その日、街は大騒ぎだった。
報せは数日前に届いていて、女将さんたちが御馳走の準備を始めた。
ルビノはまだ十にもならない頃のことだ。これから何が起きるのかを、かもめ亭の主人からも店番をしている雑貨屋の客からも耳にタコができるほど繰り返し聞いたので、当日は大騒ぎになるだろうなと冷静に思った。
そして想像した通りになった。
巨大な荷車と冒険者たちの一団が門を潜った瞬間、人々の歓声が弾けた。その声は街のあちこちに広がり響き渡る。
野次馬が門の近くに押し寄せて、荷車も帰ってきた冒険者たちももみくちゃになり、なかなか入れない。
「こりゃ、今日は商売にならんな」
そう言って雑貨屋の主が屋台を畳み始めたので、ルビノは自分も門のほうに行ってみることにした。
ギルド街を抜けて行くと、人垣で全く前が見えないありさまだった。
ギルドの職員たちが総がかりで整理と誘導に当たっているのに、荷車は街の端っこで立ち往生している。子どもではその向こうをうかがうこともできなかった。
もしメルが帰って来ていたとしても、子どもの身長しかないメルも、この雑踏を抜けるのは難しいだろう。
ルビノは少し離れたところの裏路地に入り、登れそうなところを探した。
メルならばどんな断崖絶壁でも登ってしまうが、まだ幼いルビノにはそうもいかない。ようやくガラクタが積まれたところから窓の桟を伝い、屋根に上がれそうなところを見つけた。
屋根に上がると騒ぎの中心がよく見えた。
喝采を受ける冒険者たちの姿や荷車に乗せられたものも……。
荷車には大きな竜の首がひとつ置かれていた。
瞼を閉じ、ぴくりとも動かない。真っ白な鱗は汚れ、血の腐ったようなにおいが屋根の上まで届いた。
強大な力をもつ竜は《天の守護者》だと言われている。だからこそ竜殺しは冒険者の名誉のひとつ、成功が約束される。
ルビノと同じくらいの年かさの子どもたちが、戦士カルヴスの周りにまとわりついて、有名な戦斧に触ろうとしている。
首だけになってしまった竜のことを恐ろしいとは思わないが、しかし実物をみてしまうと話に聞いていた印象とはちがう。
ルビノは雑踏から目を離し、メルの姿がないかと姿を探した。
メルはしばらく仕事に出かけていた。ルビノは連れて行ってもらえず、三日と言っていたのが七日に伸びていたのだが、そろそろ街に戻って来る気がした。
なんとなく、というだけの話だが……。
しかし確かにその姿があった。
教会の尖塔の上だった。
ルビノは手を振ろうとして、やめた。
メルは珍しく街へと帰ってきたばかりの冒険者たちと同じ汚れた身なりをして荷車をじっと見つめている。
その表情はどこか悲しげで英雄の誕生を喜んでいる街の人たちとは対照的だ。
何を考えているのだろう?
メルはこの街を愛しているし、そこに住んでいる冒険者たちのことも同じように好いている。でも、ときどきこの街の他の誰ともちがうものを見、ちがうことを考えている様子がある。
それは何でなのだろう?
ルビノの眼差しの先でメルが身じろぎをする。
首元まで閉じた長外套の一番上のボタンを外す。すると、そこに抱えこまれた小さな生き物が新鮮な空気を求めるように勢いよく首を出した。
それは体全体が白い鱗で覆われ、首は長く背中には小さな翼が生えていた。
そんなはずはあるまい、と目をごしごしとこする。
けれど、メルの胸元から顔をのぞかせた不思議な生き物は消えないし、それは幼い竜のようにみえる。
子竜はこちらに向かっていっぱいに首をのばすと、小さく鳴いた。
雑踏のうるささで聞こえないはずなのに、甲高い寂しい音が天に響いた。
そんな気がする。