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第75話 魔物



 迷宮洞窟に向かう道を脇にそれ、カタバミ色のローブが小さな洞窟の入口に消えていく。


 そちらには影魔族という風変わりな魔物が出る(が、目ぼしいものがなく、魔物討伐の報酬も出ないため冒険者たちから敬遠されている)洞窟で、深いところは地下水も溜まっていて進みにくい。


 ヨカテルはアラリドを追って洞窟に入りこんだ。

 アラリドは途中の分かれ道を進み、仕掛け扉から地下に降りて行く。

 その後に続いて内部にもぐりこむと、思わぬ広い空間が広がっていた。

 小さな洞窟だった。

 しかし天井が落ちないようあちこち補強され、階段まで作られており、天井には明かりが灯っている。置かれた棚には魔術書が並び、たくさんある檻には小型の魔物がいた。どれも凶暴性が低い小型のものだ。


「僕の研究室にようこそ、ヨカテル。いま、お茶を淹れるよ」


 追跡に気がついていたらしい。

 アラリドは手に二つ、白いカップを掲げて言った。

 ヨカテルは眉間に刻まれた皺をさらに深くした。

 腰に手を伸ばし、ベルトにくくりつけられた革の覆いを外して小型の装置のスイッチを入れると魔法陣が浮かぶ。そこに無用になったランプを落とすと、ランプは空中に消えてしまった。


 魔法陣を介して、ヨカテルが借りている《倉庫》に転送されたのだ。


 これは錬金術の聖地、ヴェルミリオンで生まれた《技術》のひとつで、魔力を持たない兵士が魔術を使うための装置である。

 錬金術師たちは冒険者の街では異色の存在だが、迷宮の奥底へでも便利な機械や大砲のような道具を持ち運ぶことができる。

 何かと便利がられている技能なのだ。


「いいや、何もいらない。アラリド、貴様は茶葉に関しては繊細で風味豊かな王国産と野趣やしゅあふれる帝国産のちがいも見抜けない味音痴あじおんちだからな」

「ここにあるのはそのへんの野草を乾かした茶葉、すなわちオリヴィニス産だよ」

「もっといらない。それよりなんなんだ、この研究室は……」


 ヨカテルは獣の臭いが立ちこめた室内を見渡す。

 そして、カッと目を見開いた。


「素晴らしいじゃないか!」

「うん、ヨカテルならそう言ってくれると思った。ここ数年の研究の集大成さ」


 アラリドは魔法で湯を沸かしながら、食らいつくように研究成果を観察するヨカテルを微笑ましく見守っている。


 大抵の錬金術師は帝国貴族のお抱えでヴェルミリオンからは出てこない。


 しかしヨカテルは研究熱心で、魔術研究のために故国を離れ、オリヴィニスを訪れた変わり者だ。


「夜魔術だけが取り柄だと思ってたが、魔物研究とは実にいい趣味じゃねえか」

「精霊術も真魔術もいい腕だと自負してるけど……。ヨカテル、君は魔物が発生する仕組みについて何か知っているかい」

「いや。どこにでもふっと湧いてでて、俺たちの飯の種になるってことくらいだな」


 アラリドは「あながち間違いでもない」と言って机の上に地図を広げた。

 地図には几帳面な字で細かく書きこみがされている。


「ここではね、魔物たちが発生する仕組みを調べてるんだ。まだ仮説の段階だけど、どうも魔物たちは魔力の滞留している場所で生まれるらしいんだ」

「魔力が滞留している場所? 魔術師どもが魔力マナ分けをする、精霊のたまり場みたいなもんか?」

「もっと強い力場だ。各地の迷宮の場所を調べてみたんだ。何か気がつかないかな」

「俺にゃない発想だ。アラリド、先に結論を言ってくれ」

「女神信仰だよ。魔物が多く出る迷宮の近くには女神ルスタにまつわる伝説があるんだ」


 ヨカテルも一緒になって地図をのぞきこむ。

 確かにそうだった。

 オリヴィニスの《迷宮洞窟》、そして七英雄の伝説からはじまって、女神ルスタが現れたというような伝説がある場所には、冒険者たちの仕事場も多くあるのだった。

 次にアラリドが見せたのは透明なガラスの板だった。

 二枚の板の間にスライム状の物質が詰まってる。

 その中で、アリたちが群れをつくっていた。


「純粋な魔力を動植物に与え続ける実験をしてみたんだ。そうして生まれた生物たちは高い確率で突然変異を起こし、周囲の生態系を破壊してしまう……」


 そう言いながら、体格も大きく色も変わっている個体を群れの中に落とす。

 その個体は元から住んでいた虫たちを凄まじい速さで食いつくしてしまう。

 むごい光景ではあるがヨカテルは冷静だった。


「同じ種族どうしでも、共食いをしあうことはあるぜ」

「でも魔物たちにはその先がない。捕食されることはなく、なかには死んでも土には還らずに汚すだけっていう厄介なやつらもいる。何より彼らには生命の循環がない……。魔物の魂は人の魂とはちがう。彼らは死んでも死者の門をくぐることはない。この世界のどこにも戻らず次の命をはぐくむこともないんだ」


