺れる銀髪にその瞳はよく映えていた。



「分かった。……私はエリス・ウィル・ジャッカロープ。清廉白滅騎士団の副団長だ」



 その名乗りにソウルは驚かざるを得ない。ジャッカロープ家はコキュートスの三大貴族の一角である。建国神話の中にも名を残し、その初代当主の顔は硬貨にも刻まれている。ここに比べれば歴史あるルシフェル家ですら新参扱いされるだろう。



 エリスは無表情を崩さない。その態度は堂々としている、と言って良いものかどうかはソウルには判断がつかなかった。ぼーっとしているようにも映るのである。しかし。



「ルシフェル家……魔氷まひょうに呑まれた悲劇的な一族。なるほど。貴公は傭兵堕ちしたというそこの子だな」



 知られている。ぼんやりした表情に気を取られていたソウルは平静を装いつつ油断していた気持ちを引き締め、「そうです」と短く答える。



「一族が滅びれば、もはや名誉に拘る理由も無い。それなのに貴公はなぜ清廉白滅騎士団へ来た? その剣は何のために振るう?」


「……ルシフェル家を再興するためです。我らが一族はまだ滅びていない。氷より破魔の光が漏れている。つまり、氷を溶かせば彼らは蘇生するのです。その希望がある限り、オレは諦めたくはない」


「ほう。確かにそれは騎士が進む道。貴公なりの“正義”ということか。私も応援しよう」



 赤い袖に包まれたエリスの手が真っ直ぐ伸ばされ、ソウルの頭を撫でる。まるで慈母が幼子を褒めるときのような。彼女の言葉からは嘲りは感じられなかった。本心から出たものだと分かり、何やら複雑な感情に襲われる。



(……三大貴族の出身でありながら、何とも掴みどころの無い方だな。貴族らしくない)



 しかし、ソウルは悪い気はしなかった。自らの行いを肯定してくれたのは素直に嬉しく、その相手が絶世の美女であればなおさらだ。エリスは手を引っ込め、眠たげな顔で、ソウルを見据える。



「私がこの世で最も重視するのは“正義”。騎士はかくあるべし。コキュートスの法とそれらを執行する貴族の血。私が剣を振るうのはそのため。貴公が覚えておくか否かは自由だが」


「は。覚えておきます」


「では、まずは向こうにある井戸から水を運べ。花の世話は私の趣味ではあるけれど、貴公は見習いなのだから、従うべきだ」


「はぁ……。何故、花を?」


「これは私の“正義”の証。罪をただしたとき、魔浄兵を殺したとき。それは私の理想の世界に一歩近付いたという証拠。ひとつ善行を果たすたびに花を植えている」


「それは……とても素敵ですね」



 ソウルの率直な言葉にエリスは無感情に頷いた。その日、ソウルは騎士らしい仕事にありつくことは無かった。水を運び、土を平らにし、種を選別する。騎士舎に戻ったあとは大量の書類に囲まれて事務作業を行なった。しかし、体は充実感に溢れていた。



 給金は月払いということなので即座に金が手に入るわけではないが、天国戦争で稼いだぶんがまだまだあるのでその貯蓄で暮らしてゆける。しかも、情報通り、昼と夜は食堂でタダで食事を取ることが出来た。塩気の効いた鹿肉は非常に美味であった。



♦︎♦︎♦︎


 カイーナの自宅に帰り、ひと息ついた頃、玄関の鈴が鳴る。その珍しい現象に驚きつつ客人を出迎える。黒髪を後ろで括っているエプロン姿の少女だった。走ってきたのだろうか? 彼女の額には汗が滲んでいる。



「……初めまして、旦那さま。わたしはレイチェル・アンドロマリウスと申しますわ。清廉白滅騎士団より、旦那さまの身の回りの支度を担当させていただきます。以後、よろしくお願い致します」



(忘れていた。使用人が付くという話だったな。しかし、女か。男であれば適当に扱ってやればそれで良かったのだが)



「初めまして。ソウル・ティカ・ルシフェルだ。きみに頼みたいことはこの屋敷の掃除だ。見ての通り、荒れ果てている。広間と武器庫、ここに近付かなければ何をしても構わない。今日のところは自室の確保をせよ。客間であれば、どこを使ってもいい」



「承知致しました」



 ニコと笑う彼女の仕草に思わず自分の顔が赤くなっていないだろうか、威厳を保てているだろうか、と心配になるソウルなのであった。



(……オレはこんなにも女に弱かったのか)



 娼婦を抱いたことはある。だが、あれも所詮は金のやり取りの生じる仲に過ぎない。本当の意味で恋愛など、したことがない。



 脳裏に浮かぶのはかつて栄華を誇っていたルシフェル家で仲良く遊ぶ仲であった使用人の娘。それが初恋だったように思う。しかし、没落したあとは一度も会っていない。見習い騎士が所帯を持つわけにはいかないが、もし騎士となれたのなら、彼女を探してみても良いかと思う。



 ヴィヴィアン・バフォメット。年の割に低い背丈に淡い金の髪を流し、青空のように澄み切った蒼の瞳。元気いっぱいに毎日外で遊んでいるというのに焼けない白い肌。何よりその聡明さが強く印象に残っている。



 ふと、それにエリスの顔が加わった。不思議な雰囲気があり、何とも言えない魅力が確かに彼女にはあった。頭を撫でられたせいでもある。けれど、彼女は三大貴族出身だ。もし、何か彼女に対して愛を募らせていくような出来事があったとしても、高嶺の花である。



 ソウルはやがて目を閉じ、眠りの中に落ちていった。彼にとっては久しぶりである熟睡であった。




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