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第71話 本当にあった怖い話


 そりゃあな、俺もおかしな話だ、とは思ったんだよ。

 同業でもないかぎり、レヴェヨン城に生身の女がいるわけないって。

 でもこれがなかなかかわいい女の子で「悪い男に連れてこられた、街に帰りたい」なんて泣かれてさ、つい背中に乗せちまったんだ。

 最初はよかったんだけど、でもだんだん妙に冷えてきて……それで、気がついたら教会に運ばれてたってわけだ。おまけにどこかの不届きもののせいで荷物も盗まれて、ふんだりけったりとはこのことだぜ。


 男は哀れみを誘うようにそう語った。

 地下の酒場、薄暗い隅の席で円形のテーブルを囲むのは、所属も様々な冒険者たちである。彼らは月に一度か二度、この安酒場に集まり、酒を飲む。

 杯のかたわらにはそれぞれ小さな缶や帽子を裏返したものや革袋が置かれ、数枚の銀貨が入っていた。


「ん~、まあまあだな」


 先ほどの語りを吟味ぎんみし、仲間達のふしくれだった手が銀貨を一枚つまみ、語り手の前に置かれた木皿に放りこむ。


「もう少し恵んでくれよ、話をきいてなかったのか?」


「いや待て、その話、どこかで聞いたことがあるな」と卓を囲んでいた仲間のひとりは目を細めた。「ラジョネの話に似てるな。模倣ぱくりはルール違反だぞ」


「いやいや、本当にあったことなんだって!」


 仲間たちはそれぞれ文句を言いながら、木皿に入れた銀貨を回収していく。

 そのとき、仲間達の輪を割って、細い子供の手がコップを置いた。


「お邪魔するよ、ヨカテル」

「おいおい、なんだ? ここはガキの来るところじゃねえぞ」


 どこかから引きずってきた椅子を置き、少年が腰かける。

 鎧や武器の入った鞘が擦れあう店内で、武装を解いて布の服にマントを羽織っただけの姿は、確かに少年のようにみえる。

 だが、ヨカテルはそれが誰なのかを正確に知っていたから「ああ、あんたか」と応じた。

 ヨカテルは傍目はためには老いた冒険者だ。

 いつも茶色のベストを着て、紫色のタイをつけている。

 眼光だけは現役の頃と同じく鋭くて、いつ癇癪かんしゃくを起してもおかしくなさそうな繊細な見た目をしていたから、としのことで彼をからかう者はいなかった。


「たまには上から降りてくることもあるんだな、メル」


 上というのが地上ではなく、金板以上しか上がれないギルドの酒場の二階席だということを悟ると、メルは微笑んだ。


「ぼくは案外、どこにでも行くほうさ。ひとつ話してもいいかな」


 薄氷色の瞳が集まったみんなをぐるりと眺めた。



 *



 ヴェルミリオンの東の海上に《シュヴァルの森》はある。

 それは未開の孤島で、大陸にはない珍しい動植物の宝庫だった。

 天候も変わっていて、島の中央からひとりでに湧き立つ雲によって雨季と乾季を繰り返す。島はいつも見通しが悪く、鬱蒼うっそうとした森に覆われている。


 一時期、メルは船を雇ったり、空路でこの島を訪れ、とくに何をするでもなく散策して回るのを趣味にしていた。金になることしかしないのが冒険者だが、金にならないこともしてみるのがメルなのだ。


 そのときは雨季がようやく終わった頃であった。


 絡みつく蔓草つるくさをナイフで切り裂きながら、道なき道を進んでいると、足が、ふわりというか、ぶうわり、とでもいうような柔らかいものを踏んだ。


 見下ろすと、赤茶けた地面が見える。


 どうみても地面だ。

 もう片方の足をそっと下ろすと、やはりぎゅむりと柔らかい。

 しかも靴裏を押し返してくる弾力がある。

 広さはメルが三人寝転んで熟睡できるくらいだ。

 メルはしばらくしゃがんでじっと眺めたり、足の裏でぶにぶにしたりしていたが、じきに我慢がきかなくなってきた。


 そして。

 話を聞いていたヨカテルはにっと笑った。


「お前さん、あとさき考えずに飛びこんだんだろう」


 メルはむっとしながら黄金色の酒を飲み干した。


「ヨカテル、オチの先取りは悪いくせだよ」


 ……メルは鼻歌まじりに地面を蹴って、赤色のぶにぶににダイブした。

 それはメルの体重を受け止め、すばらしい弾力でぼよん、とその体を空に浮かせた。

 ぼよん、ぼよん、としばらくしていると、赤い地面の真ん中に、ぶつりと丸い穴が開いた。

 これはまずい、と逃げたが遅かった。


「次の瞬間、穴から黄色い粉が勢いよく吹きだしてきたんだ。頭からつま先まで粉まみれになったよ。粉の正体は胞子……つまり、あれは巨大なきのこだったんだ」


 メルは深いため息を吐いた。


「仕方がないから、あとで道具も武器も全部ていねいに洗ったんだ。それがひと月前のこと。このことは自分でもすっかり忘れてたんだけどね。話には続きがあって……」


 メルは普段、旅に持っていく荷物を鞄に詰めたままにしている。

 目的地が変われば中身もある程度は入れ替わるが、基本の荷物はあまり変わらない。ずっと入れっぱなしのものも中にはある。

 今朝、メルは一度風を通したほうがいいだろう、と荷物を全部外に出すことにした。


 そして…………。


「気がついたんだ。鞄の底に赤茶色のキノコが生えてるってことに」


 しん、と静まり返る。

 全員、固唾かたずを飲んで見守っている。

 中のひとりがこわごわと訊ねた。


「……その荷物、どうしたんだ」

「焼いた。焼けるものはみんな焼いた」


 メルは杯の底にたまった最後のしずくを飲みほした。

 全員、自分の入れ物から、銀貨をメルのコップに移した。

 ヨカテルも銀貨を五枚、くれてやった。


「ありがとう、どうも」


 銀貨を回収すると、メルは席を立って、来たときのようにふらりといなくなった。

 目頭を押さえて含み笑いをもらすヨカテルに仲間が話しかける。


「あれが有名なメルメル師匠か?」

「ああ、師匠連だよ」

「なんていうか……思ったより間抜けなやつなだな」


 ヨカテルは何にも言わなかった。

 彼は長い期間、この酒場でこんなもよおしを続けている。

 集めているのは幽霊話や奇妙な話で、ただし実際に冒険者たちが体験した話だ。

 一番怖かった話をした語り手には、こうして銀貨が与えられる。


 メルは腕は確かだし、稼ぐ方法をいろいろ知っている。

 だが冒険心と好奇心という魔物にとりつかれており、ときどき文無しになってはヨカテルのこの席に現れるのである。

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