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第90話 ミリヤの手紙



『フロウ家の皆様、お変わりなくお過ごしでしょうか。

 いまごろ辺境にトばされたお間抜けミリヤのことを鼻で笑っているのでしょうね。

 しかし高みの見物を決め込んでいられるのは今のうちです。

 我らが拠点、飼育者ギルドは冒険者に受け入れられ、借入金も返済し収入もバンバン増えて軌道に乗ったのです! 今に見ておれ、生意気な長兄。その鼻につく傲慢さに飽きられて新妻に逃げられてしまうがいいわ。』





 ――そこまで書いて、飼育者ギルド所属の飼育員、ミリヤは唇を尖らせた。


 作業着のまま実家に送る手紙を書こうと筆をとったはいいが、手紙を書いては破り、破っては書いての繰り返しである。

 飼育者テイマーズギルドの事務室は静かだった。

 受付にはため息を吐くミリヤだけ――なら、まだよかったのだが。


「ねえちょっとぉ、ロジエ坊ちゃんいるんでしょ、出しなさいよ」


 華やかな衣装の若い娘ふたりが受付カウンターに身を乗り出す。


「お生憎さま。ロジエさんは今いません」


 ミリヤはきっぱりと言い放つ。

 ふたりは客である冒険者たちとはちがう。彼女たちはギルドの登録証も持っていない、ただロジエと仲がいいだけの娼館の娘たちだ。

 折しも、今日は女神教会が定めるところの《恋人の日》だった。

 その名の通り恋人たちが贈り物をしあう日とされていて、街では花束が飛ぶように売れた。ふたりの娘もロジエに贈り物を包んで持って来たらしい。

 邪険にしているわけではないのだが、恋人の日にもらった贈り物は《翌月に倍返しにしなければならない》という暗黙のルールがあり、ギルドを立ち上げたばかりで手元不如意のロジエには厳しい行事だった。


 最近は冒険者たちもギルドに登録し、よく利用してくれるようになった。

 主な活動は馬の貸出だ。長距離を移動するための足は、今までは自分たちで貸主をみつけ、大金を払い調達しなければいけないものだった。それを飼育者ギルドが用意することで安価に借りることができる。日頃の世話はミリヤたちの仕事だから手間もかからない、というわけだ。


 だがミリヤもロジエも、ギルドの立ち上げのために借りた金を完済するには至っていない。


 問題はほかにもある。いずれ魔物との戦闘もこなせる飛竜なんかも貸し出したいという希望があるのだが、いかんせん冒険者側に知識がない。馬に乗れる者ですら珍しいありさまだ。このあたりは根気強い教育と普及活動が必要だろう。

 やることは山積みで、ほかのことには構っていられるヒマがなかった。


「ねえ、もういいじゃない。ここ獣くさいし、もう行こう」

「いじわるなおばさんね!」


 ふたりは贈り物をカウンターに押し付けて行ってしまった。

 添えてあるカードには、《日頃のお礼。お返しはいらないわ!》という文句と、口紅のあとがついていた。


「……なんだ、それなら足止めしとく必要なんかなかったんじゃない」


 自分の狭量さに嫌気がさしつつ、ミリヤは再び便せんに向かいあう。

 投げやりかつ、嘘が山盛りで家族に対していい格好がしたい自分が丸出しの一枚目を破り捨てる。

 少し考えた後、筆が走る音が聞こえた。



*



 フロウ家の皆様、いかがお過ごしでしょうか。

 オリヴィニスでの騒ぎのこと、少しは噂でお聞きになったかと思います。

 王都でどんな尾ひれがついたかはわかりませんが、心配性の皆様が考えているほどのことはありません。ミリヤはこちらで元気に過ごしています。


 ギルド代表(仮)のロジエさんが世間を騒がせている夜魔術師の事件に巻き込まれるという不幸はありましたが、それも一月後には解決いたしました。あの事件では多数の若者が悲惨な末路を迎えたそうですが、幸いなことにオリヴィニスに帰ってきたロジエさんは傷ひとつありませんでした。恐ろしい夜魔術師の結社で目覚めた彼ですが、そばには美しい天馬がおり、片時も離れることはなかったのだそうです。

 きっと悪しき魂から主を守ってくれていたのでしょう。

 その節はフロウ家の皆様にも尽力を頂き、誠にありがとうございました。

 この御恩はギルドが軌道に乗った暁に、然るべき手段で返させて頂きたく存じます。


 本題であるギルドの運営はようやく体裁が整ってきたところです。

 ミグラテールで学んだ同窓生やクロヌの同士たちが手を貸してくれ、次の春には新しい厩舎を建てる予定です。万事において――金策以外――頼りなかったロジエさんも復帰したてですが仕事を頑張っています。

 もちろん最初は酷いものでした。馬に蹴られる、竜に息吹を吐かれる、踏み潰されそうになる、ちょっとばかり重たいものを運んだなら瞬く間に体力が尽き、高熱を出して倒れる……。



*



 ミリヤは《ハッ》として筆を止める。



 ――なんか、私、ロジエさんのことばかり書いてないか?



