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第73話 情報屋ヨカテル 《下》


 率直そっちょくに述べるならばヨカテルは街の嫌われ者だった。


 怪我で引退してからはじめた情報屋の仕事は嫌われ仕事だし、何より当人が《ぶっきらぼうで愛想がなく、とっつきにくい》ときている。


 黒鴇亭の地下の部屋はそんな主の内面をよく表現していた。


 すなわち明かりの入らない薄暗い部屋、分厚いドア、頑丈な鍵は他人を信用しない猜疑心さいぎしんを。書籍や地図、天文図や計測機器、どうやって使うのかもわからない金属や硝子でできた様々な器具は、誰にもわからない彼の心のうちの表れだ。


 その中心に鎮座したヨカテルはしっくりと、物だらけの風景になじんでいる。


 マジョアやトゥジャンとちがい、彼には冒険者の風格というより獰猛なおおかみのようだ。外見だけでなく内面にも、他者を寄せつけない孤独と厳しさが同居していた。

 それでいて金さえ積めばなんでも――たとえば他人の恥ずかしい過去や失敗まで――べらべらと話してしまうのだから、町の冒険者がヨカテルを恐ろしく感じるのも無理からぬ話ではあった。


「メルのそばを騒がしく嗅ぎまわって何が楽しい、若造どもめ」


 ヨカテルはアトゥが入ってくるなりそう言った。


「へえ、あんたにも仲間を想う気持ちってものがあったんだな」


 皮肉をうけて、ヨカテルは爬虫類に似た瞳で睨みつけてくる。

 アトゥはその迫力に飲みこまれないよう、気をつけながら話を進める必要があった。


「……冗談言って悪かったな。けど、あいつがもしほんとに困ってて、助けを求めてきたときに《なんてことだ、そんなの全然知らなかった!》なんて言うのは間抜けのやることだろ」

「あいつがお前らに助けを求めることなんかない」


 ヨカテルがどかりと腰を下ろした丸テーブルの端に、アトゥが腰を下ろした。

 ノックスは上の階で待っていてもらっている。

 この息が詰まりそうな部屋にいるのは二人だけだ、という事実が、アトゥの気分をさらに重くさせた。損な役回りだとも思った。


「だったらなぜ、あんたたちがメルを助けようとしないんだ? マジョアやトゥジャンたちが」


 メルはマジョアたちと別れたあと、どのパーティにも入っていない。

 本当の仲間、といえるのはヨカテルを含む彼らだけだろう。

 ヨカテルはじっといわおのように黙っていたが、紙巻タバコに火をつけ、二度ほど煙を吐き出した。

 そして三度目の煙に苦い言葉を添えた。


「あいつはあいつだ。いつもと何も変わっちゃいねえよ」

「嘘だな。メルが《竜の角》を登り、滑落した冒険者の死体を抱えておりる姿をこの目で見たぜ。それがどうやったら屋根から落ちるようになるんだ」

「うるせえな。……とっとと払うものを払いな。満足いく額なら望みのものをくれてやる」


 ヨカテルは面倒くさそうな素振りで上等の葉巻に火をつける。


「仲間のことだぞ、ヨカテル。ほかの誰でもない、仲間のことなんだ」


 アトゥはいらいらしながら問いを重ねる。

 共に命をかけ、苦境を切り抜けてきた冒険者仲間の繋がりは、ときに家族より強力だ。長年生き残ってきた冒険者であればあるほど、そうであるはずだった。

 だが、ヨカテルは過去の仲間の進退のことなど、まったく興味がないようなのだ。


「ならこれを見るんだな」


 アトゥは怒りにまかせて手にした金糸雀亭の杯を差し出し、中身をひっくり返した。机の上に白金や銀、銅色の、それから緋色や青藍や白、深緑といった名前入りの小さな金属板が次々に落ちて跳ね返り、音を立てる。


