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第18話 女子会



 散らばった砂糖菓子と、読みかけの魔術書のはざまで女がまどろんでいた。


「んー…………」


 艶やかなとともに、一糸まとわぬ肢体が敷布シーツの上でくるりと回転する。

 ひとつない蜂蜜色の背中が大きくのけぞり、金色の絹のような髪をからませながら、思わず手をのばしたくなるような腹の小さなくぼみが天井を向く。


「……んんんッ?」


 頬に日の光を受け、シビルははっと起き上がった。

 部屋にかれていた香はほんの残り香だけになり、日は高く中天まで登りつつあった。



「……あらら、いっけない!」



 それからたっぷり半時はかかっただろうか。


 あわてて向かった待ちあわせ場所に、少女はすっかり待ちぼうけになっていた。

 暑い日差しをあびて頬が少し赤くなり、頭頂部のふんわりとした白い羽もどこかしんなりとしている。


「ごめんねごめんね、ごめんなさいね!」


 何度も何度もくり返し謝るシビルに、シマハは「軒下の影にいたから大丈夫」とほほ笑んでみせた。


「ああいやだ、すっかり日焼けしちゃって……待ってて……》!」


 シビルは簡単な風の呪文を唱えて、冷たい風をシマハに吹きつける。

 はじめて魔法を目にしたシマハはびっくりして、次第にくすぐったくなってきたのか、楽しそうに身をよじっていた。


 珍しい取りあわせの二人組に、往来を行く人々がさりげなく目をやっている。


 体の線にぴったりあった赤色のドレスが目立つせいもあるが――暁の星団のシビルといえば《金板》の腕きき女冒険者として、それなりに名前が知られているのである。


 そんな彼女と仕立て屋の娘では、並んで歩くには少し不釣り合いだ……本人たち以外はそんなふうに考えているのだろう。


 とはいえ、シビルもある冒険者を介して仕立ての仕事を頼まなかったら、こんなふうに個人的に会うこともなかったはずだ。


「そうだ。いいお店を紹介するわ……お姉さんおごっちゃうから。行きましょ!」


 彼女はエスコートしてくれるたくましい男性が隣にいるかのように、シマハと腕を組んで歩き出す。


 もちろん、周囲の男たちのくやしそうな視線が、ふたりの後をいつまでも追って行った。



 *



 オリヴィニスの街の外れには住宅街がある。


 その日暮らしの冒険者たちではなく、この町で商売をしたり暮らしている人々の住む地域だ。

 ここの高台を登ったところは閑静で、手狭な街ながらゆとりのある街並がある。


 シビルが連れてきたのは、そこにあるこじんまりとした品のいい食堂だった。

 席には女性客の姿が多い。


「ちょうど誰かと一緒に行きたいな、と思ってたの」

「私なんかでよかったんでしょうか。その、アトゥさんとか」

「いいのいいの。あいつなら今ごろ、道具屋の女の子でも口説くどいてるはずだから。……あの、バカ」


 暁の星団のリーダー、アトゥの名前が出たところで、店員が透明な硝子ガラスの器を二つ運んで来た。


 ひんやりとした硝子の器に色とりどりの果物と、きらきらした氷が盛られていた。

 細かくけずられた氷にはとろりとした乳白色の蜜がかかっている。


「わあ……」


 宝石箱のような一皿をみて、シマハは歓声を上げる。

 氷のことは知っていたけれど、こんなに暑い日に、食後の甘い菓子として出す店があることは知らなかった。


 もちろん、食べるのもはじめてだ。


「これは自然のものじゃなくて、魔法の力で凍らせてるのよ。鉄製の鍋にね……って興味ないわよね。溶けないうちに食べちゃいましょ」

「本当にごちそうになっていいんでしょうか」


 シマハの顔には「高いんでしょう?」と書いてある。

 シビルはくすくす笑ってうなずいてみせた。


「いいのいいの。いつも難しいお仕事頼んでるから、そのお返しよ」


 スプーンですくって口に運ぶ。

 舌の上で蜜がとろけ、氷の冷たさが体の火照ほてりを取ってくれる。

 果物の甘酸っぱさが加わると、魔法みたいに別の味わいにかわる。


 ふたりはしばらく物も言わずにスプーンを往復させるのに集中した。

 涼しい風がバルコニーに吹きこんで来る。


