オレンジ色をした焚火のあかりがそばかす顔を照らしている。
頬のあたりにまだあどけなさを残した十六歳の冒険者は、くたびれた体を持てあましていた。時折うつらうつらと舟を漕ぎながら、風の音に目覚めては火の勢いを調整する、その繰り返し。
いかにも退屈な仕事だった。
ここからならオリヴィニスは一日の距離だ。故郷の近さが、仕事の張りつめた緊張を緩ませていた。
森は影絵のようで、光は天の星のみ。
同行した仲間たちふたりは毛布に包まって深く寝入っていて、いびきが聞こえてくる。
なんとなく空腹を覚える夜だった。持ち込んだ干し肉を煮込んで柔らかくした夕飯に文句はないが――いや、彼には多少なりと文句があった。
というのも、どうやら仲間たちの中で彼は一番下っ端だと思われている節があるのだ。見張りの時間はやたらと長いし、食事の調理をするのは自分ひとりなのに分け前は一番少ない。
今回の仕事仲間ははじめて組んだ。
オリヴィニスでは中堅どころ、といったランクの冒険者たちだ。
しかし普段組んでいるメルや戦士カルヴスたちとは毛色がひと色もふた色もちがう……。
もしもこれが戦士カルヴスだったなら、パーティ内の物事は公平さの秤にかけて決定したはずだ。限られた食事は仕事を多くしたものに与えただろう。メルならば、より体力のないもの、若年のものに分配した。
彼らのような者たちは先輩、後輩というものを気にしたりしない。入れ替わりが激しい業界だし、いくら先輩風を吹かせたところで力量が伴わなければ馬鹿にされるだけだ。要するに実力至上主義の世界なのだ。
ルビノはここまで不満ひとつ口にしなかったが、なんとなく心に引っかかったものが取れないでいた。
と、そこまで考えたところで、若者は自分の思考に眉をひそめた。
ほんの一瞬、そこに傲慢さの影がよぎったような気がした。それに、なんだか食い意地が張りすぎているような気がしないでもない。
気を取り直して見張りを続けようと思い直したところで、視界の端にキラリと輝く光が見えた。
向かいの山の中腹あたり……。光はチカチカと規則的に瞬く。
それが何を示すかに思い至り、ルビノは飛び起きた。
それは救難信号だった。
《病人》
《四人》
《救援求む》
近づいてこないのは、こちらの素性をうかがっているからだろう。
ルビノはカンテラを手繰りよせ、返事をする。
《すぐに行く》
答えると、返事が瞬く。
《そちらの所属は?》
《冒険者 オリヴィニス》
《こちらも同じく。救援を待つ》
信号のやり取りを終え、荷物からルスタの聖印をひっつかみ、仲間ふたりを叩き起こす。半分眠ったままのような二人を残し、ルビノは合図のあったあたりに急いだ。
*
天幕が張られた野営地で、ギルドの身分証を首から下げた四人の男たちが苦しんでいた。
ルビノを案内したのはまだ彼と似たような背格好の十代の少年で、ほかの四人は皆年かさだった。
「夕食を摂ったあとしばらくして苦しみはじめたんです……」
少年はおどおどしながら言った。
ルビノたちのことは野営をはじめるまえにその姿を捕捉していたというが、警戒して離れた場所に野営地を置いたのだという。
それ自体はわからないでもない。同じ状況なら、ルビノたちも素性の知れない相手にわざわざ近づいたりはしない。
焚火の周りには吐瀉物が散らばったまま。相当苦しんだのか、食事の鍋がひっくり返っていた。
寝床に横たわった男たちの意識は朦朧としており、手足がしびれる様子が見てとれる。症状が出始めた頃はここまでひどくはなく、少年にルビノたちを呼びに行かせる余裕もあったという。
「たぶん、これっすね」
ルビノはひっくり返った鍋の横に束ねられた草を取り上げた。
「それは……確か、リーダーが摘んで来たものです」
「毒草っす。食べられる野草と勘違いしたんでしょう」
「詳しいんですか?」
ルビノは首を横に振った。
「いや。昔、食ったことがあるだけっす」
その脳裏には、苦しむルビノを見つめる師匠、メルの慈母のような笑みが浮かんでいる。
メルはルビノが若輩だからといって飢えさせたことなどただの一度たりとて無いが、修行の一環だと言っては食べられる野草とそれによく似た毒草を摘んで来た。
そしてルビノに選ばせて食べさせるという悪癖があった。
見事、毒草を引き当てたときの苦しみは筆舌に尽くし難い。
「にしても、どうして君だけ無事だったんすか?」
ルビノが訊ねると、少年は「その」と言いよどんだ。
そして消え入るような声音で答えた。
「新入りだから……」
なるほど、と答えを聞いたルビノは頷く。
「どこかで聞いたような話っすね」
よくみると少年は痩せていて、身に着けた防具などの装備も苦しんでいる男たちとくらべると貧相だ。
きっと仲間たちは少年に同じ食事を与えなかったのだろう。
それが何のためだったのかはわからない。少年が何か失敗したせいで、その罰だったのかもしれない。何かの腹いせかもしれない。
