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第12話 待つ日


 冒険者ギルドの受付には、いつでもひょろりとした背格好のエルフの青年が座っている。

 彼はオリヴィニスではちょっとした有名人だ。


 何しろ、この町にいて捨てるほどいる冒険者たち、ほとんど全員と一度は会話したことのある人物だということもあるし……報酬受付カウンターにも、彼と全く同じ顔をした兄弟が座っているのだから。


 依頼受付カウンターに座っているのが、兄のレピ。

 報酬受付カウンターに座っているのが、弟のエカイユ。


 彼らはエルフの一卵双生児である。

 背丈や顔かたちはまったくいっしょ。

 ブルーのシャツと深い緑のベスト、銀縁眼鏡までお揃いにしているのは、カウンターに二つ同じ顔が並んでいるのを気味悪がるやからに向けた、ただの嫌がらせだ。


 レピに言わせれば、双子だからといって、けっしてめずらしいわけではない。

 エルフだって、人間と同じ程度には双子が生まれてくるものだ。

 自然の摂理せつりに従っているのであって、母親の不義理のせいとかいうわけでもなく、異端のあかしでもない。


 ただ、迷信深いエルフの里ではなんとなく居づらい雰囲気があって、レピは大人になるとオリヴィニスにやってきた。

 エカイユもうそうである。


 オリヴィニスはさすがに冒険者の街だけあって、人種も様々だ。

 カウンターから見渡すだけで、魔物まじりや先祖返りの連中が平気で歩いている。


 一番目につく緑の頭は師匠連のセルタスだ。

 《賢者》と呼ばれているのは、彼が博識はくしきで、それ自体は問題ないのだが、少々他人の話を聞かないところがあり、そのための皮肉でもあった。


「やあ、レピ。この依頼を受けたいんだが……」


 思わぬところから声が降ってきた。

 レピはびっくりして、長い耳をびくりとさせ、客に向きなおった。


「君でも、仕事中にぼうっとすることがあるんだな」


 中堅どころの魔法剣士は、とがめるふうではなく純粋に驚いている様子だ。


「失礼いたしました、ヴリオさん。拝見します……」


 レピはあたふたと真っ赤になりながら、依頼票を受け取る。


 依頼は掲示板に張り出され三日ほど、誰の目にも留まらなかったコボルド退治だった。

 内容も報酬もあまりにも平凡すぎて、こういうのを受けたがるのは新人くらいなものだろう。

 命知らず揃いのオリヴィニスではあまり人気のない仕事だ。


 レピは酒場のほうを見渡した。

 ヴリオの連れらしい姿が四つある。

 魔法使い、斥候、戦士、神官。

 非常にバランスの取れた堅実なパーティだった。


「いつもの皆さんですね。ヴリオさんは引退すると、まことしやかな噂を聞いていたのですが……おしゃべりを鵜呑うのみにしすぎたようです」

「いやあ、引退は本当だよ」


 ヴリオは、妙にあっけらかんとした笑みを浮かべた。

 どこか恥ずかしそうでもあり、ごまかすように耳の後ろをかいていた。


「ただ、いざその時が来ると、その前にいろいろやってみたいことができちまってな。故郷の妹に土産話みやげばなしもしてやりたいし、もう少し延長だ」


 依頼は平凡だが、少しだけ遠出になる。

 その道中には風光明媚ふうこうめいびで知られる村があり、温泉が名物だ。

 源泉は、病をいやすという伝説もあった。


「なるほど。でしたらこれは最適な依頼ですね。うけたまわりました。前金と、支給品をお渡しします」

「ああ、よろしく頼む」


 レピはエカイユに依頼を告げ、金庫から指定通りの金額を出してもらう。

 依頼によっては、こうして前払いで冒険者に対して補助金が出ることがあった。

 ギルドが出す場合も、依頼者が特別に支払う場合もある。

 現物支給で、薬や食料が提供されるというのも珍しくない。


 人気が出なかったり、大変すぎてなかなか人がよりつかないような依頼を冒険者に受けてもらうための工夫だ。