 氷菓子をすっかり食べてしまい、食後のお茶を飲みながら、シビルは難しい顔をした。


「さっきはごめんなさいね。昨日考え事したまま寝ちゃったみたいなの」

「考え事、ですか?」

「冒険者としてそこそこ名が通るようになって、慢心まんしんしてたところがあったわ。上には上がいるってことね」


 暁の星団には長いこと、魔術師はシビルひとりだった。

 彼女の使う魔術は精霊の力をもちいない魔術だ。

 精霊の加護が受けられない場所でも使えて便利ではあるものの、その分効果が薄いと感じることもある。


 ギルドから頼まれた依頼をきっかけに、暁の星団は他の精霊術士とも組むようになり……力不足だと、他ならないシビル自身が感じるようになったのだ。

 そこで仕事終わりや余暇よかを使って魔術研究にはげんでいるのである。


「負けていられない。暁の星団の魔術師はあたしだもの」

「それに、ですもんね」


 シマハに言われ、シビルは顔を真っ赤にしてうつむいた。


「……言わないでね」

「言いませんとも」


 世間知らずなようすにすっかり油断していたが、さすがに人をよく見ている。

 シビルが暁の星団にこだわるのは、ごく個人的な理由からだった。

 なんとなく気まずくなり、慌てて話題をすりかえる。


「ええーと、そう。シマハはどうなの。自分のお店を出す計画、もう決めたんでしょう?」


 恥ずかしさを隠すために空をあおぎ、ようやく視線を元にもどすと、今度はシマハが顔を覆ったまま動かなくなっていた。


「ちょ……ちょっと、どうしちゃったの?」

「実は……」


 シマハは自分の洋装店を出すために、表通りの、元はパン屋だったという店を借りた。

 しかしそこの借り賃や改装の費用がおもいのほかかかり、ぜったいに手放さないと決めていた《針入れ》を質に入れてしまったのだ。


「……ほかに借り手がいるからはやく決めてほしいって言われて、それで……」


 そんなものは商売上のよくある口実に過ぎない。

 だが、白蝶貝の美しいそれをとても大事にしていた様子を思えば、責める気にはとてもなれなかった。


「大丈夫よ、シマハ。がんばってお店を盛り上げて、流れる前に買い戻せばいいんだから。あたしも、お客さん、たくさん紹介してあげるからね」


 シマハはやっと顔をあげ、気丈に「はい」と答えた。

 涙がにじんでいても、眼差しはしっかりしてる。

 これなら大丈夫、なんとかなる。……とシビルはほっとした。


 そのとき。

 視界の端に何かが動いた気がして、彼女は席を立った。


「シビルさん?」

「大丈夫。ここで待ってて」


 シビルは影を追いかけて、店の裏手に回った。

 追跡のための呪文を唱えるまでもなく、その人物はむっつりした顔で、麻袋の上に腰かけていた。

 革の軽装鎧をまとった、小さな背丈の冒険者だ。


「…………あら」


 彼がどうしてここにいるのかさとったシビルはくすりと笑い声を漏らす。


「どうしたの? シマハが針入れを質に入れたことに気がついて、後先考えず買い戻しちゃった冒険者さん」


 少年――メルは、眉間に深いしわを刻んだままだ。

 その手には白蝶貝にすみれの彫金が施された針入れがある。


「心配しなくても大丈夫。あの子の腕なら、すぐに評判の店になるわよ」


 そうね、とシビルは考える。

 次は戦士団のヴァローナでも連れてこよう、この際だから仲の悪いナターレにも声をかけてみよう、と楽しい計画をりながら。


「それじゃあね」


 ドレスのすそを翻し、ヒールを鳴らしながらシビルは席に戻っていった。


 メルは彼女が十分に遠ざかったことを確認してから、腰を下ろしていた麻袋に声をかけた。


「……だってさ。シビルがよそ行きのドレスを着て出かけたのを見つけて、考えなしに後を追いかけてきちゃった色男くん」


 袋の口が開き、やや呆然とした表情を浮かべた若い冒険者の頭がでてくる。


「あのさ……シビルの好きな人って、誰だと思う……?」


 何にも気がついていないらしい暁の星団のリーダー、アトゥの言葉を聞き、メルは空を仰いで溜息を吐いた。



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