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第48話 魔力分け


 一年も終わりに差しかかると、人々は年越しの準備のため、その歩みも慌ただしく街を歩きまわりはじめる。


 年が変わる三日間は、オリヴィニスでも祭日となっている。

 女神教会によると、いついかなるときも我々に祝福と加護を授けてくださるルスタ様をねぎらい、よい一年を授けて下さるようにと祈りながら、女神様の手をわずらわすことのないよう家にこもって穏やかに過ごすことが肝要なのだそうだ。


 したがって、この冒険者の街でも、その期間はギルドや商店は全て休み。教会ですら祈りのためにしか門を開かず、ということになる。


 そして女神信仰のない者たちも、家族や恋人など、親しい人たちと集まって年を越すのが慣例であった。


 たった三日のこととはいえ、一年に一度の祭日だ。

 その準備は念入りになる。女神様をたたえるための飾りつけだとか、家の掃除も欠かせない。前もってごちそうや酒を用意したり、日持ちする菓子を買いだめたり、衣服を新調したりと、ついつい財布の紐がゆるむことを見越して、商人たちはこぞって街かどに市を立てにやってくる。

 華やかな色つきのろうそくや、暖かい葡萄酒だとか、焼き菓子だとか、肉や魚の簡単な食事を出す店もある。


「ひとつ買ってあげようか」


 隣を歩く弟子、ルビノに声をかけた。

 十三歳の少年の視線は、軒先に並んだ真っ赤な飴を見つめていた。

 丸い林檎を丸ごと飴にひたした林檎飴だ。

 飴だけかけたものと、桂皮と砂糖を混ぜてまぶしたもの、砕いた木の実とキャラメルを混ぜかけたものなど、種類も様々で目にも楽しい。


「い、いらないよ。このへんで売ってるのは高いし……」


 言いにくそうにモゴモゴしているルビノが、メルにとってはおかしかった。


「どうして。こんなの稼いでる冒険者にとっちゃ大した額じゃないじゃないか」

「師匠、俺はもう、子どもじゃないんだから……」


 おじさん、と店主に声をかけたメルを別のところへと引っ張っていく。

 十三歳などメルにとってはひよっ子にすぎない。

 そばかすも食い意地のはってるところも、出会ったときと何ひとつ変わらなかった。


 孤児で、盗みをくり返していた少年は思いがけず素直に育った。

 飲みこみも早く、身体能力も高い。

 何より目がよくて、どんなに素早い動きでもついて来れる。

 客観的にみても、将来が楽しみな部類じゃないだろうか……などと言おうものならマジョアあたりに《親バカ》とはやし立てられるのがオチだが。


 メルは一旦、お気に入りの宿を離れ、高台に部屋を借りて、ここのところは比較的真面目に――出かけている間にルビノがひどい風邪で寝込んでいた、なんてことはしょっちゅうあったけれど――修行をつけていた。


 ふたりは街の喧騒を離れ、迷宮洞窟の方角へと向かっていく。

 いつものセハの門を通り過ぎ、メルは小さな別の入口を守っている衛兵に許可証をみせた。書面にはトゥジャン老のサインがある。

 とくに問題なく、ふたりは洞窟内部に通された。


 ルビノは薄闇の中でパチパチと目を瞬かせた。

 すぐに、ここがメルに連れられて行く自然洞とは違うことがわかった。

 広々とした通路はところどころ、木の柱や壁で支えられていて天井もしっかりしている。水が出ている様子もない。なにより明かりが点々と灯り、明るかった。

 メルに先導され、地下に向かって傾斜する通路を進んでいくと、唐突に開けた場所に出た。


「うわ……!」


 目に飛びこんできた光景に、ルビノは感嘆の声をもらした。

 そこは、一面が水晶の結晶に覆われていた。

 ひとつひとつが人の腰の高さまである。

 一番すばらしいのは、奥の壁の亀裂いっぱいに顔を覗かせる紫水晶の大結晶だ。


「ここのは比較的、規模が小さいんだけど、精霊が満ちた空間なんだ。彼らが育ててくれているんだよ」


 洞の中央に敷かれた敷布の上に腰を下ろし、メルは荷物を解いた。

 布包みの中身は一対の鉄甲。

 真紅の鋼でできていて、隠し爪と、見事な紅の宝石が飾られている。

 ルビノが頼んでいた通りの出来だった。


「成長したら作り直さなければいけないけれど、宝玉は一生ものだ。くれぐれも大切にするように」

「師匠、いいの?」

「もちろん。精霊の扱い方は早いうちに覚えていたほうがいいからね」


 本来なら、稽古用でない本格的なものを扱うのはまだ先でもいいくらいだ。

 けれど、将来的にルビノが冒険者になり――それも、オリヴィニスではかなり珍しい格闘師としてやっていきたいのなら、精霊魔術を武具に組みあわせるやり方は覚えておかなければいけない。


