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第65話 光


 何度も轟音が聞こえ、地面が震える。壁面を走るひび割れが、必死に逃げる仲間たちを切り裂こうとする獣の爪のように見えた。

 狭い通路の向こう側に明るい光が現れる。

 短い距離だ。だが、爪の脅威から逃れるには遠すぎた。

 精霊術師はふと立ち止まり、杖を出口に、先に行く仲間たちへと向けた。


「《精霊よ、しなやかで無垢《むく》なる風たちよ、緑玉のもとに来たりてつどい、集いてまことの姿を現せ》」


 無風の坑道に、急に強い風が吹きこんでくる。


「ちょっと、何やってんのよセルタス!」

「ヨーン、シビルを頼む!」


 亀裂が精霊術師の頭上でぜ、天井が崩れ落ちてきた。

 その間隙を縫ってセルタスの魔法が放たれた。巻き起こった風がいくばくかの土砂と仲間たちを出口まで吹き飛ばしていく。


 土砂が落ちてきて、狭い坑道は暗闇に閉ざされてしまった。



 *



 音が遠ざかり、埃が少し収まった。

 周囲は土砂で完全に閉ざされてしまっていたが、岩の重なりの間に、奇跡的に空いたわずかな空間に二人の体が収まっていた。


「これだから廃坑はいこうは嫌なんだ」


 アトゥが苦しげにうめく。

 通路が崩壊した瞬間、彼はとっさにセルタスをかばった。

 精霊や妖精たちが嫌うため、精霊術師はけがれたものや金属を身に着けられない。アトゥも大した鎧は身に着けていないが、セルタスよりはマシだろう、と判断したのだった。

 セルタスはアトゥの体から土砂を払ってやり、楽な姿勢で寝かせる。


「シビルさんたちはなんとか抜け出たようですし、幸い出口も近かった……。さっき呼んだ精霊がまだ留まってくれてます、どこか痛むところは?」

「それより、酸欠で死なないようにだけしててくれ」

「わかりました……それじゃ、明かりを消しますよ」


 カンテラの明かりが落とされ、セルタスの何の感情も浮かばない表情や、砂にまみれた緑色の髪も見えなくなった。


 クラベジナ鉱山跡はヴェルミリオン領内でも有数の稀少鉱物の産地だったが、いつからか魔物が住みつき廃坑となった。


 迷宮洞窟と同じく、定期的に冒険者が入り、魔物を減らす必要がある場所だ。

 問題は魔物より老朽化だった。鉱夫が入らなくなり、手入れがおろそかになりがちな坑道は魔物より恐ろしい危険で満ちている。

 もしも崩れてしまったら、外からの助けを待つしかない。ガスや酸欠の危険があるから、火も使えない。

 体力を消耗することを考えると、会話も控えたほうがいいだろう。


 すると、ここに残るのは真性の暗闇と、何も聞こえない静けさだけだった。


 こういうとき、物事を好意的にとらえるのは難しい。

 アトゥがまっさきに考えたのは「こんなところに来るんじゃなかった」ということだった。報酬はいいが、初めて訪れる土地だ。今、暁の星団がやらなければいけないのは実績を積んで確実に階位を上げることだ、と考えていたアトゥにとっては、慣れない新しい土地に行くことが重要だとは思えなかった。


 だけど、ヨーンが……そこまで考えて、アトゥは無理に思考を打ち切った。


 事故が起きたのは、自然の成り行きだ。偶然でしかない。

 誰かのせいにしても仕方がない。もしも自分がここに残らなかったら、セルタスが大怪我をしていたかもしれない。

 しかし、明かりが消える前の澄ました横顔を思い出すと、今度は無性に腹が立ってきた。何しろ、助けてやったのに、礼のひとつもなかったのだ。


 考えてみると、この精霊術師はいつもそうだった。


 もちろん腕はとてつもなくいい。さっき、シビルたちだけ助けようとしたように、いざというときの機転きてんもきく。

 けれど、ときどきまるで自分のことしか考えていないかのように振る舞うことがあって、他の仲間たちとの連携がうまくいかない。


 それを、後からアトゥが何かとフォローしてやっているのを、こいつは知っているのだろうか……。


 やめよう。


 どれもこれも今考えても仕方がないことだ。

 何しろ、自分たちはここで死ぬかもしれない。

 助けが来ないかもしれない。来たとしても、わずかに残った空気を吸い尽くして、死んだあとになるかもしれないのだ。

 やめよう、と思うのだが、死への恐怖はぬぐい難いものがあった。

 最近は仕事にも慣れ、頼もしい仲間が増えて、すっかり忘れていた感覚がじわじわと忍び寄ってくるのを感じた。


 もしここで死んだら……。


 シビルが泣くだろう、と一番に考えた。

 泣いているところなど、一度も見たことはないが、きっと泣くだろう。

 次第に背中の痛みが強くなってきたような気がした。

 打撲の鈍い痛みだけだったはずが、内臓を突き刺すような鋭い痛みに感じられ、額に汗の粒が浮かぶ。息も苦しくなってくる。


 そのとき――暗闇ばかりの視界に光がよぎり、アトゥは目を疑った。


 よくみると、魔術師の手元が明るく輝いている。

 赤味がかった光は、やがて消えた。


「何してるんだ、魔術か?」

「いいえ。これは石英せきえいです。こうして強い力を加えると、光るんですよ。なぜなのかは私も知りません」


 セルタスは両手に握った拳ほどの大きさの石を強くこすりあわせる。

 輝きは思いのほか強く、暖かな色が、それを包みこむ長い指を暗闇の中に浮かび上がらせた。

 そういえば、坑道の奥で何やら拾ってふところにしまっていたな、ということを思い出した。


「じきに助けが来ますよ」と、セルタスはめずらしくはげます口ぶりだった。


 気がつくと呼吸は楽になっていた。

 光が見えて、声が聞こえたことでひとりではなかったと安心したのだろう。


「なあ……無事に戻れたら、今度こそ正式にうちに加入してくれよな」

「それはそれ、これはこれ」


 笑顔の気配がする。

 恐怖を呼びこむ恐ろしいものは自分の心の内側にひそんでいるのだと、アトゥはそんな陳腐な言葉を思い出していた。

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