散らばった砂糖菓子と、読みかけの魔術書のはざまで女がまどろんでいた。
「んー…………」
艶やかな
「……んんんッ?」
頬に日の光を受け、シビルははっと起き上がった。
部屋に
「……あらら、いっけない!」
それからたっぷり半時はかかっただろうか。
あわてて向かった待ちあわせ場所に、少女はすっかり待ちぼうけになっていた。
暑い日差しをあびて頬が少し赤くなり、頭頂部のふんわりとした白い羽もどこかしんなりとしている。
「ごめんねごめんね、ごめんなさいね!」
何度も何度もくり返し謝るシビルに、シマハは「軒下の影にいたから大丈夫」とほほ笑んでみせた。
「ああいやだ、すっかり日焼けしちゃって……待ってて……
シビルは簡単な風の呪文を唱えて、冷たい風をシマハに吹きつける。
はじめて魔法を目にしたシマハはびっくりして、次第にくすぐったくなってきたのか、楽しそうに身をよじっていた。
珍しい取りあわせの二人組に、往来を行く人々がさりげなく目をやっている。
体の線にぴったりあった赤色のドレスが目立つせいもあるが――暁の星団のシビルといえば《金板》の腕きき女冒険者として、それなりに名前が知られているのである。
そんな彼女と仕立て屋の娘では、並んで歩くには少し不釣り合いだ……本人たち以外はそんなふうに考えているのだろう。
とはいえ、シビルもある冒険者を介して仕立ての仕事を頼まなかったら、こんなふうに個人的に会うこともなかったはずだ。
「そうだ。いいお店を紹介するわ……お姉さん
彼女はエスコートしてくれるたくましい男性が隣にいるかのように、シマハと腕を組んで歩き出す。
もちろん、周囲の男たちのくやしそうな視線が、ふたりの後をいつまでも追って行った。
*
オリヴィニスの街の外れには住宅街がある。
その日暮らしの冒険者たちではなく、この町で商売をしたり暮らしている人々の住む地域だ。
ここの高台を登ったところは閑静で、手狭な街ながらゆとりのある街並がある。
シビルが連れてきたのは、そこにあるこじんまりとした品のいい食堂だった。
席には女性客の姿が多い。
「ちょうど誰かと一緒に行きたいな、と思ってたの」
「私なんかでよかったんでしょうか。その、アトゥさんとか」
「いいのいいの。あいつなら今ごろ、道具屋の女の子でも
暁の星団のリーダー、アトゥの名前が出たところで、店員が透明な
ひんやりとした硝子の器に色とりどりの果物と、きらきらした氷が盛られていた。
細かく
「わあ……」
宝石箱のような一皿をみて、シマハは歓声を上げる。
氷のことは知っていたけれど、こんなに暑い日に、食後の甘い菓子として出す店があることは知らなかった。
もちろん、食べるのもはじめてだ。
「これは自然のものじゃなくて、魔法の力で凍らせてるのよ。鉄製の鍋にね……って興味ないわよね。溶けないうちに食べちゃいましょ」
「本当にごちそうになっていいんでしょうか」
シマハの顔には「高いんでしょう?」と書いてある。
シビルはくすくす笑ってうなずいてみせた。
「いいのいいの。いつも難しいお仕事頼んでるから、そのお返しよ」
スプーンですくって口に運ぶ。
舌の上で蜜がとろけ、氷の冷たさが体の
果物の甘酸っぱさが加わると、魔法みたいに別の味わいにかわる。
ふたりはしばらく物も言わずにスプーンを往復させるのに集中した。
涼しい風がバルコニーに吹きこんで来る。
氷菓子をすっかり食べてしまい、食後のお茶を飲みながら、シビルは難しい顔をした。
「さっきはごめんなさいね。昨日考え事したまま寝ちゃったみたいなの」
「考え事、ですか?」
「冒険者としてそこそこ名が通るようになって、
暁の星団には長いこと、魔術師はシビルひとりだった。
彼女の使う魔術は精霊の力を
精霊の加護が受けられない場所でも使えて便利ではあるものの、その分効果が薄いと感じることもある。
ギルドから頼まれた依頼をきっかけに、暁の星団は他の精霊術士とも組むようになり……力不足だと、他ならないシビル自身が感じるようになったのだ。
そこで仕事終わりや
「負けていられない。暁の星団の魔術師はあたしだもの」
「それに、
シマハに言われ、シビルは顔を真っ赤にしてうつむいた。
「……言わないでね」
「言いませんとも」
世間知らずなようすにすっかり油断していたが、さすがに人をよく見ている。
シビルが暁の星団にこだわるのは、ごく個人的な理由からだった。
なんとなく気まずくなり、慌てて話題をすりかえる。
「ええーと、そう。シマハはどうなの。自分のお店を出す計画、もう決めたんでしょう?」
恥ずかしさを隠すために空をあおぎ、ようやく視線を元にもどすと、今度はシマハが顔を覆ったまま動かなくなっていた。
「ちょ……ちょっと、どうしちゃったの?」
「実は……」
シマハは自分の洋装店を出すために、表通りの、元はパン屋だったという店を借りた。
しかしそこの借り賃や改装の費用がおもいのほかかかり、ぜったいに手放さないと決めていた《針入れ》を質に入れてしまったのだ。
「……ほかに借り手がいるからはやく決めてほしいって言われて、それで……」
そんなものは商売上のよくある口実に過ぎない。
だが、白蝶貝の美しいそれをとても大事にしていた様子を思えば、責める気にはとてもなれなかった。
「大丈夫よ、シマハ。がんばってお店を盛り上げて、流れる前に買い戻せばいいんだから。あたしも、お客さん、たくさん紹介してあげるからね」
シマハはやっと顔をあげ、気丈に「はい」と答えた。
涙がにじんでいても、眼差しはしっかりしてる。
これなら大丈夫、なんとかなる。……とシビルはほっとした。
そのとき。
視界の端に何かが動いた気がして、彼女は席を立った。
「シビルさん?」
「大丈夫。ここで待ってて」
シビルは影を追いかけて、店の裏手に回った。
追跡のための呪文を唱えるまでもなく、その人物はむっつりした顔で、麻袋の上に腰かけていた。
革の軽装鎧をまとった、小さな背丈の冒険者だ。
「…………あら」
彼がどうしてここにいるのか
「どうしたの? シマハが針入れを質に入れたことに気がついて、後先考えず買い戻しちゃった冒険者さん」
少年――メルは、眉間に深いしわを刻んだままだ。
その手には白蝶貝にすみれの彫金が施された針入れがある。
「心配しなくても大丈夫。あの子の腕なら、すぐに評判の店になるわよ」
そうね、とシビルは考える。
次は戦士団のヴァローナでも連れてこよう、この際だから仲の悪いナターレにも声をかけてみよう、と楽しい計画を
「それじゃあね」
ドレスの
メルは彼女が十分に遠ざかったことを確認してから、腰を下ろしていた麻袋に声をかけた。
「……だってさ。シビルがよそ行きのドレスを着て出かけたのを見つけて、考えなしに後を追いかけてきちゃった色男くん」
袋の口が開き、やや呆然とした表情を浮かべた若い冒険者の頭がでてくる。
「あのさ……シビルの好きな人って、誰だと思う……?」
何にも気がついていないらしい暁の星団のリーダー、アトゥの言葉を聞き、メルは空を仰いで溜息を吐いた。