 そのことに気がついたのだ。

 もちろん仕事は山積みで、ほぼ一日中ギルドに詰めっぱなしのミリヤには無理矢理オリヴィニスへと連れてきた厄介な同僚のこと以外に書くことが無い。

 だが、何故家族への手紙にこう頻繁に登場させなければならないのか……。


「べつに私があいつのことを意識してるとか、そういうわけではないのに」

「何がですか?」


 独り言に穏やかな声音の返事があり、ミリヤは便せんの一枚目を素早く破り裂いて捨てた。

 あまりにも冷静で迅速な判断力で、手紙は千の破片になってギルドの素朴な木のカウンターの上に舞い散る。


「いえ、少し……研究が煮詰まっていただけです……」


 ロジエは不思議そうに首を傾げながらも、お盆の上のものをカウンターに置いた。

 繊細な白磁のカップには、甘ったるい香りの飲み物が注がれている。

 濃い茶褐色をした、粘性のあるものだ。ミリヤにとっては未知の香りである。


「お疲れのようでしたのでクロヌで流行の甘い飲み物を用意しました。ミリヤさんは王都生まれですから懐かしいかと思いまして……」

「こんなの飲んだことないわ。そういえば……女友だちが流行りのカフェで飲んでたものに似てるけど……」


 お小遣いは全部、本に変えちゃうような少女時代だったから。

 そう言うと、ロジエは何が楽しいのか破顔する。


「わかりますよ。自分と同じですね」

「ええ? あなた、お金があったら、こうやって女の子にプレゼントしたり、街の人にあげちゃうじゃない」


 今でこそ同じ作業着で泥にまみれているものの、クロヌでミリヤの前に現われたロジエは身綺麗で育ちのいい貴族の子弟、といった様子だった。


「これでも学問を志した身でして。ただ実技が悲惨なありさまだったので、大成はしないだろうと小さい頃から自覚はありましたが」


 ミリヤのやる生物学などは《実学》とよばれ、学問といえばもっぱら魔術を指すのが大陸の西の伝統である。師について教えを受けたロジエではあったが、火を出そうとしてトラを出すようなありさまで、師からも「魔術師というより研究対象」と面と向かって言われた過去があるのだった。


 運動音痴で病弱で、手先が不器用。

 何をやってもダメダメの、いいところなしだとロジエは笑う。


 確かに真面目な努力家ではあるが、ミリヤからみても特別に秀でたところのない若者ではあった。

 話の流れで自然と口をつけた正体不明の飲み物は甘ったるく舌に絡んだ。牛の乳で割ってあるらしく、まろやかな口あたりだ。


「……さて、午後からの仕事も頑張らないと。厩舎の掃除に馬たちの手入れと」

「それ、ぜんぶ終わらせておきましたよ」


 ロジエが自慢げに言うのを見て、ミリヤは驚愕する。


「ロジエ……あなた、いつもみたいに熱は出ていないの……?」


 しかしロジエはまじめに首を横に振る。


「飼い葉桶に頭から突っ込んだり、蹴り飛ばされて骨を折ったり、噛みつかれたりもしてないの?」


 彼は飼育員たちの誰よりも飼育動物にナメられているが、怪我をした様子はない。


「みんな大人しくて言うことをよくきいてくれたから、すんなり仕事が済んじゃったんですよ。むしろいつもより好意的というか、甘えられてる様子さえありましたね。ようやく慣れてくれたんですかね」


 ――ウソだ。何か仕掛けがあるはず。


 一日や二日でそんな変化が現れるはずがない。

 ミリヤは本日の飼育動物の貸し出し表に目をやった。

 今日はたまたま依頼が重なったのか、比較的いつもより多くの馬たちが厩舎を離れている。それをじっと眺めるミリヤは、とうとう、残っている馬たちに共通点をみつけた。


 ――――メスだ……。


 何の因果かわからないが、全部がメスなのである。

 ミリヤの視線はなんとなく、さっきの女の子たちが押し付けていった贈り物に引きつけられる。

 そういえばメルメル師匠がロジエに贈った天馬も、メスであった。

 もしかしてロジエの特技は……。

 思考はある一点に帰結していく。


「そろそろ仕事にもどりましょう。他にもやることはあるのだから」


 ミリヤがロジエに投げかける目線はなぜか冷め切っている。


「飲み物はお口にあいましたか?」

「そうね、私にはちょっと砂糖が多すぎるわ……」


 贈り物は二人の仲は深まるどころか警戒心をより一層高めたようだ。

 開け放した窓から入った風が、手紙の破片を散らしていく。

 便せんの次の頁に何が書かれるのかは、ギルドの先行きと同じく、未知であった。

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