みみずく亭に、この日も多くの冒険者が立ちよった。
夜も更けてくると客の顔ぶれは常連だけになる。
場の空気が程よく温まってくると、店主は新しい酒の栓を抜いて、気前よく客たちに一杯ずつふるまって回った。
「このあいだキレスタールに寄ったときに仕入れた酒っす。気に入ったら注文入れてくださいね」
グラスに注がれたのは美しく澄んだ青い酒だった。
酒の名前は
室内では澄んだ青だが、日のもとに出ると淡く琥珀色が差すという、不思議な色あいをした酒だ。本物の青琥珀は日のもとで青く輝くので、ちょうど真逆である。
さわやかで軽い飲み口に引きこまれるように、みんな次々に
会話が弾み、そこそこで噂話が
そのほとんどはオリヴィニスで起きたある事件のことだった。
というのも、今朝、広場で惨殺死体が発見されたのだ。
死体、といってもそれは魔物のものだった。だが、手酷い拷問の
冒険者たちは日頃、ギルドのもとで統率をとってはいるが、暴力行為に慣れてしまうと外してはいけない
そんな話だった。
「おっかない話っすね」
メルメル師匠が差し出してきた杯に水を注ぎながら、ルビノはぼやいた。
みずからも冒険者でありながら、こうして料理屋を経営して一線を引いている彼にとっては、どこか他人事のように感じられる話題である。
メルは何も言わず、ルビノの前かけを引っぱる。
まだ酒があきらめられないのかと、ルビノは眉を吊り上げた。
「だから、師匠はダメっすよ。弱いんだから――え、ちがう?」
メルは別の方向を見ていた。
そして入り口の近くの席に座っている二人組を指で示した。
どちらもルビノの知った顔である。
片方は暁の星団のアトゥ、もう一人はめだつ緑色の髪で誰だかわかる。
「ああ……最近、よく来る二人ですよ。ギルドからの調査依頼のあと仲良くなったみたいっす」
残念ながら調査の結果は
現在の迷宮洞窟は崩壊の危険があり、深層に潜れなくなってしまっていた。
「珍しい組み合わせだね。……あいつ、空気読めないのが治ったとか?」
「いや、それは、あんまり……」
精霊術師のセルタスはギルドでも師匠格として扱われる実力者だ。
ただ性格にやや難があり、あまり表に出て来ないことが多かった。
それが、最近ではアトゥが積極的に誘い、依頼にも姿を現すようになっているという。
「ということは、口説くつもりかな」
アトゥはセルタスを自分のパーティに入れるつもりではないか、という自分の推測に、メルは顔をしかめた。
暁の星団は金板のパーティだ。
個人ではなく複数人で組むと、ギルドは個人の能力ではなくチーム全体の総合力で位階を判断する。
アトゥたちもそろそろ、実力のある人材を引き入れて、金板の他の連中から差をつけたいのだろう。
「まあ、セルタスを誘うやつはオリヴィニスにはいなさそうだから、目のつけどころはいいかもね……」
「それがね、そういうことでもないんすよ」
ルビノは苦笑する。
「一時期、アトゥさんが話題になったことがあったでしょう」
「ああ……そんなこともあったっけ」
メルは他愛のない記憶を引き出した。
アトゥにみみずく亭を紹介してしばらくたったころのことだ。
したたかに酔ったシビルが、他の冒険者にアトゥの過去をバラしてしまった、という事件だった。
アトゥは大陸の南のほうの出身で、父親はさる部族の首長――たったそれだけの話がオリヴィニス中に広まり、行く先々でからかいの対象になるのに時間はかからなかった。
冒険者たちの生まれはいろいろだが、大半は食い詰め農民とか、故郷から追い出されたあぶれ者たちだ。
金持ちや高い身分の出身である、ということは非常にやっかまれる。
ヴァローナのように明らかに《そう》であっても平然としている者もいるが、たいていは仕事がやりにくくなるものだ。
とはいえ噂など半月もすれば消えてなくなるが、金板になるまで過去を黙っていたアトゥにとっては
「師匠が留守にしていた間、うちの店でちょっとして騒ぎになりまして――喧嘩の寸前で」
それを止めたのが、セルタスだった。
どうして、と胸倉をつかみあう冒険者ふたりに向かって彼は訊ねたそうだ。
生まれも、生まれた苦しみも自分で選べるものではないのに、どうして。
殺気立った酒場の空気の中、あまりにもマジメに問うので、ふたりはすっかり毒気を抜かれてしまい、それぞれ拳を引いた。
それ以来、アトゥは積極的にセルタスを勧誘しているらしいのだ。
「あいつにも、まともな感性があったなんて」
メルは
*
新しい酒がよくなかったらしい。
明け方近くになり、みみずく亭は死屍累々《ししるいるい》といった惨状だった。
軽い飲み口のわりに重い酒精――最悪の組み合わせに客は次々に轟沈していき、迎えに来る当てのない連中は店の床や机に突っ伏していた。
「見た目の割に強いって言ったんすけどね……」
ルビノは新しい酒を店で出すことをあきらめなければならなそうだった。
あまり飲みすぎるなといって聞いてくれるような客たちではない。
「あとから来ますよ、これ。流石に酔いました」
全く酔っていなさそうな顔で言ったのは、セルタスだ。
顔を赤らめることもなく、平然としている。
この酒場で、天地の違いをちゃんと理解し二本足で立っていられるのは、セルタスと、そもそも飲んでいないルビノとメルしかいない。
精霊術師は見ている限り、この酒を水のように飲んでいたはずだ。
実際、アトゥは机に突っ伏したまま、ぴくりともしない。
「君、いろいろ人間離れしすぎなのは《魔物まじり》だから?」
メルがあまりにも直球で聞くので、ルビノは隣でぎくりとする。
「どうなんでしょう。私、自分の生まれがよくわかってないんです」
「わからないって?」
「母親が言うには、生まれた直後に誘拐されまして」
「はあ」
「数か月後、森の奥で泣いているところを発見されたそうです。しかしそのときには、髪は緑に染まっていたとか」
よくある
まずい話を聞いてしまった。メルは口の中に苦いものを感じた。
「故郷はヴェルミリオンの国境沿い、父親は貧乏領主でした。母は子供を取り変えられてしまったあと、納屋に押しこめられて暮らしました」
五年ほど経ち、母親は粗末なあつかいに耐えかねて子供をとうとう手放した。
あっさりと言うが、言葉の軽さのわりに、こめられた事実は重たい。
「彼女はどうなったの?」
「さあ……国境の争いで、一帯は焼け野原だと聞いてます」
干した杯と飲み代をテーブルに置き、術師は立ち上がる。
セルタスは店を出て行った。
過去を話したのは、やはり酔っていたせいかもしれない。
残された師弟は顔を見合わせていたが、ルビノが黙ってメルの杯に青琥珀を注ぎ、自分の杯にも同じようにした。
その日は潰れて記憶がなくなるまでキレスタールの酒を開けることに決めた。