 それは夜魔術師としての才能を生まれながらにして身に着けているアラリドならではの着眼点だった。普通の人間には魂のありかたをつぶさに観察する能力などない。魂などというものがあるのかどうかさえわからない。


「つまり言いたいことは、女神ルスタの《奇跡》によって発生した強い力が異常な進化をうながして生命の在り方を変質させてしまう……それが魔物なんじゃないか、ということなんだ」

「幻獣とかよばれているやつらはどうなんだ」

「まだまだわからないことが多いけど、本来は同じ性質の生物なんじゃないかな」

「確かに命の根本をねじ曲げるほどの力はルスタにしか生み出せないかもしれねえな。教会の連中が発狂しそうな理論だ」

「それもまたルスタの偉大さゆえのことだと思うけど、あまり大っぴらにはできない研究だね……。ギルドに密告するかい?」


 ヨカテルはため息を吐いた。

 アラリドはときどき街を抜け出している様子があったが、このためだったのか、と。

 街から離れた地下に研究室を作ったのは、自分の考えや研究が街の人たちや冒険者ギルドには受け入れられない話だとわかっていたからだろう。

 冒険者たちははぐれ者だらけだが、命を賭ける仕事である以上、信仰心はあつい。

 信仰の対象が魔物をつくりだす原因かもしれないなんていう理論を大っぴらに述べれば爪はじき者になってしまう。

 しかしヨカテルは魔術師でもなければ、生粋の冒険者でもオリヴィニスの住人というわけでもない。ましてや熱心な信者でもない。

 彼は地図や魔物たちを見つめて、真剣に言った。


「おい、アラリド。そのオリヴィニス風の茶とやらを出してくれ。これを話し尽くすには茶が何杯あっても足りないぞ」

「ヨカテル……」


 アラリドは、はじめは意外そうな顔をしていた。

 だがヨカテルが心の底から話をしたいと言っていることに気がつくと、いつもその顔に貼りついている寂しさや孤独が剥がれ、子どもらしい笑顔が戻ってきたのだった。



 *



 ――その頃から時が経ち。


 パーティの中心だったマジョアとトゥジャンはとしをとった。

 ヨカテルもまた、同じだけの年齢を重ねた。不機嫌そうな表情に刻まれた皺は眉間のそれだけではない。

 ほかのふたりはギルドで出世し、ヨカテルは別の商売をはじめた。

 しかし思い返してみると、パーティがバラバラになったのは出世のせいでも商売のせいでも加齢のせいでもない。

 ほかでもないアラリドの死のせいだった。

 アラリドのしたこと、そしてアラリドの身に起きたこと、すべてを知ったとき、ヨカテルは自然と冒険者稼業から身を引いた。

 冒険者稼業は遊びではない。重たく心に蓋をする秘密や過去のひとつやふたつ、誰しも持ちあわせがあるものだ。

 それでもあの純粋な夜魔術師がこの世のどこにもいないと知ったとき、不思議と野心や探求心も消えてしまったのだった。


 黒鴇亭の地下室でヨカテルは静かに紙巻煙草を吸っていた。

 マジョアやトゥジャンは今のヨカテルを「すさんでいる」と表現するが、ヨカテルの認識は異なる。

 彼は待ち続けているだけだ。

 冒険者たちに情報を売ることで、情報を集め各地の噂話に耳を澄ませて、じっと息をひそめて《その時》を待っている。


 がちゃり、と扉が開く音がした。


 階段の上からひとりの若者が降りてくる。


「相変わらず、陰気臭いところですね。体にカビが生えちゃいますよ」


 現れたのはマジョアの孫。学都ミグラテールから帰ったばかりのロジエである。


「約束のものは持って来たんだろうな」

「はいはい、とても苦労したんですよ。学長さんの葬式にもぐりこんで、あれやこれや……。アラリドの生まれを調べるのは、優等生である自分にしかなせない偉業でしょう」

「お前さんは外面そとづらだけはいいが、学問では大成しないと信じていたよ。研究者に必要なものは執着心だ。お前さんには学問にも魔術にも執着心はないからな」

「おやきびしい。ご名答です。だから手駒として使うには便利だと思ったわけですね。前学長が、ご丁寧に残していた魔術師ギルドへ送った推薦状の写しやら、記録をいろいろ盗み出してきましたよ」


 ロジエが古びた書簡や名簿をテーブルに広げる。

 小さな絵を手に取り、ヨカテルはそれをじっと見つめていた。


「……貴方が祖父の仲間であったことは承知していますが、何故、彼にこだわるのですか?」

「それはな、それが俺のだからさ」


 パーティを退しりぞいてからずっと、ヨカテルはアラリドがオリヴィニスにやって来た経緯を調べていた。

 密かに故郷だと言っていたイストワルへとおもむき、荒涼とした孤児院から始め、時とともに消えて行くアラリドの姿を求めた。

 ただ、学都ミグラテールはかなり閉鎖的な都市で、魔術師ではないヨカテルを信用する者はいない。

 長い間手つかずのまま、ロジエを頼ったのは最後の手段といえた。


 ヨカテルは呟く。


「そうか、そういうことだったんだな、アラリド……。これが本当のことなら、今すぐにでもメルを探さねばならん」


 資料をじっと睨んでいたヨカテルは、すぐさま重い腰を上げてみせた。

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