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第45話 お守り



 本格的な冬支度に、厚めの上着や長外套を仕立てる客がだんだんと増えてきた。



 新年へと向けたこの季節は仕立て屋がいちばん忙しくなる時期でもある。

 みんな、新しい年に新しい服を着て、心持ちも新たに過ごしたいのだ。

 シマハは訪れる客の間を縫って仕立て仕事に精を出していたが、あまりの忙しさに目眩めまいがするほどだった。ときどきシビルやヴァローナが訪ねてきて売り子を手伝ってくれているけれど、それも心苦しい。


 そろそろ店を誰かに任せたほうがいいのかもしれない。

 けれど、忙しいのはほんの一時期だ。ずっと勤めてもらえるほどの給金は出せそうもないし……。


 そんなことを考えながら、店がひと段落したころに珍しい客がやってきた。


「こんにちは。いやあ、人通りが多いですね、ここらあたりは。冬が近いというのに、昼間は暑くて仕方が無い」


 声をかけられ、シマハは無意識のうちにびくりとしてしまう。


「い、いらっしゃいませ!」


 必死にごまかしはしたが、客は戸口のところで不思議そうな表情を浮かべていた。

 青年は丈の長い瑠璃色のローブをまとい、刺繍の入った白い肩布をかけていた。

 薄緑色の長い髪をゆるい三つ編みにして、右肩に乗せている。

 手にした宝石の杖は精霊術師にしては珍しい金属製だった。それだけで、精霊術師のセルタスだとわかる。


「どうかなさいました?」

「いえ……すみません、今日は忙しくて、ぼうっとしていたもので……」


 慌てて頼まれていた品を棚から取り出す。

 品物は金糸と白糸、薄緑色と夜色の絹をりあわせた糸束だった。

 セルタスは束をひとつ手に取ると、丹念に調べて何故かにおいを嗅いでいた。


「いい仕上がりですね、扱いやすそうです」


 渡したのはシマハが実家に便りを送って特別に染めてもらった糸だった。

 決して安くはない品物ではあるが、セルタスはすんなりと金貨を何枚も支払おうとした。シマハの感覚ではとんでもない代金だ。


「無理を言ったのはこちらです。とっておいてください」


 驚いて半額を返そうとしたが、セルタスはそっけなく言って財布をしまってしまった。

 彼女は勇気を出して訊ねた。


「あの……失礼かもしれませんけれど、この糸で何をするのかいてもよろしいでしょうか」


 染料はセルタスの注文通り、全て指定の植物を用い、血や獣などけがれたものには決して触れさせず、染める時間にまでこだわった。

 そうして完成した糸を何に使うのか、注文を受けたときから不思議だったのだ。


 セルタスはじっと、自分を見上げて来る少女を見つめ返した。


 シマハはびくり、と肩が震えそうになるのをなんとかこらえた。

 セルタスの瞳はときどき光の角度によって金色に輝く。

 青年の器に何か別のものが潜んでいる気がして、ときどきむしょうに怖いと感じる。

 何故だろう、メルメル師匠からの紹介で悪い人ではないとわかってはいるのだけれど、苦手意識がぬぐえない。


「……お見せしましょうか」

「え?」


 普段、口数が多すぎて毛嫌いされることの多い青年は、そのことを知っている者からすれば信じられないほど穏やかに微笑んでみせた。



 *



 シマハが使う作業台の脚に八本の糸を通し、ひと結びする。


 椅子にゆったりと腰をかけたセルタスは、一番左にきた糸をとり、隣の糸と結び目を作る。糸を次々に手繰りながら結び目をつくっては編みこんでいく。


 糸だったものは、やがてリボン程度の幅になる。


「まあ、お上手ですね。男の方が……それも精霊術師様が編み物をなさるとは思いませんでした」


 シマハも村にいた頃、編み物を習うまえの幼い女の子たちが同じやり方で腕輪作りを楽しんでいたことを思い出した。


「ときどき頼まれるんですよ、ちょうどいいお守りになるのです」

「お守り?」


 セルタスはうなずいた。

 日頃、命の危険にさらされる冒険者たちはみんな信心深い。

 健康や旅路の安全を願って、身の回りに幸運の印を持ちたがる。

 それは女神ルスタの聖印だったり、古来から幸運を運ぶと言われている兎の後ろ脚だったり、はたまたコインや恋人の髪の毛だったりと人によってさまざまだ。

 刺繍糸の腕輪もまた、お守りのひとつだった。


「結び目に精霊の加護を編みこむのです。見てて下さい」


 セルタスはすう、と息を吸った。


「《精霊よ……》」


 呼吸に合わせて不意に、何かが訪れた気がする。

 見えない何か、呼吸の音すら立てない静かな何かだ。


「《我らを見つめる人ならざる瞳よ、金の糸を見よ。これは月の光、光の者たちよここに集い、平和をもたらしたまえ……。青い糸は水の流れ。水の者たちよ集い、あるべきところに導きたまえ……》」


 呪文を唱えながら、よどみのない手つきで糸を縒りあわせ、編んでいく。

 結び目がひとつできる度、その指先できらきらと光が弾け、窓が閉め切られているにも関わらず風が起きてまとわりつき、ぴちゃぴちゃと水音が流れるのが聞こえた。


 ふふ、ふふふ……。


 何も無い空中から、時折、女の笑い声が聞こえてくる。


 不思議と恐ろしくはない。


 それは、普段から見えないもののそばにいる存在が、つむがれる呪文の力によって姿を現しているだけだからだ。

 様々な色を継ぎながら、刺繍糸はセルタスの手元で複雑な模様を描いていった。

 鳥が現れたと思ったら、広げた羽がたくみな波模様となり、花の形の透かし編みになり、全体がねじれ、また元に戻る。


 糸によって自然の姿が写しとられていくのを夢中になって見つめているうちに、時は過ぎて行った。

 気がつくと、一刻が過ぎ、教会の鐘が鳴るのが聞こえた。

 紐の端を編んで結び、宝石に穴をあけたもので留め、ブレスレットが完成した。


「素晴らしい、複雑な図柄ですわ」

「糸の本数や、結び目の数にも意味があります。呪文や編み方、がらや模様は、師匠から弟子に伝えられる最初の秘伝です。髪の毛を編みこめば、もっと強力な守りになる。私も師から習ったのですよ……覚えておけば、路頭ろとうに迷っても小金を稼げるから、とね」


 どうぞ、差し上げます。

 そう言って、シマハの手首に結ぶ。


「いけませんわ、大切なものなのに」

「いいのです。久しぶりに作るので、最初のひとつは練習にしようと思っていましたし。大切に身につけていれば、願いが叶いますよ……おや、お客様をお待たせしてしまったようですね」


 セルタスが店内を見渡すと、品物を受け取りにきたり、仕立ての仕事を頼みに来た人たちがぼんやりとした表情でこちらを見つめていた。

 日頃、ギルドの奥にこもっている精霊術師が、同行した冒険者たち以外に精霊を呼ぶところを見せることはほとんどない。それを間近にしたので、シマハと同じく時間を忘れて見入ってしまったに違いなかった。


「ねえシマハ、さっきの術師様は誰だい?」


 セルタスが帰ってしまうと、客たちはさっき目にした不思議な光景について知りたがった。

 尋ねられ、シマハはうっかり名前を伝えてしまった。


 客たちはあれが噂の……、としきりに感心した様子であった。


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