結果として少年だけは助かったにしろ、パーティの構成員を公平に扱わないやり方は理解し難いものだ。
ルビノは苦しむ男たちに聖印をかざした。
「《慈悲にお縋りします、女神ルスタよ》……」
助けに来たものの、ルビノは錬金術師でもなければ医師でもないので解毒薬を調合することはできない。
かわりに聖句を口にする。
女神ルスタの奇跡により、男たちの解毒を行うのだ。
メルのように上手くできるか心配だったが聖句を何度か唱えて身体を撫でると、女神の輝きが男の体に宿った。
同じ方法を繰り返し、なんとか四人全員の解毒を行う。
「痺れが残るかもしれないっすけど、三日後には元に戻るはず――」
そう言って振り返ったルビノが見たのは、武器を振りかぶる少年の姿だった。
*****
「――で、その後はどうしたんだ、ルビノの旦那」
焚火を挟んでアトゥのどんよりとした顔とルビノの笑顔が相対する。
「身ぐるみ剥がされて、大怪我して……。師匠に譲って貰った望遠鏡まで盗まれたのは辛かった。やっとのことで野営地まで這い戻った後のことは全く覚えてないっす」
二刀の剣士はなんとも言えない顔である。
アトゥたち暁の星団とルビノが行き合ったのは半分は偶然だった。途中に立ち寄った村でルビノに似た年恰好の若者が山に入ったと聞き、出くわすんじゃないかという予感があったのだ。
暁の星団は仕事帰り、ルビノは旅の途中である。
ルビノの同行者はいつも通りみあたらない。
みみずく亭の主にしてメルの弟子、そしてオリヴィニスでも指折り数えられるほど優秀な冒険者でもあるルビノだが、必要に迫られない限り他人と一緒に行動することをしなかった。
性格や実力に問題があるわけでもなし、一人で達成することによって得られる名誉を追い求めているふうでもない。
いったい何故なのか常々不思議に思っていたアトゥは夜間の見張りついでに訊ねた。返って来た答えが、先程の失敗談だったというわけだ。
「師匠は黙ってなーんにも言わなかったっす。結局、見下してた先輩たちに運ばれて帰った訳ですからね」
心のどこかに驕りがあったのだ、と成長した若者は告げた。
自分よりはるかに優れた冒険者であるカルヴスやメルを間近にして、自分もまた彼らと肩を並べている気になっていた。本当はまだまだ甘えの抜けない駆けだし冒険者でしかないというのに。
そういう自分が嫌でルビノはカルヴスのパーティを抜けた。
ひとりであれば甘えようとて甘える相手がいない。街から一歩踏み出せば頼れるものは自分ひとりきりだ。
「アトゥさんこそ、仲間を増やせば足を引っ張られることもあるでしょう」
水を向けられたアトゥは不服そうに肩を竦めた。
「ヨカテルの爺さんといい、俺のことを勘違いしてるな。野心を満たすだけなら故郷に帰って親父の後を継げばいい話だ」
「そうしないのには理由があると?」
アトゥは重々しく頷く。
「部族の首長なんて退屈なもんだ。人には大勢囲まれるしそれなりの権力もあるが、孤独でさ。だから、故郷を出るときに決めたんだよ。ここから先は誰かと肩を並べて行けるところまで行く、それでどんな景色が見えるのか確かめるってさ」
火の中に投げ込んだ薪がぱちっと音を立てて爆ぜた。
「流石は暁の星団のリーダーっすね」
「バカにしてるのか?」
「とんでもない。言葉通りの意味ですよ。優れた力を持つ冒険者はいくらでもいますが、人をまとめ上げるのはまた別の才能っす」
ルビノは言うが、アトゥにとって彼は朗らかな見た目の割に感情が読めない人物でもあった。
齢の頃はさほど変わらないにも関わらず、本気で斬りかかっても素手でいなしてしまうようなこの若者を、アトゥはメルの次にオリヴィニスでみつけた《ばけもの》だと思っていた。駆け出し時代にはミスをおかす人間らしい面もあったのだ、とはとても考えられない。
「《緋のルビノ》の身ぐるみはごうなんて、怖いもの知らずの野盗だぜ」
頭のいいやり方だとアトゥは思った。
同じ状況なら、自分も間違いなく困っている同業者を助けに行っただろう。
まさか、自ら毒をあおって騙そうとしているなんて思いもしなかったはずだ。
ルビノはにやりとした。
「それが、やつらは野盗じゃなかったんすよ」
「じゃ、なんだってんだ?」
「ご想像にお任せします。答えは今度、店に来たときにでも」
「商売上手だな」
アトゥは黙って思考を巡らすが、疲れた頭では正解に辿り着きそうもない。
じきに夜が明けた。
ほかの仲間たちが起き出す前に、ルビノは身支度を整えて別れを告げた。
またオリヴィニスで、と挨拶を交わし、去っていく背中は飄々と風に流れる木の葉のようであり、どこかメルに似ているとルビノは思った。
途中ルビノはやけに古びた望遠鏡を取り出して、遠くを覗いていた。
どんな景色を見たのか、鳥か雲か……。
遠目には判然としなかった。