 それは色とりどりの冒険者証だった。


「仲間を助けるためなら、文字通りなんでもするって奴らが街にはこれだけいるんだぜ」


 それは冒険者として築いてきたすべてを投げ打ってもいい、という決意だった。

 ギルド証の上に己の金板をひとつ置き、アトゥはヨカテルのんだ瞳を真正面から見つめた。


「ハッタリがうまくなったな、アトゥ。狙いはなんだ?」

「ま、本当のことを言うと面白半分の奴が大半だ。メルに興味はないが、レヴやベロウに興味はあるなんて奴もいる。――だが、好奇心のままに生きるその生き方を貫き通すのも冒険者ってもんだ」


 ヨカテルはギルド証に刻まれた名前をひとつひとつ眺めていた。

 アトゥは固唾かたずをのんで見守った。

 そしてフンと鼻を鳴らす。


「どうせお前のことだ。俺たちの秘密を暴きたて、マジョアを出しぬき、ゆくゆくはギルド長にでも収まるつもりなんだろうよ。知恵だけで小賢しいロジエと違って、お前さんには腕っぷしもある。いかにも冒険者連中の好みだからな。父親から逃げ、兄弟から逃げ、冒険者として成り上がって人生の帳尻合わせでもするつもりか?」


 その不躾ぶしつけな物言いに、アトゥは怒るよりまず先に呆れ、ただ呆然とヨカテルを見返した。

 それから、ばね仕掛けの人形が突然動きだしたかのように、叫んだ。


「そんなことは考えてない!」

「どうかな。みじんも考えたことがないとは言わせないぜ。普段は振舞えていても、若い野心は隠しようがないからな」


 アトゥは生唾なまつばを飲みこんだ。もちろん、そういった発想が一度も意識の表層にのぼらなかったかというと嘘になる。

 だが冒険者なら、誰でも野心のひとつやふたつ、持ち合わせがあって当然であり、悪し様にののしられるいわれはないはずだ。


 そう考えた瞬間、とてつもない怒りが湧いた。


 だが、アトゥはじっと耐えた。それ以上は怒鳴りもしなかった。

 頃あいを見計らい、ヨカテルはパチンと指を鳴らした。

 すると壁の明かりが一斉に消えた。

 節くれだった指が燭台を引き寄せ、半分に減ったろうそくに火をつける。

 地下の暗がりに赤い炎が揺らめき、ヨカテルの眼が爛々と輝いた。


「ひとつ話をしてやろう。恐ろしい話だ」


 ヨカテルは残酷な話をした。

 それは世間を騒がせる夜魔術師たちが王都のまわりで何をしていたかについての語りであった。

 彼らは子供をさらった。

 生まれたてから、十五歳の娘まで、ひとりずつ。


「連中が研究していたのは《魂抜き》という夜魔術の奥義だ。夜魔術は魔物の死体を使うと言われているが、本来は生き物の《魂》を操り、わがものにする魔術だ。それを人に応用することは容易たやすい。むしろ、そちらが本領ともいえるな」


 魂を抜かれたものは、生きてはいるが何も聞こえず、見ず、話さず、動かない、生ける人形になってしまう。

 ただ、実験に使った子供たちの中に、貴族の娘がまじっていた。

 それがきっかけになり、悪事が露見して、結社の魔術師たちは王の名の元に処刑されることになったのだった。


 冒険者の世界に身を置いていれば、人の生死に関する残酷な出来事を見聞きすることも多い。だがそれは、ほとんどが魔物と人との命のとりあいの話である。

 夜魔術師たちのしたことは、抵抗もできぬ小さな命をないがしろにするもので、常軌をいっしている。


「連中は何故、そんな蛮行に手をつけたんだ」

「連中ではない。結社の頭はベロウだ、最初から全部あの女が仕組んだことなんだ」


 ヨカテルは語気を荒げた。


「わかったらメルをベロウに近づけるな。たとえ、メルが会いたがったとしてもだ。おそらく大変なことになるだろう。なにしろ、宿んだからな」

「七英雄? おい、それはどういうことなんだ」

「いいか、もう二度と仲間のため、などという言葉を軽々しく口にするな」


 ヨカテルはそれだけ言うと、アトゥの質問には答えず、再び酒瓶を取り上げて階段を登って行ってしまった。


 置いて行かれたアトゥは「だから友達ができねえんだよ、おっさん」とぼやいて頭を抱えたのだった。

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