 武器を挟んで正面に座ったルビノはうんうん、とうなずいている。

 きらきらした表情は、はやくはやく、と新しい武器を試してみたい顔だ。

 話もあんまり聞いていないに違いなかった。

 そろそろと伸びて来た手をパチンと叩き落とす。


「あのね、焦っても、君はこれを使えないよ。まだ、精霊の加護をこめてないから。それは君がやるんだ」


 ルビノはびっくりした顔をした。

 ちまたで広まっている噂通り、魔術師は生まれたときから才能があり、見いだされた者にしか使えないものだ、と思っているのだろう。


「大丈夫。方法が色々とあるんだよ。たとえば真魔術では、三日三晩不眠不休の儀式をやる。夜魔術は致死量ギリギリの毒を飲んで臨死体験をする」


 そうすると、誰でも魔術が使えるようになる。

 魔術ギルドでも実際にやっている方法だった。ただ、中には儀式の途中で死んでしまう者もいるが……。


「俺、どっちもいやだな……」

「僕も嫌だ。安心して、精霊魔術はもっと簡単だから。目を閉じてごらん」


 ルビノはまぶたを閉じる。

 痛いことをされると思っているのか、眉間には深い皺が寄っていた。

 メルは苦笑いを浮かべながら、ルビノの唇に息を吹きかけた。

 こうすると吐息に魔力マナが乗って他の者にうつる、と言われている。古式ゆかしい魔力マナ分けの儀式だった。


「終わったよ。ルビノ、君に精霊の世界を見せてあげよう」


 ルビノはおそるおそる、まぶたを開いた。

 はじめはうっすらと開かれた鳶色の眼は、やがて驚きに見開かれる。


 その眼には、周囲の水晶から発せられた蛍に似た小さな小さな精霊たちが無数に瞬き、ランプの明かりが反射して青や紫、緑や赤に揺らめく姿が見えただろう。


 ここは魔術師ギルドが管理する、この儀式のためだけの洞窟だ。

 内部は精霊たちで満たされ、儀式を受ける者を選別する。


 ルビノの周りには、メルの思った通り、炎の輝きを揺らめかせた精霊たちが寄って来ていた。


 きっと、この子は勇気のある若者に育つだろう。炎の精霊に好かれる者は、大抵がそういう性質だ。一人前になるのも早いに違いない。


 もちろん、だいぶ先のことではあるのだが……そのときのことを考えると、少しだけ寂しい気持ちになるメルだった。



 *



 濃い緑色の髪は、顔の周りでくるくるとうずを巻いている。

 頭の両脇から生えた角は黒い色だ。


 噂を聞きつけ、魔術師ギルドに集まった大人たちにまじまじと見下ろされ、コナはセルタスの丈の長いローブの後ろに引っこんでしまった。


「てっきり眉唾まゆつばもののガセだと思ってたが、お前さんが弟子をとるってのは本当の話だったんだな……」


 アトゥは胡乱うろんげな瞳でセルタスを見すえる。


「ミザリにはめられたんですよ。ムリだって言ったのに……私が他人の世話とかできると思いますか? 百人が百人とも無理だと言うと思うんですけど」


 自分で言うことではないが、その自己分析は正確だった。

 こういうときに頼もしいのは女性陣だ。


「ねえ、セルタス。この子、埃で汚れてるから連れて帰ってお風呂に入れてくるわ」


 シビルが言うと、続いてシマハも提案する。


「あのう、差しつかえなければ、お洋服と肌着も何着かみつくろって来ようと思うのですが」

「あら、いいわねシマハ。まだまだ大きくなるから、当面は古着でいいとして、かわいいのをお願いね」


 とんとん拍子に物事が決まっていく。

 セルタスは珍しくおろおろとしながらシマハに必要な金を渡し、多すぎる、と返されたりしていた。


「それで、魔力分けはいつにするの?」


 なつかしい記憶がそばにあるのを感じながら、メルは訊ねた。


「まだ、弟子にすると決めたわけではありませんが……」


 セルタスは椅子に座り込み、何かを深く考えているようすだった。


「……いずれ、吉日を選びます」


 苦い返事を聞いて、アトゥは肩をすくめる。

 不安な師弟関係ではあるものの、コナは魔物まじりの特徴が強く出てしまった子で、捨てられ、帰るところはない。

 寄る辺ない身の上のつらさは、セルタスにもよくわかるはずだ。

 ……たぶん。


「それじゃ、まずは掃除からかな」


 メルは閉め切ったままのカーテンを開け、窓を開く。

 積み上げられた魔術書の上から埃が舞い上がる。


 セルタスは昼も夜もここにこもりっぱなしだから、コナも当分はギルドに入りびたりだろう。よくみると、素人が触ると危ない触媒や、放り出されたままの割れた器具が出しっぱなしになっている。

 他人のことなんか欠片も考えたためしのないセルタスでは、コナの面倒をみるのは大変に違いない。


 でもきっと、その日々はあっという間だ。


 瞬きのように過ぎ去る時間を思い、他人ごとではあるものの、メルはなにやら楽しげに掃除をはじめた。


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