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第84話 真夜中の秘密 -9


 *




 空を、いくつもの流れ星が駆け落ちていく。



 ルビノは暗い森のことを思い出していた。

 それは旧市街地を覆う鬱蒼うっそうとした森のことだ。

 まだメルに弟子入りしたばかりの頃、ルビノは修行と称してよくそこに連れて行かれ、置いてけぼりにされた。街に帰るためには、必死に方角を探り、野犬や小型の魔物を避けて足を動かさなければいけない。


 道を失い、日はどんどん暮れていく。


 闇の中でうずくまって泣いていたこともある。

 今までずっと忘れていた、そんなささやかな日々のことが今まさに起きたことのように急に思い出された。草木のにおいも、土の湿しめり気も、闇の恐ろしさも、その全てがよみがえって五感を震わせ、通り過ぎていった。


 そばでは疲れ切った人々が、夜空を見上げていた。

 避難所でも、往来で幽霊たちから人々を守っていた冒険者もそうしていた。


 ルビノは街の、どことは知れぬ人家の屋根の上にいた。


 激しい戦闘のせいで屋根のあちこちが陥没かんぼつし、精霊魔術を使ったせいで焼け焦げがができていた。住民は仕方のないことだときっとあきらめてくれるに違いない。二人の攻防には、ほかのどんな冒険者も斬りこんで入ることができなかったのだから。


 ルビノと戦った砂の亡霊は間違いなく格闘士だった。


 体術と精霊魔術を組みあわせたその技は、オリヴィニスでは、自分とメルメル師匠しか使い手がいない。人との対戦は久しぶりだ。


 砂の戦士はあらゆる技を繰り出し、ルビノはそれを受けた。その技のひとつひとつに、どこか、メルの影があると感じたのは気のせいだったのだろうか。

 大人になれないメルとは、体格も、技のくり出しかたも何もかもが違うはずなのに、確かにそう思えたのだ。


 そして砂の戦士は消える寸前、はげしい攻防のさなか、ルビノの頭をくしゃりと撫でて行った。


 まちがいかと思ったが、そうではない。


《森》のことを思い出したのは、そのときだ。


 疲れ果て、迷って泣いているルビノを、たった一度だけメルは迎えにきて言った。


「泣かなくてもいい。君がこのさき大陸のどこにいても、必ずみつけるよ」


 ……ひとりでいることが、そして暗闇に取り残されることが怖くなくなったのは、いつ頃のことだっただろう。


 満点の星空に、流星が落ちていった。

 いくつもいくつも、誰にもとらえられない尾を引いて流れていく。


 これはそういう夜だった。


 夜魔術師が去った広場でも、なつかしい記憶を想いながら、夜を見上げている人物がいた。

 周囲には静寂があるのに、頭のうちでは気の置けない仲間たちが夜通し騒いでいる。あの若き日々が駆けめぐる。

 星空を眺めながら物思いにふけっていた魔術師のことを、マジョアは夜のなかに見出した。


 あれはいつだっただろう?


 確かにあった夜のことだ。

 もう長く忘れていた。いや、忘れようとつとめていた。

 オリヴィニスではない。

 どこか別の村に滞在していたときのこと。


 トゥジャンとヨカテルがめずらしく泥酔でいすいしていたのを覚えている。

 トゥジャンはかろうじて部屋に戻ったようだが、ヨカテルはテーブルに突っ伏したまま、倒した杯から酒をこぼしていた。

 馬があうのか、メルは給仕をする村の娘と仲良くやっている。


 いつのまにかアラリドは不満そうに食堂から離れ、二階のバルコニーから月を見上げていた。

 人々が気味悪がる闇色の瞳に月が冴えてうつりこむ。

 マジョアはそっとうしろに立ち、かける言葉を探すうちに時間が流れた。


「メルは、ああいうが好きなのかな? かわいいよね、明るくてさ」


 ローブのすそを揺らし、アラリドが唐突に振り返る。

 マジョアは戦士の反射神経で、そうする必要はないのにも関わらず、一輪の花を体の影に隠した。まだつぼみのままの薔薇の花だった。

 小さな、白い……。

 それがアラリドに似合うと思ったのだ。それ以外に理由はなかった。

 彼は今、自分がこの世界で一番おろかな男だと感じていた。


「ああ……」と曖昧あいまいな返事をすると、アラリドはますます口をとがらせる。


「なんだよ、もう。深い仲になっても、どうしようもないじゃないか。どうせ、置いて行ってしまうんだよ。どう考えても相手のほうがはやくけてしまうのに」

「あいつはそこまで考えてないと思うぞ」

「わかってるよ。こんなことを考えてしまうのは、きっとぼくがみにくいからだね」


 アラリドは眉間に深い皺を寄せた。


「普通の人と一緒に生きていくのは、メルにはムリだ。エルフでも先に死んでしまう。それって、かわいそうなことではないのかな……。そもそも、メルっていう人格があるのかどうかもちょっと怪しいし……」


 考えこむアラリドを横目に、マジョアは背中に隠した花を人知れず手折たおった。

 アラリドがいつも考えているのは、メルのことだ。

 人に怖がられて、避けられ、孤独に過ごしてきた夜魔術師を最初に受け入れてくれたのは、ある意味、人の道から外れたメルだったからだ。


「どんなに複雑な人格でも、それそのものがメルだし、だれにも否定できない。でも……いつか、ぼくはメルの呪いを解いてあげたい。七英雄でも、ほかの誰でもないメルを見つけてあげたい。そして……聞いてみたい。ぼくのことを……ぼくのことをどう思っているのか……」


 冷たい風が言葉をさえぎった。

 マジョアはマントを広げ、小さな体をその下に包んでやった。

 いつから物思いにふけっていたのだろう。すっかり体が冷えてこごえている。


「メルの瞳に、この世界がどう見えているのかを、彼の隣で聞いてみたいんだ」


 アラリドはそっとマジョアの肩に頭をよせる。

 華奢というより痩せた体だった。

 その体いっぱいに、はてしのない探求心と才能、けして口にはしない言葉を抱えきれないほどに抱えていた。

 マジョアはアラリドがいつか消えてしまうのではと、恐れた。

 そしてその恐れの通りになった。


 せめてアラリドが自分のことを醜いと言ったとき。


 そんなことはない、と言えばよかった……。

 そんなことはない……誰よりもきれいだと……。


 世界中の誰もがその力を恐れたとしても、この瞳の中で星のように輝いていると。


 それがわだちのように深い後悔として心に残っている。

 永遠に刻まれたままだろう。


 誰にも告げない秘密をずっと胸に秘めたままで、死んだあとも何ひとつかわらない、そのぎこちない生き方をそばでささえていたかった。

 誰よりも、メルよりもこの自分を頼りにしてほしかった。

 せめて秘密のひとつでも打ち明けてくれていたら。


「最後まで、黙ったままで行ってしまったな……」


 マジョアはひとり、呟いた。

 流星のように過ぎ去った時間の断片が脳裏に浮かんでは消えて行く。

 押し殺した感情が、伝えきれなかった言葉が。

 思い出が……。


 落ちていく流星を、誰も止めることができない。

 過ぎ去っていく時間と同じに、指の間をこぼれていってしまう。


 稜線に昇る太陽の光がみえはじめている。

 世界のはてで、夜空と朝とがまじりあう。






 真夜中の秘密 了

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