 ヴリオにはいつもの契約書類にサインを頼む。


「《板》はどうします?」

「預けておくよ」


 ヴリオは首にかけた細い鎖を手繰って、赤銅色をした板を取り出した。

 ギルド所属の冒険者だということを示す冒険者証だ。

 それは名前や年齢、出身地などが書かれた小さな板で、同じ内容のものが三つ、ひとつの鎖に下がっている。


 板の色はランクが上がる度、銀、金になる。下がれば青銅。

 これが冒険者たちの格を示す《金板》とか、《銀板》といった言葉の由来である。


 ヴリオは三枚のうち、一枚を鎖から離し、レピに渡す。


「お預かりします。期日は余裕をみて八日にしますよ」


 彼はカウンターの内側、壁面に向かう。


 目隠しの幕を開けると、そこには一面に地図が貼りだされている。

 地図のいたるところに鉄製のフックが生えていた。

 預かった名入りの板を、パーティの人数や期日を書きこんだ依頼票ごとの目的地に下げておくためのフックだ。


 この板は、冒険者やそのパーティの格を示すものであり、それと同時に《命の|名札《なふだ》》でもあった。


 冒険者たちは、旅立つときこの板を一枚、ギルドに預ける。


 期日を過ぎても戻らないときはギルドから捜索依頼が出され、別の冒険者が救出に向かうのだ。

 捜索にかかる費用や報酬は、板を預けた者が保障することとなるし、その日暮らしの冒険者たちにとってはかなりの高額だ。


 死体をひろう者などいらないと板を預けずに出発する者もたくさんいる。

 だが、この仕組みのおかげで助かる命だって、たくさんあることも忘れてはいけないとレピは思う。

 命は大切なものだ。

 金にはかえられない価値がある。


「今日は、誰が出てるんだ?」


 ヴリオは訊ねた。


 妙な問いかけではあった。

 ここは冒険者の街だ。毎日たくさんの冒険者がここから出かけて行く。

 預けられた色とりどりの札は数えきれないほど、壁面できらきらと輝く。

 迷宮洞窟で、旧市街で、白金渓谷で、もっともっと遠くの噂でしかきいたことのない街で、村で、街道で……道なき道に、たくさんの命がまたたいている。


 ただ、ヴリオの質問のほんとうの意味のことも、レピはちゃんとわかっていた。


「迷宮洞窟ですよ。オリオの門です。みみずく亭のルビノが潜ってるんです」

「みみずく亭? ――ああ、そうか。彼は冒険者だったんだな……オリオの門ってぇと……そうかい、そいつは間違いなく大仕事だな」


 経験の長いヴリオには、ぴんと来るものがあったのだろう。

 神妙な面持ちで、明後日あさっての方向を見ている。

 レピも、そちらに目をやった。

 ギルドの開け放たれた扉の前に、小さな背中がある。

 軽装鎧をまとった頼りない、まるで子供のような背中。

 脇には、素早く動けるよう、いつもより二回りは小さな荷物が用意されていた。



「今日は、なんだな」とヴリオは言った。



 待つ日。

 そのフレーズがしっくりと来て、レピはうなずいた。

 迷宮洞窟にかけられた金板の、依頼票の期日はあと一日。

 一日たてば、救出依頼が出される。きっとメルメル師匠は一番にギルドを出て行くだろう。

 全速力で駆けていく小さな姿が目に見えるようだ。


 じっと動かない背中から不安やあせりが伝わって来る気がして、レピは今日一日中、どこか落ち着かない気持ちだった。


 気がつくと隣のカウンターのエカイユも、酒場にいるヴリオの仲間も……《賢者》セルタスや、戦士団のヴァローナ、《二刀》のアトゥといった有名人までもが、メルメル師匠の小さな背中に見入っていた。


 小春日和こはるびよりの明るい陽射しの下、メルメル師匠の柔らかな髪が、風に吹かれているのがみえた。


 少し遅れて、ギルドに爽やかな新緑の風が吹き込んで来る。


 オリヴィニスは春を迎えようとしていた。




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